魔導師オーギュスティン15
「さっきのでだいぶ熱も下がったんじゃない、クロスレイ」
「荒療治過ぎますよ…」
まだ頬がひりついていた。ふっと表情を緩めたサキトは、拗ねるようなヒタカの右側の耳元に唇を寄せる。びくんと反応する従者の反応に、つい悪戯心が沸いていくのか、彼は優しい声音で「またキスしよっか?」とからかった。
たちまち顔を赤く染め、「サキト様!!」と叫び声を上げる。
これでうっかり手を出せば分別のついた大人である自分の罪になるというのに、サキトは全く分かっていない。サキトに翻弄され続けるヒタカは、とにかくこの洒落にならない悪戯を止めさせるしか、身を守る術は無かった。
「うふふ。クロスレイったら。面白ーい♪」
「からかわないで下さいっ」
「受け身ばっかりだと、もし好きな相手が出来たら逃げられちゃうよ?」
返す言葉が無い。ヒタカはつい呻き、奔放な相手に呆れた。
「じゃ、クロスレイ。夜はよろしくね。それまで、休んでていいから。オーギュ殿と一緒にお部屋に迎えに行くからね」
蝶が舞うように軽やかな足取り。サキトは自分が言いたい事だけ言うと、そのまま苦悩するヒタカを残して部屋から出ていってしまった。
足音を耳にしながら、脱力するヒタカ。こんな反応を見せてしまったら、そのうちバレてしまうのではないだろうかと不安になる。悟られてはならないのに、無反応を装いたくてもコントロール出来ない。
もし好きな相手が出来たら逃げられちゃうよ?という無自覚極まりないサキトの発言。惹き付けるかと思えば突き放すような、彼の本意がさっぱり読み取れない。
考えても仕方がない。サキトに許された時間までゆっくり休もう、と再びベッドに横になった。
しっとりと湿気を含んだ空気の星空に、美しく欠けた月が浮かぶ頃、ヒタカの部屋の扉が静かにノックされる。既に準備を済ませていた彼は返事をしながら扉を開いた。
「準備は終わったね。さあ、行くよクロスレイ」
「は、はい」
サキトの背後には氷のような印象を与えてくる隣国の魔導師。彼は静かな笑みを浮かべながら、ヒタカに「よろしくお願いします」と挨拶をした。
真っ白な護衛剣士の制服を身に付け、負傷した際に使う簡単な救急用具を詰めた小さな袋をベルトに括ると、引っ張ってくるサキトに少々お待ちくださいと慌てながら部屋の鍵をかける。
「クロスレイ」
廊下を先に進み始めると同時に、サキトはヒタカを見上げながら話しかけてきた。いつものようにヒタカは彼にすぐ反応する。甘ったるいマスクの主は、「ちゃあんと僕達を守ってよね」と念押しした。
「オーギュ殿は大切な来客だしね。ま、お城から近いから、変に危ない事はないだろうけど…」
「大丈夫ですよ。何かあれば、俺が真っ先に盾になりますから…」
その返事に満足したのか、サキトは大人びた笑みを見せた。階上から降りる最中、オーギュは穏やかな低い声で彼に告げる。
「サキト様の護衛剣士は優秀な事は、よく理解しておりますよ」
「隣国のお客様に、怪我を負わせたら大事になっちゃう。ロシュ殿も心配しちゃうしね。君のような、一国の重鎮クラスの立場だと何かあったらこっちも困るんだから」
二人の会話を聞いているヒタカは、余計にプレッシャーを感じていた。流石に結界の力が働いている城の周囲には魔物の類いは出たりはしないだろうが、万が一を考えなければならない。どちらも大切な立場のある人間なだけに、事件が起これば真っ先に自分のせいになるだろう。
そのような事態が起こってしまったら…と戦々恐々としていた。身体を固めていたヒタカに、オーギュは宥める口調で大丈夫ですよと言った。
「私も魔法で、サキト様とあなたをお守りします。何も無いに越したことはありませんが、万一の事も想定して動かなければなりませんしね」
「は、はい…ありがとうございます」
階段を降りきり、出入口近くなった所で、三人は守衛の剣士に引き留められる。一般人の出入りは既に規定時間を越えていて、内部から出る者も、城内に滞在する剣士以外確認しない限りは通さないという決まりになっていた。
オレンジ色に点っているシャンデリアの下、サキトは守衛に「野草を取りに行きたいの」と言った。
「そのような事は、我々がやりますのでサキト様はお部屋で待機して下さい」
「おかしいな、イルマリネから通達来なかったの?話を通してると思ったのに」
会話が成立しないのを不思議がるサキト。ヒタカは守衛の剣士に「回覧見ましたか?」と遠慮がちに問う。
通達の回数が激しいので、頻繁に回覧板が回っているのだが、もしかしたら失念しているのかもしれない。そこでヒタカは別の守衛に声をかけてみた。
「あー、通達来てたな。外っつっても近場だから問題ないから、来たら通してくれってさ。だから行っていいぞ」
ちゃんと見とけよと止めた剣士に注意しながら、別の守衛は扉を解放する。ヒタカは安心して礼を告げると、サキトとオーギュに「行きましょう」と促した。




