魔導師オーギュスティン8
この二人を見ていると、どっちが大人なのか分からなくなる。
物事を達観して見ている子供のサキトと、年甲斐もなく完全に思春期に入っているヒタカ。あまりにも対称的過ぎて、笑えてくる。
アルザスはサキトと入れ替わりで部屋から去っていった。
バタン、と扉が閉まる。静まり返る室内。サキトがこちらに近付いてくるのを察し、ヒタカはびくりと身体を反応させる。その足音を、彼は恐怖感に似た気持ちで聞いていた。
一歩。冷や汗がじわりと湧き出す。
二歩。喉がカラカラになるのを、唾を飲み込みやり過ごす。
三歩、四歩…身体が強張り、恐怖で震える。目を閉じながら、俯いてサキトの出方を待った。勢いであのような身の程知らずな発言をしてしまった事に、罪悪感をひたすら感じる。たかだか一般出のしがない田舎剣士が、彼に恋慕してしまうなど有り得ぬ話だ。嗅ぎ慣れた香水の香りが近くなり、座り混んで俯いていた自分の前にサキトの靴の先が視界に入る。上質な革靴が、妙に威圧感を与えてきた。
ぎゅうっと目を閉じて、心臓の鼓動が激しさを増し、息苦しさに胸を押さえていると、サキトはそこでぺたんと同じように床に座る。大きな身体のくせに、打ちひしがれているような頭の下げ様でやけに小さく見えてしまった。
「クロスレイ」
「………」
いつもの冷静な幼い声が聞こえた。
「顔、上げなよ」
「………」
上げろと言われても、こんな状況で顔を見せられない。きっと情けなくて、みっともない顔をしているに違いないのだ。サキトの盾にならなければならない立場の人間が、守らねばならない相手の前で弱い顔を見せるわけにはいかない。
分かっているのに、格好悪い姿を晒している有様。
「クロスレイ」
「…ません…」
「何」
ようやく言葉を発したが、サキトには聞こえなかった。
「顔、上げれません!」
「どうして」
耳まで真っ赤にして頭を上げない従者に、サキトは眉を寄せた。
「おっ…俺、今きっと、酷い顔してます。あなたに見せたくない」
「………」
「凄く、みっともないから」
「君がそういう性格なのは嫌になる程知ってるよ。僕の命令が聞けないの?顔を上げろと言ってるの」
彼は普通通りに接してくる。ヒタカは俯き、じんわり滲む汗を拭きながら、それでも首を振った。諦めて部屋から出ていって欲しい。ヒタカの中にある小さなプライドが、どうしても嫌だとサキトの命令を退けていた。
サキトは従者の両の頬を手で覆った。そして苛立ちながら、「僕が上げろと言ったの!!聞こえないの!?」と強い口調と同時に顔を上げさせた。
「あぁっ…!い、嫌だ…っ」
「…ふふ。何てみっともない顔だろ」
「サキト…さ、ま」
意地悪な言い方をし、サディスティックな笑みを向ける。ヒタカは上から見下ろしてくる主人を、怯えながら見ていた。胸が高鳴り、呼吸もままならなくなる。小悪魔なサキトは、そのままヒタカを見下ろしながら「それでこそクロスレイさ」と目を細めた。
不思議な恐怖感と、謎の甘美な心の疼きがヒタカを襲う。
「うっ…あぁ…」
「おっきな身体のくせに、小動物みたいだ。ねぇ、…僕がそんなに怖い?」
身の震えを感じ取ったらしい。サキトはヒタカの頬をそのまま固定しながら優しく問う。真っ赤な顔で固まるヒタカは、頷きながら彼に返事を示した。
綺麗な、透き通るような青い瞳の色に吸い込まれそうになる。愛くるしい顔をした普通の少年なのに、その場で跪きたくなるような、圧倒される貫禄に押されていた。
「僕は君の主人。君は僕のもの。それでいい。君は僕の傍に居て、守ってくれなきゃ。君の気持ちは理解したよ」
「…っく、さ、サキト…様…俺はっ」
「なあに?」
「俺はっ…ずっと、従者として…あなたのお傍に、居たい…です…!」
本心を言いたいが、それを言えば余計拗れそうになる。忠誠心からではなく、別の心情を吐露したかった。アルザスに指摘された事で、初めて気付かされた感情を。
「ありがと。ふふ…ご褒美あげる、クロスレイ」
頬を撫でていたサキトの手が、ヒタカの口元に移動した。
「君の中の魔力、もう無くなりそうだね。時間が経つと薄れちゃうって事は、元から耐性が無いのかな…」
「さ、サキト様」
「ん?」
言いたくなるのを必死で押さえた。そして、サキトの手に自分の手を乗せる。完全に彼の手中に飲まれてしまったヒタカは、小さく弱々しい声で「お願いします」と言った。
「あなたの手間が省けないように、魔力を沢山下さい…」
「…うん。いいよ、クロスレイ。でも慣れてないから、少しずつ流してくね」
「はい…う、嬉しい…嬉しいですサキト様」
まるで子供みたいに、好物のお菓子を受け取るような表情を向けるヒタカを見て、サキトは妖艶な笑みを浮かべた。
「可愛いよクロスレイ。君って、おっきいのに仔犬みたいだね」
くすくすと笑い、魔力を与えてくるサキトをヒタカは優しく抱き締める。ぼんやりと頭の奥が麻痺していくのを感じ取りながら、彼はこのままサキトの犬のままでもいいと思っていた。




