7 カロリーヌ姫と宮廷医
正面左側の大きな階段を上がって左の廊下を突き当たって右に曲がって更に左に曲がったところにある階段を上がって右、いや、左だったか?
運ばれつつしっかりその道順を覚えようとしたのだが、どうも通りがかりに見かける人々の視線を避けたりしているうちに、わけがわからなくなったようだ。
やがて、抱き上げたままではいい加減疲れたのでは?とエミリアンの腕が心配になった頃、目的の部屋についたようだ。両端に警備の兵士がたっているひときわ大きな扉の前でエミリアンは立ち止まった。
エミリアンが顎でしゃくると、兵士たちが扉を開けた。中で控えていた侍女たちの中で、責任者だろうか一人が心配そうに声をかけてきた。
「おかえりなさいませ、姫様。よくぞご無事で」
それからエミリアンを見上げ、確認を取ってくる。
「お怪我などなさってはいらっしゃらないでしょうね?」
「それが」
エミリアンは、眉を顰め打ち合わせ通りに述べる。
「外傷はないのですが、どこかで頭を打たれたのか誘拐のショックでなのか確証はないのですが、どうやら記憶の一部に障害がでておられるようなのです。ただ、今はひどくお疲れのようなので、まずは安静になされた方がよいだろうとの判断でこうして直接お部屋までお連れしたのですが」
「まあ」
「記憶が」
背後の侍女たちがざわめくのを、先頭の女性が「静かに」と一声で納め、
「わかりました。ともかく姫をベッドへ。後はお任せ下さい」
そう言ってエミリアンを促した。
『天蓋付きのベッドだよ、やっぱり』
まあ、広くて天井高い部屋の隙間風防止や埃よけが起源と聞いて、それほど憧れはもってなかったんだけど、実際に見てみるとやっぱりちょっとロマンチックよねぇ。
壊れ物のようにそっとベッドに下ろされる。
「あ、ありがとう」
気恥ずかしさに幾分顔を逸らしながら小さく礼を述べる。エミリアンは「ハッ」と生真面目に一礼して、
「お疲れでしょう。ごゆっくりお休みください。それではまたあとで」
私にそう声をかけた後、侍女頭らしい女性(おそらく彼女が姉のオリヴィアさんなのだろう。髪は栗色で違っているが、目はエミリアンと同じ緑色だ)に小声で何か告げている。
私は、まずオリヴィアさんに事情が通るまで下手に誰かと会話を交わさずに済まそうと、眠ったふりをすることにして目を閉じた。
自分で考えていたより疲れていたようだ。気がつけば本当に眠っていたらしく、すぐ傍で聞こえてきた問い詰めるような若い女の声で私は意識を浮上させた。
「本当に大丈夫なのですか、先生? ベタンクール隊長のお話では、記憶に障害がでているそうではないですか」
それに対して年配の男性の声が遠慮がちに答える。
「いえ、ですから、まだそれも私の方では診察しておりませんので、なんとも。ただ、頭部にもこれといった打撲の後もありませんし、おそらくは精神的なショックによる一過性のものではないかと」
「ならば、すぐに治るのでしょうね?」
「いえ、それは……」
どうやら問い詰められている年配の男性は宮廷医なのだろう。そして、私を心配してといつめているのは……うっすらと目を開けて、女性を見る。年齢からすると、シェリーヌ姫とほぼ同年代17,8で、身に着けている衣装からして侍女ではない。となると該当するのはただ一人……。
「……リーヌ姉様?」
思い切って声をかけてみると、二人同時に驚いてこちらに目を向け、それから呼ばれた女性の方が抱きついてきた。
「ああ、シェリー。気がついたのね、よかったぁ。貴女がまた街に出てしまって、しかもそこで誘拐されたって聞いた時は、本当に生きたここちがしなかったわ。本当によかった、本当に」
言いながら堪えきれなくなったのか涙が溢れ、私の首筋に落ちてきた。
「ご、ごめんなさい」
弱々しく謝罪すると、カロリーヌ姫は私を離し、ハンカチを取り出して涙を拭った。それから、改めてベッド横の椅子に腰を下ろし、私の手を両手で包むように握りながら話しかけてきた。
「ううん、もういいのよ。こうして貴女が無事でいてくれたのですもの。でも、お願い、シェリー、約束して。もう無茶なことはしないと。街に出たいならちゃんと護衛をつけて安全だけは確保して。とにかく、貴女の身を危険にさらすような真似だけはしないで。お願いよ、シェリー」
そう懇願するカロリーヌ姫は、私から見て本心から心配してくれているように見えた。
「はい。お約束します。もうリーヌ姉様にご心配をおかけするような真似はいたしません」
安堵させようと私がそう言って頷くと、何故かカロリーヌ姫が酷く驚いた様子で大きく目を見開いた。隣の宮廷医も同様に驚きを顔に浮かべている。
『なにか間違ったか、私?』