4 柿
「あの、城に着くまでに、最低限の知識が欲しいのですが」
「はい、何でもおっしゃってください」
「では、まず、貴方のお名前は?」
「あっ!」
やっと気がついたように騎士が少し目を見開いた。私はこんなに親身になってくれている相手の名前も知らない非礼を謝罪する。
「すみません」
「いえ。私はエミリアン・バリエ・ド・ベタンクールと申します。姫はいつも……隊長殿とのみお呼びでした」
それは皮肉な呼びかけだったとすぐに推測された。私は申し訳なく思いつつ、一つの提案をした。
「わかりました。でもこれからはお名前を呼んでもかまいませんよね。記憶に障害があるという設定になりますから。ですから、これから宜しくお願いしますね、エミリアンさん。……それで私のフルネームは?」
「ハッ。姫のお名前はシェリーヌ・マルグリット・セリア・ド・ブランジェ殿下とおっしゃります。このベルトランのブランジェ王家マリユス5世陛下の第二王女殿下でいらっしゃいます」
そこから先の説明は、聞きなれぬ西洋名の洪水だった。とても一度に覚えきれる自信がない。エミリアンがついていてくれる場合はともかく、周囲が侍女たちだけになった場合などはどうすればいいのだろう? だが、その不安はエミリアンがすぐに解消してくれた。
「姫付きの侍女に私の姉オリヴィアがおります。身びいきではなく口が堅く信頼に値する人物です。姉ならきっとうまく取り繕ってくれることでしょう」
「では、お姉さんに私の事情を説明して協力をお願いしておいてください。お願いします」
「ハッ」
「先ほどの侍女」
ふと思い出す。
「ああ、シャルロッテ・ブルジェですか。彼女が何か?」
「いえ、先ほど……私の無事を泣いて喜んでいましたが、その目が……少し気になったものですから。……もしかして、私は、彼女に好かれてはいなかったのでは?」
私の問いに、気まずそうにエミリアンは頷いてみせた。
「……はい。おそらくは。姫のお忍びでの外出やその他のトラブルが発覚した場合、傍についていた侍女が責めを負う決まりでしたから。彼女も幾度か謹慎、減俸……鞭打ちの罰を受けているはずです」
「鞭打ち? 女性にですか? それはあんまりな……。一体誰が決めた……まさか」
だが恐れていた事態ではなかったようだ。
「いえ、王室での昔からの慣習だと聞いております」
エミリアンの即答に少し安堵する。だが、それでも私のせいで侍女たちが被害にあってきた事実は消えない。つまり、王室では王族に自制を求める手段として、傍に仕える者達の身を利用してきたのだろう。彼らを傷つけたくなければ、愚かな振る舞いはするなと。だが、このわがままなお姫様は、それらを配慮することなく好き勝手に振る舞い、結果、罰せられる侍女が続出したのだろう。
『そりゃ、嫌われるわな。本当、申し訳ない』
あの目は『てめえもちったぁ痛い目に合えばよかったのに』という失望の色だったのだ。それを責めるほど私の面の皮は厚くない。
「今回のことで、そのような惨い罰が施されないようできるだけ努力したいと思います」
私が真摯にそう告げると、エミリアンは目を細め、嬉しそうに微笑んだ。
「そうして頂けると、きっと彼女も安堵することでしょう」
「あ、そろそろ王都が見えてきましたよ」
言われて、窓から外を見ると、山すそに市壁に囲まれた大きな都市が目に飛び込んできた。王城だろうか幾つもの塔を持った一際大きな建物が奥の方に見えている。だが、それよりも私の目が釘付けになったものは……。
「すごい。あれ、もしかして全部柿の木?」
山へと続く木々のほとんどが枝が折れそうな程たわわに実った秋によく見る果物で彩られている。
「あれは、渋の木です。あの実は渋が強くて鳥さえ啄ばまないそうです。伝説では神があの木に怒られて、その実に渋を与えたとされています。ですので、誰もがあの木に関わることを避け、切られることもなく、その実を口にする者もおりません」
「ええぇぇ~。この国、冬に餓死者が出るくらい食料足りないんでしょ? だったら、食べられる物は何でも食べましょうよ」
「ですから、あの実は」
「渋抜きをすればいいだけでは? 干し柿にしたら結構長期間保存が利くので冬場助かると思うんですが」
「えっ? 渋抜きですか?」
「ええ。私のいた国では渋柿は干し柿にしたり、アルコールやお湯で渋抜きしたりして食べてましたよ。夏前くらいに取った葉っぱはお茶にしたりもしていたはずです。あと、これは作るのに2年くらいかかるみたいですが、柿渋の液を作って防虫剤とか、紙に塗ると確か防水効果もあったと思います」
私の言葉にエミリアンは心底驚いた表情をした。
「なんと……」
「でも、この世界の柿も同じようにできるかわからないですし……結果が早く分かるのは柿チップかな。とりあえず幾つかあの実を採ってもらっておいてくださいますか? 少し試してみたいことがありますので」
「ハッ」