14.居場所
翌日、私たちは大きな屋敷の前にいた。庭には樹木が森のように生え、建物は白を基調としたきらびやかな作りだ。この街の領主と言うだけあって、豪邸という言葉でも足りないほど広々としている。城と言った方がしっくりくるかもしれない。その広大さにめまいを覚えると同時に、ミシュエルの生まれの良さを再認識する。
「ミシュエル様、お戻りになったのですか?」
門の傍にいた、使用人らしきエルフがこちらを見て瞬きする。ミシュエルはふわりと微笑んだ。
「兄上と話がしたい。誰か家の者を呼んでくれないか?」
「は、はい」
使用人は緊張した面持ちで駆けていく。彼が見えなくなってからしばらくして、二人の人影が現れた。一人はミシュエルの兄であるオリヴィエさん、もう一人はドレスに身を包んだ女性。彼らは二人とも、訝しげな表情でミシュエルを見つめている。その視線のなか、ミシュエルは軽く頭を下げた。
「お久しぶりです、母上、兄上」
挨拶されても、二人は何も答えなかった。鋭い視線で人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。剣呑とした空気に緊張しつつ、私は彼らの行動を見守っていた。やがてオリヴィエさんが一歩前に進み出た。
「何の用だ」
「今一度、話をしたいと考え、恥を忍んでこの場に参りました」
そこでミシュエルは頭を上げた。兄弟で同じ色の瞳が真っ直ぐにぶつかる。
「話だと?」
オリヴィエさんは眉をひそめた。今にも殴りかかりそうなそぶりを見せたが、後ろにいる女性――母親に止められた。オリヴィエさんは不満そうだったが、それを気にせずミシュエルのお母さんは息子を見つめる。
「ミシュエル、そなた何故ここに戻ってきた? 追放の身であれば、この家に――いえ、この国に来ることが何を意味するか、わかるだろうに」
それは詰問の厳しい響きだった。横でミシュエルが言葉を詰まらせたのがわかる。私は咄嗟に彼の前に出た。
「待ってください。この街に、この国に来たのは、そもそも私が行きたいと言ったからで――」
「星護様」
優しいが強い声に、私の声は遮られてしまう。ミシュエルと同じ、深い青色の瞳が私を捕らえていた。
「私はミシュエルに聞いているのです。星護様、貴方ではありません。それにこのミシュエルのこと、言葉巧みに貴方を誘導したのでしょう」
う、鋭い指摘だ。沈黙は何よりの肯定だとわかっていても、返す言葉が見つからない。そんな私をどう思ったか、ミシュエルのお母さんは視線を戻した。
「もう一度問おう。ミシュエル、そなたがここに戻ってきたのは何故だ?」
静かだがはっきりとした声音で尋ねる。ミシュエルはすぐには答えなかった。自分に問いかけるように目を閉じ、口を引き結ぶ。二呼吸ほどの間の後、彼は強い視線を母親に返した。
「ここが、私の生まれ育った土地だからです。生まれ仕えたこの土地に、帰りたいと願うのは当然でしょう」
「それが他種族を、あのときの魔倉を連れてきてまで戻ってきた理由か? 冗談にしては笑えぬぞ」
「全くだ。帰る気があるのなら、そこの魔倉など捨てて一人で帰ってくればよかろう」
母親の言葉は厳しかった。オリヴィエさんもそれに続いてトゲのある言葉を言い放つ。見下すような視線に、アッグやカイトが殺気だったのがわかった。けれどもそれ以上に、ミシュエルが怒りに震えていた。
「何故ですか……何故そこまで、エルフ以外の種族は排除されねばならないのですか!」
彼の声は静かだった。が、胸の内に秘めた怒りでいくらか震えている。それに答えるオリヴィエさんは、どういうわけか愉悦に笑っていた。
「そんなもの、異種族どもが我らよりも短命で、野蛮で、愚劣な存在だからに決まっているだろう? 貴様も外を見て痛感したはずだ」
「それは我々エルフ族の驕りでしょう!? この10年旅をして、彼らを愚劣と見なす風潮は間違いだったのだと、その思いの方が強くなったのです!」
ミシュエルはいつしか叫んでいた。いつも冷静な彼が、ここまで取り乱しているのは初めて見た。対する母親は静かに彼を見つめている。
「それが、そなたの答えか」
確かめるように彼女は言った。顔を見つめても、何を考えているのか読めない。ぴりぴりとした緊張感の中、ただ次の言葉を待つ。母親はふっと小さく息を吐いた。
「そなたの考えはよくわかった。その上で言おう。ここにそなたの帰る場所はない」
「なっ――!?」
冷たく突き放す言葉に、ミシュエルの目が見開かれる。確かめるように迫った彼は、しかし閉まる門に阻まれた。
「何故ですか母上!?」
「聞こえなかったならもう一度言う。この国にそなたの帰る場所はない。わかったなら二度とこの家の敷地に入るでない! どこへでも好きな場所へ行ってしまえ!」
ミシュエルはなおも食いついたが、二人は踵を返しさっさと建物の中に戻ってしまう。門の外で取り残され、ミシュエルは呆然と空を仰いだ。
「ああ、私は何を今更期待していたんだ……。今のまま戻ったところで母上に認められないことくらい、わかっていたはずなのに」
背の高い彼がどんな顔をしているのか、私には見えない。けれど嗚咽に霞む声と握りしめた拳から、彼は泣いているのだろう。帰りたいと思っていた場所で、帰ってくるなと言われたのだ。ショックを受けない方がおかしい。そして、そのきっかけを作ってしまったのは私自身だ。よかれと思って仲直りを勧めたけれど、余計なお世話だったかもしれない。
「ごめん、ミシュエル。私が仲直りしようなんて言っちゃったから」
私はミシュエルを見上げて謝った。彼は少し驚いたように私を見て、大きな手で私の頭を撫でる。
「貴方のせいではありませんよ」
ミシュエルはそう言って微笑んでいた。目元を赤くしてぎこちなく笑顔を作っている彼は、ひどく痛々しい。けれど何を言うのも憚られて、私は黙り込んだ。
「心配いらないッスよ。ここが帰る場所じゃないなら、自分の落ち着ける場所を探しに行けばいいッス」
明るい声に振り向けば、アッグがミシュエルの背中を軽く叩いていた。彼から励まされるのは意外だったのか、ミシュエルは目を丸くする。
「落ち着ける場所を…?」
「ミシュエルは旅人ッス。だから旅する間に自分の過ごしやすい場所を見つけられるはずッス。……そうッスよね、デュライア?」
「へっ!?」
思いがけず話を振られて、私は瞬きした。何のことかわからずにきょとんとしていると、じれたアッグが人差し指を突き出した。
「ほら、いつか言ってたじゃないッスか。どこかに俺の落ち着ける場所があるかもしれないって。だから俺はデュライアに付いてきたッス」
言われてみれば、そんなようなことを言って彼を旅に誘った気がする。あのときは人助けの延長みたいに思っていたけれど、付き合いが長くなったせいですっかり忘れていた。
「なんだ、たまにはいいこと言うなと思ってたのに、デュライアの受け売りかよ」
「……どういう意味ッスか」
カイトが肩をすくめてからかい、アッグがむっとして彼を睨む。いつもと同じになってしまった二人を、ミシュエルはじっと見つめていた。
「ふふ、そうですね……。どこへでも好きな場所に、心の落ち着ける場所に行くべき、か」
ふわりと微笑んでそう呟き、彼は私の前に跪く。
「デュライア、国を追われた流れ者の私ですが、貴方の傍で命を賭すことをお許しください」
そう言って、ミシュエルは恭しく私の手を取り、手の甲にそっと口づけする。その仕草は生き生きと自然だった。ふと上げた表情は笑顔で、見とれるほど美しい。だからこそ、紡がれた言葉が重く感じられてしまう。
「あはは、ありがとう?」
なんと答えていいかわからず、私は曖昧に笑った。ミシュエルはそんな私にもう一度笑いかけて、いつも通りに立ち上がる。
……彼の態度に悪い予感を覚えたのは、私の気のせいだろうか。
アッグの言っている満月の台詞は『2章-9.リザード族の男』を参照のこと。




