13.はぐれものエルフ
宿屋の一室で一息つく。部屋はそこそこの広さでゆったりしており、装飾も華美ではなくて居心地がいい。ソファは柔らかく、座るとふわりと沈んだ。他の三人も武具を外し、思い思いにくつろいでいる。といっても、どの顔もやはり不機嫌そうだ。
私はちらとミシュエルを見やる。いつものにこやかな雰囲気とは違い、彼の表情は硬い。それが痛々しくて、私はつい声をかけた。
「ごめんね、ミシュエル。行きたくなさそうだったのに、ここに連れてきちゃって」
私が言うと、ミシュエルはきょとんと目を瞬かせた。けれどそれは一瞬のことで、次の瞬間にはふわりと微笑んでいた。
「いいんですよ。ヒュノーに着いてから、ここを通らねばならないことは覚悟していましたから」
「けど…!」
何か言い返そうとして、私は口をつぐんだ。謝っても懺悔しても、きっと彼を困らせるだけだ。それが余計に悲しい。と、嫌そうなため息が聞こえて、私は振り向いた。カイトは短い黒髪をガシガシと掻く。
「お前らのそういうところ、見ていてイライラするぜ。ミシュエルも、いくら兄貴だからって、あんな奴ぶん殴っていいくらいなのによ」
「そうッスよ! 俺達のことすっごく馬鹿にしてたじゃないッスか」
アッグも不満を露わに言った。侮蔑の言葉を投げかけられたために、許しがたいのだろう。けれどミシュエルは困ったように笑うだけだった。
「仕方ありませんよ。私は、この国を追放された身ですから」
「え」
さらりととんでもないことを言うものだから、私はまじまじとミシュエルを見つめてしまった。確かにこの国の人からのミシュエルの評価は最悪だったけれど、国外追放されていたなんて。今まで付き合っていた限り、追放されるようなことをする人だとはとても思えない。
「追放? 何でッスか?」
アッグも同じ気持ちだったのか、眉間にしわを寄せていた。彼の問いに、ミシュエルは笑みを貼り付けて答える。
「そうですね……。一言で言えば、カイトを助けたから、です」
カイトを助けたからって、それが追放とどういう関係があるんだろうか。いまいち話が繋がらない。アッグも訳がわからないという顔をしている。一方、話題に上っているカイトは嫌そうな顔でミシュエルを睨み付けていた。その視線を受け、ミシュエルはソファに腰掛けて語り始める。
「十年ほど前のことです。そのころはまだ帝国の影響もなく、この国も多少は外交をしていまして。そんな時に私はカイトと出会ったのです。奴隷商に、人間魔石として売られるために……ね」
『奴隷』という言葉に、私は思わず息を呑んだ。アッグも顔をしかめている。確かにカイトは、魔倉だから人間魔石にされることもあるのだと自分でも言っていたけれど。私はちらとカイトを見た。彼は相変わらずミシュエルを睨み付けていたが、何か言う訳でもなく黙り込んでいる。しんと静まった部屋で、ミシュエルの声だけが響いた。
「その姿があまりにも酷くて、私はカイトを助けました。奴隷を買うと偽って、ただの人間として育てようと。……ですが、それが一家の、ひいては人々の不興を買ってしまいまして。程なくして追放令が下ったということです」
ミシュエルが言葉を切ると、後には重たい沈黙だけが残る。慰めたいけれど、私はかける言葉を見つけられずにいた。それが情けなくて、ぎり、と拳を握りしめる。
「笑うならいくらでもどうぞ。騎士団の任を解かれて流浪の身となり、それでもなお、この国に戻ってきたいと思う、未練がましい私を」
続く言葉は自嘲だった。その声色は痛々しくて、とても笑う気にはならない。もう何も言わないで、自分を傷つけないで。そう言いたかったけれど、私は言葉を飲み込んだ。代わりに、私はミシュエルの顔を見つめる。
「笑わないよ。それだけミシュエルはこの国が好きってことだよね。……違う?」
私が言うと、ミシュエルはふわりと、しかしどこか悲しげに微笑んだ。
「ええ。国を出てからよく夢に見たものです。十年は長く思えるかもしれませんが、私にとっては、たった十年ですからね」
ああ、やっぱり、彼はこの国を嫌っていないんだ。嫌われ、はぐれ者となっても、憤ることをせずに一人悲しみに暮れる。きっとこの国に戻ってきてからずっと、葛藤していたに違いない。
「じゃあさ、もう一度、ミシュエルのお兄さんと話をしてみたらどう? もし仲直りするつもりがあるなら、このままもやもやしてるよりは一度ちゃんと話をした方がいいと思うんだ」
私は明るい声で提案した。この街を出てしまえば、再び訪れるのはずっと後になるだろう。それならば、今のうちにできることをした方がいい。私の言葉に、先にカイトがため息をついた。
「仲直りったって、アレだぜ? 門前払いされるのがオチじゃねえか?」
「そうかもしれないけどさ、行動しない後悔より行動した後悔の方がいいでしょ?」
もちろん無理強いはしないけれど、気持ち悪いままでいて欲しくない。カイトはまだ何か言いたそうだったが、それを遮って小さな笑いが聞こえた。
「そうですね。久しぶりに、実家に顔を出すとしましょうか」
そう言うミシュエルの顔は、すこし明るくなっていた。そのことに少し安心する。と、ミシュエルはソファから立ち上がった。
「今日はもう遅いですし、明日に備えて休みましょうか」
そう言って、ミシュエルは部屋からふらりと出ていく。彼を追って、カイトも部屋から出る。ミシュエルの雰囲気は少し心配だけれど、カイトがいるなら大丈夫だろうか。私は立ち上がり、自分の荷物を整理した。
ようやくミシュエルとカイトの過去が明かせました。ずっと回収したかった内容の一つでした。




