4.思惑と信頼と
国王に謁見した後、私は宮殿内にある客室に案内された。アッグやカイト、ミシュエルとは別の部屋だ。いろいろ配慮してくれたのだろう、私が一部屋貸し切っている状態だった。
ベッドの上に仰向けに倒れ、部屋を見回す。大きな部屋だ。今まで泊まった一般的な宿よりも確実に広い。それに内装もよく気が配られていた。壁には絵画が掛けられ、花瓶には綺麗な花が生けられている。ベッドも肌触りのいいシーツが敷かれ、柔らかくて気持ちいい。さらにはゆったりくつろげそうなソファまであった。私一人が使うには好待遇過ぎるんじゃないかと思ってしまう。
って、そんなことを考えるために休んでいる訳じゃないんだ。彼らの要求に応えるかどうかを決めなければ。
世界を統べる全帝となり、人々をよりよき方向に導く。それは決して易しいことではない。けれどかつての星護が成し遂げたからこそ、同じ星護として期待をかけられてしまっている。統治は今を見つめ未来を見通さねばできないことだ。いっそお伽噺の勇者のように強大な敵を倒せと言われる方が、刹那的で気が楽かもしれないとさえ思ってしまう。
しかも、道のりには大きな障害が見えている。エルフの人達が悪しき帝国と呼んでいた国。私は起き上がって地図盤を取りだした。それによれば、「帝国」と名の付く国は大陸中央部にあるケルトーニィ帝国ただ一つ。現在の国土は広く、おそらくこの世界で一番大きい国だ。温暖な地域が含まれていることもあって、国力は相応に大きいはず。反抗しても勝てる見込みは少ないだろう。
仮に勝てても被害は大きくなる。戦いは相手の士気をくじけば犠牲を少なくできるらしいが、大国相手では通用するのは最初だけに違いない。太平洋戦争の日本とアメリカの関係を思えば何となく予想が付いた。それに、戦場となり得るのは武力支配を受けた場所。帝国に占拠されたあとでまた争いが起これば、もともとそこに住んでいる人達にとっては迷惑だ。例え正義を振りかざしたところで、その問題は解決しない。だから、私は反帝国戦争の指導者にはならない。
それは決められるけれど、どうやって皆を納得させればいいんだろう。戦って帝国を倒すべきだと考えている人達に、なんて言えば伝わるんだろう。やっぱり、代替案を考えるべきかな。こうするのはダメだって言うのは簡単で、誰でもできる。ダメなのはわかっていても、それ以外の道が見えなければ進むしかないのだ。だから、反論するなら実行できる別の案を用意しないと――
ノックの音に私ははっとした。慌てて返事をすると、聞き慣れた声が入ってくる。開いた戸の前で立っていたのは、やはりミシュエルだった。
「ずいぶん考え込んでいたようですが、いい案は浮かびましたか?」
「それが、あんまり……」
ミシュエルは笑顔で尋ねた。答えづらく、私は曖昧に答えて目をそらす。と、陶器が机に載せられる音がした。
「どうです? お茶でも飲んで一息ついてみては」
見ればテーブルの上には白いポットとカップ、それからお菓子の載ったお皿が置かれていた。ミシュエルが気を利かせて持ってきてくれたらしい。
「ありがとう。もらうね」
気遣いに素直に感謝し、彼を見上げる。お茶が注がれる間、私はお菓子を手に取った。それは花びらの砂糖漬けで、鮮やかな花びらが氷の化粧をしているようで美しい。口に含むと甘さと爽やかな風味があった。用意してくれたお茶は白濁していた。一口飲めば茶葉の香りとミルクのまろやかさが広がる。美味しくて、私はほうと息を吐いた。
状況もわからないまま、まくし立てられていた私を気遣ってくれたんだ。私は微笑んでいる彼を見上げた。大人だからなのか彼の性質なのか、ミシュエルは細かいところにも気付いてくれる。故郷だと言っていたし、状況が予想できるからこそ余裕なのかもしれない。
それにひきかえ私は、ばたばたしたせいで考えもまとまっていない。せめて事前にわかっていたら、ある程度対策も考えたのに。そういえば、この国に来ようと思ったのはミシュエルが提案したからだっけ。
そう考えたとき、私は電撃のような衝撃に見舞われた。半分ほど残ったお茶の液面に自分の顔が歪んで映る。震えそうになる手を抑えてカップを戻し、ミシュエルを見上げた。
「もしかして、最初からこれが目的で私をここに連れてきたの?」
「目的?」
声を抑えてミシュエルを睨み付ける。問われた本人は何のことかわからないとばかりに目を瞬かせていた。私は一呼吸置き、静かな声で言い直す。
「私が星護だとわかったから、星護を求めているこの国に連れてきて全帝にしようとした。……違う?」
ミシュエルの顔から表情が消えた。何を考えているのかわからない、凍りつくような顔。見つめられているだけで背筋がぞっとする。二呼吸ほどの沈黙の後、ミシュエルは不敵な笑みを浮かべた。
「ええ。最初にあなたを見たときは、あなたに我々の指導者になるようにと考えて、この国に来るよう誘いました。あわよくば、星護様を連れてきたという功績で再びこの国にいられるのではないか、とも考えておりました」
ミシュエルは私を見下ろしながら語る。ある程度覚悟していても、実際に告白されるとショックを受ける。というか、私の想像より腹黒いことを考えていたんだ。呆然としていると、ミシュエルは私の足下で跪いた。
「ですが、それも最初のうちだけ。今はあなたの意思を尊重し、それに付き従いたいと考えています」
まるで従者であるかのように、ミシュエルは恭しく頭を下げる。戸惑う私の手を取り、愛おしげに撫でた。
「私の体はすべてあなたに捧げるつもりです。あなたのためなら、命を捨てることだって――」
「やめて」
私はミシュエルの手を振り払った。驚いた深青の瞳が見上げてくる。何が気に障ったのかわからないという顔だ。その表情が余計に苛立ちを募らせる。
「私のために命を捨てるとか、軽々しく言わないで。ミシュエルも、この国の人達も――。私は力が強い訳でもないし、世間知らずで大したこともできやしない。そんな子供に期待して、命運を託すなんて間違ってるよ!」
私はいつの間にか叫んでいた。溜まっていた感情が爆発した感覚。つい我を失いかけるほど抑圧されていたのかと、自分でも驚いていた。興奮を落ち着けようと大きく息を吐く。ミシュエルは瞬きしてこちらを見つめていたが、やがてすっと立ち上がった。
「完璧な人間だから他人の力を使うのではなく、一人で全部はできないからこそ、他人を頼るのでしょう?」
私は反射的に顔を上げた。水色髪の彼は優しい顔をしていた。大きな手が私の頬に触れ、首元まで撫でられる。
「私はあなたの心に惹かれ、あなたの欠点を埋めて助けになりたいと思っているのです。カイトやアッグも、同じように考えているでしょう。だから一人で抱え込まず、もっと頼っていいんですよ」
子供をあやすような優しい手つきで、甘えてしまいそうだ。けれどここで素直に従うのも悔しくて、つい意地を張る。反論しかけたとき、ミシュエルと目線の高さが合った。
「それとも、我々では頼りないですか?」
目の前の彼は悲しげに微笑んでいた。……反則だ。そんな風に言われてしまったら、何も言い返せないじゃないか。出かけた言葉を飲み込み、精一杯ミシュエルを睨む。私の見ている前で彼の表情はふっと緩み、長い耳が少し揺れた。
「大丈夫です。あなたは十分に、世界を救いうる素質を持っていますよ」
「それは、私が星護だから?」
私が尋ねると、ミシュエルはいいえ、と首を振った。
「あなたが、あなただからです」
なんとも要領を得ない答えに、私は首を傾げた。ミシュエルは楽しそうに笑う。
「あなたは時々、我々が思いもしないような行動をしてくれます。それも、さも当然のように。あなたには、世界が我々とは違って見えるのかもしれませんね」
私はどう反応していいかわからなかった。たぶん褒めてるんだろうけど、さりげなく変な人って言われたようにも聞こえる。何か言い返そうと口を開きかけ、ふっと妙案が浮かんだ。
「そっか、その手があったんだ」
一人で納得して手を叩く。代替案としては弱いが、口実くらいには使えそうだ。そんな私を見て、ミシュエルは不思議そうに私を見つめた。が、その表情はすぐにいたずらっぽい笑みに変わる。
「何か浮かんだみたいですね?」
「まあね」
答えることはせず、私は笑顔を返すだけにとどめた。




