3.そんなこと言われても
車から降りた私は目の前の建物に圧倒されていた。まず目を惹くのはその大きさだ。正面の玄関を含め、一連の建物が視界いっぱいに見える。全部は見えないが、奥行きも相当だろうと予測できた。それに、全体的に立派な建物だ。壁は綺麗な白木で作られ、瓦の屋根が堅牢な印象を与える。所々に施された装飾も手が込んでいる。きらびやかというより、落ち着いた味わいのある模様だ。
建物は別個の小屋が渡り廊下で繋がっている造りになっていた。廊下と小屋の間、中庭部分には木々が生え、緑が生い茂っている。それも庭のために植えられたのではなく元からそこにあるらしく、樹齢が千年は超えそうな大樹もいくつかあった。森を縫うようにして建てられた宮殿、と言うのがふさわしい。
宮殿では門番のアームバロンさんに代わり、宮仕えの人に案内された。長い廊下を歩き、ちょうど敷地の真ん中にあるという立派な御殿に通される。中では数人のエルフ族が机を囲んで座っていた。そのうちの一人、一番奥に座る豪華な服の人が立ち上がる。その人は椅子を戻すと私の前で跪いた。
「お待ちしておりました、星護様。私はここシルフェリオ王国の国王です」
国王と名乗ったエルフの人は深々とお辞儀する。まさか一国の王にひれ伏されるとは思わず、私は面食らった。しかも同席していた人達まで頭を下げるもんだから、逆に圧倒されて動けなくなってしまう。
「どうぞお掛けになってください」
使用人らしい一人に促され、私は用意された席に着いた。ひれ伏していた人々もそれぞれの席に戻る。ただ余分な席は私が座っている一つだけで、あと三人が座れる場所がなかった。そのことでカイトは不平を漏らしたが、彼の言葉を気に懸ける人はいない。私が言ったら椅子だけは私の後ろに用意してくれたけど、どうしてこうも扱いの差が極端なんだろうか。
全員が座ったところで、国王がひとつ咳払いをした。
「では本題に入りましょう。単刀直入に言いますと、我々は星護様に世界を統べる“全帝”になっていただきたいのです」
「全帝?」
「ええ。星護は世界をより良く導くために選ばれた存在。故に全世界を統べる王となる資格があるはずです」
シルフェリオ国王はさも当然という様子で話を進める。けれど星護という存在自体ついさっき知ったばかりの私にはスケールの大きすぎる話だ。助けを求められても、はいやりましょうと即決できる内容でもない。
「そんな、いきなり言われてもできません。政治に関わったこともありませんし、星護というだけでそんな大役……」
私は一介の旅人だ。企業のリーダーだったわけでもないし、ましてや政治家でもない。少人数だってまとめられる保証もないのに、どうして世界の人をまとめられるだろうか。第一、国レベルでなく世界全部なんて、いくらなんでも無理がある。だが私の考えをよそに、国王は笑顔だった。
「千年以上前、星護・アストロディア様はいがみ合う国々をまとめ、その頂点に立つ“全帝”として君臨しました。続く星護も世界を束ねる王となったのです。ですから、あなたもまた良き王になれるでしょう」
星護が世界を治めれば良くなると、何の疑いもしていない顔だ。私にはそこまでの力はないというのに。そう思ったが、私は力量について論議するのはやめた。これ以上口頭で議論したところで進展しない。だから代わりに別の質問をする。
「どうして“全帝”が現れることを望んでいるんですか?」
私の言葉に、エルフ達の顔が険しくなる。嫌なものを思い出してしまったというようなしかめっ面だ。しばらく微妙な沈黙が続く。やがて一人が机を叩いた。
「帝国の、悪行を止められるのは、星護様以外におりません」
言い出した人はぎりりと拳を握った。察するに外交関係のいざこざだろうか。ただ世界の情勢に疎いせいでいまいちピンとこない。
「その帝国と、何があったんですか?」
さらに質問を重ねると、部屋はにわかに騒がしくなった。
「帝国は世界を手中に収めることに熱心で、支配のためならどんな手も使ってきた。ここはまだだが、攻め込まれるのも時間の問題だろう」
「何より奴らは、我らの同胞を引き抜き、悪行の片棒を担がせている! このままのさばらせておくわけにはいかん!」
一人の叫び声が部屋中に響き渡る。一瞬静まりかえったあと、一番近くの席に座っていたエルフに懇願の眼差しを向けられた。
「星護様、どうか迷える人々を導き、悪しき帝国を討ち滅ぼしてください」
まっすぐ見つめてくる瞳に私はたじろいだ。内容がもっと平凡なものなら、すぐに承諾してしまいそうな迫力があった。
「討ち滅ぼす、たって……」
「確かに帝国は今や強大な国力を持っています。しかし貴方が声をかければ、帝国に反感を持つ者が集まり、十分に対抗できるでしょう」
弱気な声を出すとさらに詰め寄られる。全員の目がこちらに向けられていた。彼らは勝利の可能性の低さに私が躊躇したのだと思ったのだろう。けれど、私が心配しているのはそこではなかった。
「つまり私に――反乱戦争の指導者になれと、そう言うんですね?」
私は静かな声で尋ねた。席に着いているエルフ達は一様に頷く。訂正の言葉は入らなかった。落胆を隠し、私は小さく息を吸った。
「申し訳ありませんが、その要求には応えられません。私は戦争なんて仕掛けたくありません。私は、私のためにと言って人が死ぬのは、見たくないんです」
震えそうになる声を絞り出す。息を呑む音が聞こえた。後ろの椅子に座っている三人からも驚きの声がこぼれる。直後、いきり立つ声が部屋内を揺らした。
「何故です!? 国のため、いえ、世界のためなら我々は命など惜しくありません!」
「帝国に与するのは卑しい者達ばかりです! あのような者達は早々に――」
「甘いのは私もわかっています!」
彼らよりも大きな声で言い返した。私の声に驚いたのか、その場はしんと静まりかえる。誰もが目を見開いていた。呼吸を落ち着け、皆を見渡す。
「私は、できれば争いを起こしたくありません。所詮は若年者の甘ったれた幻想かも知れませんが、それでも軍勢を率いて敵を倒すのは最終手段にしたいんです」
私はできる限り懇願した。けれど、どのくらい彼らに届いただろうか。態度からして、彼らはきっと恨みを募らせている。戦わずに和平で収めるのは生ぬるいと感じてしまうだろう。事実、その場にいる人々は納得できないという表情をしていた。
「戦わないのであれば、帝国を今のままのさばらせると? それとも、何か策でもあるのですか?」
疑いの目で問い詰められる。私はすぐに答えることができなかった。具体的な策は何も考えていなかったのだ。何も言わなければ、彼らだって納得してくれない。それはわかっていたが、とっさにいい案も浮かばなかった。だから答える代わりに、顔を上げてまっすぐ皆を見つめる。
「少し、時間をください。自分が星護だというのもついさっき知ったばかりで、考えることが多すぎて――明日までには、依頼を受けるかどうか決めますから」
「いいでしょう。部屋を用意します。ゆっくり決意を固めてくだされ」
私の申し出に、国王は快く承諾してくれた。懐の広さに感謝し、私は深々と頭を下げた。




