11.国境付近
取り憑いていた魔物を退治すると、馬に似た動物、ホウサーは暴れていたのが嘘のように大人しくなっていた。ただ左目がかゆいらしく、しきりに顔をこすりつけている。やがて飼い主がやってきて、口元に縄を繋いだ。
「ありがとうございます。おかげさまで私もこいつも助かりました」
飼い主である狐族の人が頭を下げた。薄茶色の毛並みをした耳もぺたりと倒れている。飼い主は顔を上げ、思い出したように懐から袋を取りだした。
「少ないですが、これを受け取ってください」
そう言って、少し膨らんだ布の袋を渡された。持つと確かな重みがあり、金属がふれ合う音が聞こえる。そっと口を開いてみると、銀色の硬貨が数枚入っていた。
「取り憑いていた魔物は退治しました。ですが後遺症があるかもしれませんので、念のため獣医に診てもらった方がいいでしょう」
「はあ、そうですか。わかりました」
ミシュエルが提言すると、狐族の人は意外そうに目を丸くした。これで全て終わったと思っていたのかもしれない。けれど私たちは動物の健康状態には詳しくないし、できれば専門家の意見を仰いだ方がいいと思う。こんな場所だと負担は大きくなってしまうだろうけど――そう思った私は、そっと魔石をその人のカバンに入れた。取り憑いていた魔物を浄化して得た小さなものだけど、純魔石は高価らしいし足しにはなるだろう。
あてがわれた部屋に戻り、私はベッドに倒れ込んだ。緊張から解放され、いっそうの疲労感がマットに沈み込む。装備を外すのも億劫で、私は掛け布団の上で寝転んでいた。ぼふんっと布が弾む音が聞こえてくる。
「ったく、結局仕事させられたんじゃねえかよ」
カイトが不満をこぼした。苛立たしげに髪の毛を掻き上げる音が聞こえてくる。それに答えたのは、短いため息。
「仕方ないッスよ。ここの人だってこんな事件が起こるなんて思ってなかったはずッス」
「それはわかるんだけどな」
鎧を鳴らしながらアッグがたしなめる。カイトは苦い物を噛んだような声で答えた。言いたいことは何となくわかる。休めると思った矢先に大きな動物が暴れたのだ。愚痴だって出るだろう。私も今、動きたくないくらい疲れてしまった。
「って、デュライアは生きてるのかー?」
「ん」
声をかけられ、私は目を開けた。このまま寝ていたいけれど、それじゃ心配されてしまう。眠気を追い払い、ゆっくり体を持ち上げる。重たい何かが頭を揺らし、視界が一瞬点滅した。頭を振ってなんとか持ち直し、ベッドに座った。
「デュライア、疲れているなら無理はしない方が」
ミシュエルが心配そうにこちらを見つめてくる。そんな彼に私は笑みを作った。
「大丈夫だよ。寝転んだらうっかり寝そうになっただけ。それに、このままじゃ寝にくいからね」
言ってから私は腰に帯びた剣を外した。鞘にはまった愛剣をそっと近くに立てかける。靴を脱ぎ、ベッドの傍に並べた。服は――みんないるし、着替えるのはよそう。防具も兼ねた上着だけ脱いでカバンに乗せ、私は布団に潜り込んだ。体を横たえると、やはり眠気が押し寄せてくる。
「オレも寝る」
カイトの声に続いて、ばさりと布がはためく音が聞こえた。たぶん布団に入ったのだろう。寸の間の沈黙が訪れた。
「おやすみなさい、二人とも」
「うん、おやすみ……」
ミシュエルの声に私は半ば上の空で答えた。二人は眠ったのかな、なんて確認する間もなく、私は夢の世界へと旅立っていた。
翌日、集落を後にした私たちはまた山道を登っていた。その道は狭く、ところどころ岩が露出していて歩きにくい。この国は綺麗な道が多かったのに、ここはどうして違うんだろう。
「この辺の道、手入れがされてないのかな」
「仕方ありませんよ。こんなところまで来る物好きはそういませんから」
私の独り言にミシュエルが答えた。答えてくれたことにも驚いたけど、それ以上に言葉の内容の方が気になった。
「どういうことッスか?」
私が尋ね返す前にアッグが問いかける。ミシュエルは歩きながら、困ったような笑みを浮かべた。
「この先にある国、シルフェリオはどことも交易をしていないのです。よほどのことがない限り国内には入れませんし、そんな国ですから旅人もまず来ようとは思いません」
だから人もほとんどすれ違わないし、整備にも力がはいっていないのか。と、納得しかけたところで新たな疑問が湧いた。
「よほどのことがない限り国内に入れないって、今から私たちが行っても大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫です。心配はいりませんよ」
私が口にした不安はほぼ即答で切り捨てられた。尖った耳を持つ彼の顔は自信満々に見える。入れる保証はあると疑っていない様子だった。そこまで言うのなら、心配しなくても大丈夫だろうか。シルフェリオはミシュエルの故郷だって言ってたし、顔なじみでどうにかなるのかもしれない。
また無言になって、荒れた坂道を登っていく。この道の先にあるのは、いったいどんな国なんだろう。疲労に反比例するかのように期待は高まっていく。はやる気持ちのせいで、私はあることが気になった。
「カイトはシルフェリオに行ったことはある?」
私は後ろを歩く彼に振り向いた。旅をしていたときに行ったことがあるなら、今回の私たちだって入れる可能性が高いはず。そんな期待を込めて、彼の答えを待った。
「あると言えばあるが……」
紫の瞳をちらと向けただけで、カイトはすぐ目をそらしてしまう。私にはその真意を汲むことができなかった。話題を変えた方がいいのかと、少し考える。
「そのときは、どうやって入っ――ひっ!?」
カイトに鋭く睨まれ、私は二の句が継げなかった。それ以上何も聞くなという無言の圧力が突き刺さる。出会ったときに向けられたのと同じ、敵意のこもった視線。そんなに思い出したくない出来事でもあるのだろうか。なんだか、国境を越えたら問題に巻き込まれるんじゃないかという気さえしてくる。質問の意図とは裏腹に、私の心には不安が残ってしまった。
今回で6章は終了! 次回からは新章に突入します。
謎が明らかになるのは――いつになるんでしょうか(白目




