10.暴れた動物
休憩所で話し込んでいた私たちは、昼時をすっかり過ぎた頃にアウジリオさんたちと別れた。自分の影がどんどん長くなっていくのを見つつ、坂道を登っていく。息が上がり空も赤みがかってきた頃、小さな集落が目に入った。石造りの家が寄り添うようにして集まり、小屋の中で馬に似た家畜が草を食んでいる。
「今夜はここに泊めていただきましょうか」
「賛成ッス」
ミシュエルの提案にアッグが乗っかる。野宿よりは建物の中で休みたいし、私も異論はない。しかし、見えている集落は小さかった。私たちみたいなよそ者を、快く泊めてくれるだろうか。
けれど私の心配は杞憂に終わった。こちらに気付いた人々は温かく私たちを迎えてくれたのだ。
「ようこそ、旅の方々。このような場所まで来ていただいて光栄です。さあ、どうぞこちらへ」
代表らしい山羊族の人に連れられ、私たちは公民館のような場所に案内される。ただ机とベッドがあるだけの場所だが、そこに寝泊まりしていいとまで言ってくれた。
「ずいぶん気前がいいみたいだが、オレ達に手伝わせたい仕事でもあるのか?」
ベッドに座るなりカイトが言った。からかうような声だったが、相手はそれに動じた様子はなかった。
「滅相もございません。旅人はきちんともてなすのが礼儀でしょう」
そう言って、山羊族の人はにこにこ笑っている。本当にただの好意みたい。カイトはやっぱり不満げな顔をしていたけれど、ここは素直に甘えちゃおう。
私はカバンを置いた。ベッドの上に腰掛けてくつろぐ。少しクッションが硬くて座り心地がいいとは言えないけれど、足を休めるには十分だった。
突然けたたましい音が響いた。木の板が叩かれ折れる音。遅れて悲鳴も聞こえてくる。音がするのは外の方だ。事態の異常さを感じ、私たちは外に飛び出す。
「大変だ、ホウサーが暴れてるぞ!」
誰かが叫んだ。声に振り向けば、馬に似た動物が後ろ足を持ち上げていた。そのたくましい足で小屋を蹴り、蹄が壁を破壊する。粉々になった石壁がもうもうと立ち上った。ホウサーというその動物は甲高い声を上げる。と、こちらに勢いよく突進してきた。慌てて飛び退き、直撃を回避する。
「誰か! 止めてくれ!」
悲鳴が上がった。言われなくとも止めるつもりだ。剣に手を掛け、暴れる動物を見据える。ホウサーはばたばたと走っていってしまう。
『土壁よ!』
カイトが傘を突き出して叫んだ。土が盛り上がり、ホウサーの突進を妨げる壁となる。胴体を壁にしたたかにぶつけ、相手はよろめいた。が、すぐに立ち直り、前足で壁を破壊する。
『眠れ』
ミシュエルが短く詠唱した。風がふわりと相手の顔周りを覆う。ホウサーはよろよろと座りこむかに見えた。が、どういうわけか立ち直し、鋭く鳴いた。眠りの魔法が効いていないのだ。たてがみを振り蹄を打ち鳴らす相手はまだ元気いっぱいに見える。
私は剣に魔力を集め、意識を集中させた。イメージを具現化させ、動物に電撃を喰らわせる。少し動けなくするだけだ。出力はしびれさせる程度に抑える。痛みにホウサーは鳴き、足下はよたつく。それでも倒れるには至らなかった。むしろ怒らせただけだったようで、滾った双眸がこちらを睨んだ。栗色の体躯が突進してくる。私は横に飛び、ぎりぎりで突撃を躱す。すれ違いざま、細長い顔がはっきりと見えた。目元に赤黒い塊がこびりついていることまではっきりと。
「っ――!」
目のことに気を取られていたせいで、私はバランスを崩していた。立て直せず、尻餅をついてしまう。幸い、勢いの付いていた相手は向きを変えきれずにいた。ばたばたと足をならす間に急いで立ち上がる。
「その子、目を、左目を怪我してる!」
私は大声で報告した。それを聞いた皆の顔に納得が浮かぶ。何があったのかは知らないけれど、あの怪我が興奮の原因になっているに違いない。そうとわかればやることは一つだ。
カイトが魔法を唱えた。狙いを定め直したホウサーの足下が地面に縫い付けられる。四肢を掴まれたホウサーは逃れようともがいた。
「大人しくするッス!」
アッグが大きな体を掴み、地面に押さえつける。リザード特有の怪力が相手を圧倒し、ホウサーは地面に座りこむ。さらに太いツタが栗色の体躯を縛り付けた。ミシュエルが魔法のツタで束縛したのだ。
私は身動きの取れなくなったホウサーに近づいた。縛られた相手はなおも抵抗し、大人しく傷を見せてくれない。私は暴れ狂うホウサーの鼻筋をそっと撫でた。
「大丈夫、すぐによくなるから」
何度か撫でると落ち着いてくれたらしく、傷ついた左目がこちらをじっと見つめていた。
そこで改めて目元を観察する。目の周りには放射線状に赤い筋が付いていた。赤黒いそれは傷というより血管そのものが浮き出ているようにも見える。心なしか、不規則に脈打っているようだ。ただの傷ではないのだろうか。そう思ったとき、赤黒いそれが芋虫のようなにぬっと皮膚から突き出した。ぬるぬると緩慢な動きでゆっくりと伸びてくる。
「わあああ何これええっ!?」
あまりの気色悪さに思わず大声を上げてあとずさってしまった。その間にも“何か”は目元から這い出てくる。固まった血の色をし、ぶにっとした芋虫に似ている不気味なカタチ。蛇のように佇んで、まるで獲物を狙っているようにも見える。いったいこの動く血管蛇は何?
「デュライア、そいつは魔物だ! 取り憑いて操ってやがった!」
カイトの声に私は我に返った。剣を握り、うごめく物体を見据える。こいつが今回の元凶だったんだ。なら早々に倒してしまおう。私は剣を水平に振り、飛び出た魔物の体を斬った。だが致命傷ではないらしく、さらに体が伸びてくる。再び斬り飛ばしたが、先が切れただけで倒せなかった。
ぱあっと淡い光が現れた。途端に魔物は奇声を上げ、ぼたりと宿主から落ちる。完全に外に出た魔物は苦しんでもんどり打っていた。うう、気持ち悪い。そんな感想を振り払い、魔力に意思を宿す。炎が血管蛇を焼いた。魔物は悲鳴を上げ、そのまま消滅する。後には小さな魔石だけが残った。




