9.旅をするということ
整備された街道をひたすら歩く。ならされているが上り坂で、斜面を緩やかに登る道だ。斜面には濃い緑の硬葉樹がまばらに生え、その根元に寄り添うようにして小さな花が咲いている。なんだかハイキングをしている気分。植物の種類は地球と違うけれど、山登りであることに変わりはない。
がさり、と影が動いた。伸びるその姿に思わず身構える。逆光の中、細長い姿が頭上に現れた。咄嗟に横に飛ぶ。牙が食い込み土煙が上がる。もうもうと立ち上る土煙の中で、鈍い光が輝いた。細長い体に緑と黒の複雑な模様。大蛇だ。長さは私の身長よりもあるだろう。しかもただの蛇ではなく、胴体が途中で二つに割れ、その先にマムシに似た三角の顔が一つずつ付いている。双頭の蛇だ。
私は腰に帯びた剣を抜き放った。双頭の魔物は跳び上がる。大きな口が開かれ、中の赤い色が見える。攻撃は二点。どちらかだけを防いでも一方は確実に私に当たる。そう直感した私は簡易な魔法障壁を作り出した。ぶつかった大蛇は反動で後ろに飛んでいく。
『氷塊よ』
カイトが唱えると、上空に氷の塊が現れた。透き通るそれは大蛇の上に落ち、そのまま地面に叩きつける。魔物はまだ生きていたが、衝撃のためか動きが鈍い。そこへアッグの斧が真上から振るわれる。重たい刃は二つの頭を切り離す。分けられてただの大蛇にされ、魔物はシューッと鋭い声を上げた。傷口からどくどくと茶色の体液があふれていたが、まだ苦しそうにもがいていた。
う、動いてる。まだ息があることに、私は気味の悪さを覚えた。が、逃げたい気持ちを抑えて剣を握りしめた。鋭い切っ先を脳天に突き刺す。音が弾け、魔物の半身は魔石に姿を変えた。残った頭は逃げようと体をくねらせたが、炎によって焼かれてしまう。ぶすぶすと黒こげになったのを見て、ようやく終わった――かに思えた。
「デュライア、伏せて!」
「へっ!?」
ミシュエルの鋭い声が飛んだ。意味がわからず混乱しかけたが、すぐに屈んで体勢を低くする。直後、冷気が背筋に触れた。ゴトンと鈍い音が背後に転がる。おそるおそる振り返ると、氷漬けにされた双頭蛇がそこに転がっていた。もう一匹、隠れてこちらを狙っていたのだ。その事実に今更ながら肝が冷える。
ミシュエルは凍った蛇の上で手をかざした。氷にヒビが入り、蛇の体ごと粉々に砕け散る。もはや元が何であったのかすらわからない肉片があたりに散らばった。正直、言葉にしたくないくらいグロい。それを作り出した張本人は穏やかな顔をこちらに向けた。
「怪我はありませんか、デュライア?」
「うん、大丈夫。ありがと、ミシュエル」
私は立ち上がった。お礼を言うと、ミシュエルはどういたしましてと微笑んだ。
二人とも、もう本調子だ。カイトが倒れたときはどうなるかと思ったけれど、いつも通りに戻ってくれたことに安堵する。私は剣を収め、歩き出したカイトとアッグの後を追った。
さらに坂道を登っていくと、道端に休憩所が見えた。無人の小屋だが、椅子と机が用意してある。そろそろお昼時だ。ここらで休んでいこう。全員の意見は一致し、私たちは休憩所に入った。
中は空調が効いていて涼しく、ほんのり香る木の匂いが気持ちいい。透明な窓が四方に貼られ、景色もよく見える。
私たちは食料を取り出した。固焼きのパンと燻製の肉、それから緑色の丸い果物。肉の燻製は軽くあぶって柔らかくし、パンに載せてかぶりつく。胡椒と香ばしさが絶妙に合わさって美味しい。固い上に喉が渇くのが難点だけど。水筒の水を流し入れ、私は果物に手を伸ばす。表面の皮は固いが、ナイフで割れば中から果汁があふれてくる。さくっとした歯ごたえとほどよい酸味。例えるならスイカとミカンを足して2で割った感じだろうか。果物は爽やかな味わいで、口に含むと元気になった気がした。
そうして昼食を食べ終えた頃。休憩所の戸が開けられる音がした。
「おお、先客がおったか。ちょっくら邪魔するぜ」
虎族の男性が人なつっこい笑みを浮かべて入ってきた。その人は黄金色の毛並みに黒の縞模様が入っていて、強そうな印象を受けた。虎族の人に続いて、さらに二人の獣人も休憩所に入ってくる。一人は灰色の毛並みをしたフェンリル族だったが、手の先が黒い毛で覆われ、尻尾もふっさりと大きい。もう一人は赤茶色の毛をしたたくましい人で、翼に似た耳と先がふわふわした尻尾をしている。それぞれが武装しているところを見ると、彼らは旅人のようだ。
「あなたたちは4人でパーティを組んでるの?」
「ええ。ここにいる4人で旅をしています」
羽耳の人が尋ね、それにミシュエルが答えた。体はたくましいけれど、羽耳の獣人は女性の声だった。女性は私たちをじっと見つめ、何か考える仕草をしてから口を開いた。
「珍しいね。そこのリザード族はともかく、人族とエルフ族がそろってるなんて」
彼女の言葉にアッグは「俺だけはずれにされたッス!?」と抗議の声を上げたが、私は彼女がそう思うのも無理はないと思った。
私やカイトのような人族は、町中でも見かける機会は少なかった。エルフ族に至っては、ミシュエルとコルシの街で出会ったどこかの隊長らしい人以外は会ったことがない。だからリザード族に加えエルフ族と二人の人族という面子の私たちは物珍しく感じられたのだろう。
「お前が言えたことかよ、ホロ」
虎族の人が羽耳の女性を小突く。ホロと呼ばれた女性はむっと眉をつり上げた。どういうことなんだろうか。確かに女性――ホロさんの姿はこれまで見てきた種族のどれにも当てはまらない。だから混血なのだろうかと勝手に思っていた。でもこの国では混血は多いらしいし、口ぶりからしてどうも違う気がする。聞いてみたいけれど、失礼に思われるだろうか。そう思っていると、今まで黙り込んでいた狼顔の人が視線をこちらに向けた。
「ホロは、鳥獣族という種族だ」
「鳥獣族?」
腕を組む男性の言葉に、私はオウム返ししてしまう。聞いたことのない種族名だ。こっそりメモ帳を取り出すが、そのような名前の種族は書いてない。ちらりと皆の顔をうかがうと、カイトもアッグも怪訝な顔をしていた。ということは、それだけ知られていない名前なのだろうか。ただミシュエルだけは思い当たった顔をしていた。
「ひょっとして、東方の国モンツォに住むという種族のことですか?」
「正解。私はモンツォ出身なの」
ミシュエルの問いかけに、ホロさんは胸を張って答える。地図盤によれば、モンツォとは大陸の東側にある内陸の国のようだ。大陸の西側であるここからは、陸路ではかなり遠い。
「自己紹介が遅れたね。私は鳥獣族のホロ。同じ旅人同士よろしく」
そう言ってホロさんは笑った。翼の形をした耳が小さく揺れる。続いて虎族の男性が自分の胸を叩いた。
「俺はアウジリオっつーんだ。見ての通り、虎族な」
アウジリオさんは快活に笑う。大きな口から牙が覗いた。
「……シルヴェリオ」
最後にフェンリル族(?)の男性が会釈した。それっきりシルヴェリオさんは無表情で黙り込んでしまう。無口な人だ。
こちらの自己紹介も終わると、世間話が始まる。私はホロさんを見上げた。
「モンツォってここから遠いですよね? ホロさんはどうして旅に出たんですか?」
当たり障りのない普通の質問。ホロさんは腕を組んで耳を動かした。
「私の故郷はね、けっこう閉鎖的なの。だから他の国がどうなってるのか気になって、出てきたというわけ」
私は遠い異国の話に興味を持つのと同時に、彼女に親近感を覚えていた。細かい部分は違うけれど、世界を見て見聞を広めようとしている点では私と同じだ。私はいつの間にか、テーブルの向こうにいる相手に身を乗り出していた。
「私もです。私も世界のいろんな場所を見て回りたくて旅をしているんです」
「へえ、若いのに立派なのね」
ホロさんは顔を輝かせて感心している。私の場合は半ば追い出されるように旅立ったから、そこまで感心されることではない。でも今は純粋に旅というものを楽しんでいるから、何も反論しないでおこう。
「俺は弱い人を守れる旅人に憧れててな、人助けしたいと思って旅立ったんだ」
虎の人、アウジリオさんが細長い尻尾を揺らしながら言った。曰く、色々な場所で人助けをしながら経験を積めるから、旅人は好都合だったのだという。アウジリオさんの話はまだ続く。
「シルヴェリオは俺の意見に賛同して付いてきたんだぜ」
彼の視線に釣られ、難しい顔で黙っているシルヴェリオさんを見る。彼は何も言わなかったが、少なくとも訂正するつもりはないらしい。今更だけれど、いろんな人がいろんな思いで旅をしているんだなあと改めて思う。百人に聞いたら百通りの答えが返ってきてもおかしくない。
「で、そっちはどう? 良ければ旅の理由を教えて欲しい」
ホロさんは楽しそうに尻尾を揺らして、控えていた男性陣に視線を向けた。話題を振ったのはホロさんだけど、私もちょっと気になる。私は話を聞く準備をしながら彼らの顔を眺めた。三人はそれぞれ違う表情をしていた。最初にアッグが困ったように始める。
「俺はデュライアに付いてきただけッス。行く当てもないッスから」
アッグはうつむきがちに、尖った爪で頬を掻いている。その辺りの事情には疑問を持ったはずだが、ホロさん達は特に追求しなかった。詳しい話よりいろんな意見が聞きたいらしく、ミシュエルに話を振ったりしている。
「私は――そうですね、簡単に言えば成りゆきでこうなったと言うべきでしょうか」
ミシュエルはいつも通り微笑んでいた。けれど理由になっていない答え方に私は疑問を覚えた。一口に成りゆきといっても、その内容は様々だ。全部話すと長くなるからというのもあるかもしれないが、あえて肝心な部分をぼかして答えたように感じる。ひょっとして言いたくないことがあるのだろうか。
ホロさんはミシュエルの答えにいくらか首を傾げていたが、それ以上尋ねなかった。ミシュエルの笑顔の裏にある感情に威圧されたせいかもしれなかった。代わりに今度は端っこに座るカイトを見やる。
「カイトくんだっけ? あなたはどうして旅を?」
「……関係ないだろ」
彼女を一瞥しただけで、カイトはすぐにそっぽを向いてしまった。これ以上話しかけるなとばかりに仏頂面を決め込んでいる。こっちはこっちで話したくない事情があるらしい。しかもカイトの性格がわかっていない向こうからしてみれば、その態度は困惑物でしかない。気まずい空気が休憩所内をじわじわと侵食していく。
これはまずい雰囲気だ。といっても、まさか言いたくないことをむりやり喋らせるわけにはいかない。どうにかして話題をそらさなければ。
「すみません、気分を害してしまったようで……そういえば、皆さんはこれからどこに向かう予定なんですか?」
できるだけ明るく、しかし失礼の無いように言ってみる。三人は急に話を振られてわずかに目を見開いた。けれどそれは一瞬のことで、アウジリオさんは大きな口でニッと笑った。
「俺たちはこれから、北に行くつもりだ。ちょっと立ち寄りたい場所があってな」
彼は気分良く話し始める。よかった、食いついてくれた。これできっと先ほどのことは気にしないでくれるだろう。私は彼らの話を聞きながらそっと胸をなで下ろした。
本編とは関係ありませんが、この『マイペース☆ファンタジー』が掲載2周年を迎えました。その割にちっとも進んでませんが……これからも楽しんでくれたら嬉しいです。




