8.採取を終えて
日が沈みかけた頃、私とアッグはカイト達の待つ診療所に帰り着いた。入り口の戸を開けると、フェンリル族の医師が驚いてこちらを見やる。
「おお、戻ってきたか」
「はい。薬草を採ってきました」
私は彼に頷いて、薬草の入ったビンを手渡す。医師はそれを受け取り、ビンを開けて草をしばらく見つめていた。花や茎、根をじっくり観察し、やがて破顔する。
「おお、まさしくこれだ。これで薬が作れる」
小躍りしそうなほど軽い足どりで、医師はさっそく準備に取りかかる。他の材料を取り出し揺れるふさふさの尻尾を見ながら、私は口を開いた。
「それで、薬はどのくらいでできますか?」
「心配はいらない。十二分ほどあれば完成するよ」
医師はこちらを振り向いて、優しく微笑んだ。その言葉に安堵し、私はカイトが休んでいる病室に向かった。
静かな部屋の前で立ち止まり、そっと扉をノックする。返事はない。寝ているのか聞こえなかったのか。私は開けるべきか迷ったが、取っ手に手を掛け、静かに横に動かした。
部屋は規則正しい息づかいだけが聞こえていた。見れば、ベッドの上のカイトは丸くなって眠っている。彼が向いている方にいるミシュエルは、椅子に深く腰掛けていた。ミシュエルはこちらに気付き、微笑みを向ける。
「ああ、二人とも戻ってきましたか」
「ただいま、ミシュエル。カイトの様子は?」
「熱はいくらか下がったようで、先ほど意識を取り戻しました。今はまた眠ったところですが」
まるで我が子を見るように、ミシュエルは目を細めた。ひとまず症状が落ち着いたことに安堵している、そんな顔だった。やがて彼は背筋を伸ばし、濃い青色の瞳で真剣な眼差しを向けてくる。
「それで、薬草の方は?」
「採ってきたッス。デュライアが見つけたんスよ」
「薬は十二分ほどでできるって」
自分のことのように誇らしげなアッグの言葉に照れくささを感じつつ、私は言葉を続けた。ミシュエルはそうですかと胸をなで下ろす。その顔はいくらか憔悴しているように見えた。無理をして不調を押し隠しているのかもしれない。
「ごめん、ミシュエルもつらいはずなのに看病を任せちゃって……少し休んだらどう?」
「いえ、今の私にできることはこれくらいですから」
ミシュエルは私の提案をやんわり断ってしまった。このままでは休んでくれなさそうだ。さてどう声をかけたものかと考えていると、アッグが私の横に並んだ。
「気負う必要はないッスよ。休めるときに休んだ方がいいッス」
「そう……ですね。ではお言葉に甘えて」
ミシュエルはゆっくりと立ち上がり、もう一つのベッドにむかって歩いた。足どりはややふらついており、傍から見ても無理をしているのは明かだった。そして半ば倒れ込むようにシーツの上に横たわる。私が言ったときとアッグが言ったときで差が出たのは、たぶん意地を張っていたせいだろう。私に心配はかけられないという強がりが、提案を拒否させたのだ。
「ずいぶん無理してたみたいッスね……」
ぽつりとアッグが呟いた。私はそうだね、と曖昧に答える。そんな私に、アッグが向き直った。
「あのとき、『カイトの傍にいて』なんて言わない方が良かったんじゃないッスか?」
「でもそうでも言わないと、薬草探しについてきそうだったじゃない?」
私の答えに、アッグは口を閉じた。その顔は思いっきり不満げだったが、言い返す言葉がないらしい。
ミシュエルはカイトをとても大切に思っている。それは信頼した態度からもよくわかることだ。休んでいて欲しいというのがこちらの希望だけど、彼本人としては動けるならできることをしようとするだろう。魔力中毒も笑顔の仮面に押しこんで、魔物との戦闘も厭わない。それが、ミシュエルという人物だった。だから、“できること”をカイトの看病にして、ここに残しておくほかなかった。それはそれで気負わせてしまったのだろうと考えると、気持ちが沈む。
ガラリと背後で戸が開く音がした。振り向けば、そこに狼の顔がある。
「薬ができたぞ。これを飲んで安静にしていれば、すぐに良くなるはずだ」
そう言って、医師は瓶の乗ったお盆を持ってきた。瓶の中には緑と赤の混じった色の液体が入っている。その液体を、医師は小さなカップに小分けし始めた。注いだカップを体を起こしたミシュエルに、うたた寝から目覚めたカイトにと渡す。二人ともそれを飲み込み、すぐに顔をしかめて水を飲み干した。これでよし。あとは二人の体力が戻るまで休ませてあげよう。そう思っていると、私も不気味な色の液体を手渡されていた。
「俺たちも飲むんスか?」
怪訝そうな顔でアッグが尋ねる。見れば、彼の手にも薬の入ったカップが握られていた。手渡した本人はもっともらしく頷く。
「君たちも一緒に魔力の"霧"を抜けてきたんだろう? 症状が顕著ではなかったとはいえ、油断は禁物だ」
医師はずっとそんな調子だった。嫌がらせではなくただの善意であることはわかっている。けれど、絵筆を洗ったような色の液体を口に付けるのには、やはり勇気と覚悟を要した。
私は軽く息を吐き出した。意を決し、どろりとした液体を口に含む。何も考えないよう、すぐに飲み込んだ。……ま、不味い。苦みが喉を締め付け、渋みが口の中を張り、えぐみが喉の奥を刺す。一瞬で湧き起こったそれらの不快な味に耐えきれず、私は水を飲み干した。冷たい水で口の中を洗い流してもなお、イライラするような苦みは残った。アレスキアを旅していた頃に苦い薬をもらったことがあるが、これはそれとは違う不味さだった。
そんなこんなで休息のために滞在すること数日。カイトもミシュエルもすっかり元気になった。旅を再開するのに十分なほど回復して、いつも通り賑やかな時間が過ぎる。私たちは医師にお礼を言って謝礼を渡し、次の町へと旅立った。
魔力中毒の話については一区切りです。
ちなみに文中にあるアレスキアを旅したときにもらった薬は3章-6を参照のこと。




