5.できる、できない
ギンの笑いが収まった頃、アッグが口を開いた。
「銀爽舞さんはカイトやミシュエルに魔法を教えたんスよね?」
「ん、ああ。彼らに限らず、いろんな人に教えてるよ」
ギンはゆったりと答える。アッグは一度深呼吸し、きりっと前を見据えた。
「俺にも魔法の使い方を教えて欲しいッス」
彼のオレンジ色の瞳には、真っ直ぐな決意が光っていた。見ているだけの私でさえ、ちょっとたじろいでしまうくらいの強い意志。ギンはわずかに眉根を寄せ、続きを促した。
「俺は魔法が全然使えないッス。日常用の魔法もろくに覚えられなくて、かろうじて魔法具が使えるくらいなんス。だから、もしできるなら、ちょっとでもいいから使えるようになりたいッス」
「アッグ……」
腹の底から出た、はっきりした声でアッグは語る。話している内容自体は、彼と出会ったばかりの頃と同じだ。けれど冗談めかしたあのときの口調とは打って変わって、真剣に悩みを打ち明けたという感じだった。ギンはアッグの視線を受け止め、じっと見つめ返している。私もカイトもミシュエルも、黙って成りゆきを見つめていた。やがてギンが重々しく口を開く。
「アッグくんだったね? 昔ならいざ知らず、今は文明も発達して、魔法具があれば自身は使えなくとも生活には困らない時代だ。それでも、やはり使えるようになりたいのか?」
ギンの言葉に、アッグは言葉を詰まらせた。本当の気持ちが言葉にできずつかえているような、悲しそうな表情を浮かべている。と、ダンッと机を叩いた。
「使えるようになりたいッス! じゃなきゃ――――誰からも、馬鹿にされるッス……」
牙の合間からつばが飛び出るほどの勢いで、アッグは叫んだ。最後の方は弱々しく、声が消えていく。
誰からも馬鹿にされる――その言葉で、私の脳裏にあのときの光景が蘇った。私がアッグを見つけたとき、彼は何をしていた? 魔法を使えば簡単な仕事を手作業で強いられ、そのことを楽しむように見られていたのではなかったか。魔法が使えないことを蔑視されていたのだ。彼の心境や苦労は計り知れない。けれど“魔法が使えるようになりたい”という願いがいかに強いものか、わかる気がした。
ギンは腕を組み、アッグを見やった。
「アッグくん、魔法は誰かから教わったのか?」
「学校にも通ったし、魔法道場にも通ったことがあるッス。けど、全然使えるようにならなかったッス」
アッグは静かに答える。彼の過去はほとんど聞いたことがなかった。苦労の話もしなかった。明るく振る舞うから、問題ないと思っていた。けれど今つらそうなアッグを見ていると、胸が苦しくなる。ギンはふうと長い息を吐いた。
「何の災禍か、リザード族は魔法の扱いが不得手のようだ。今までも君のように頼んできたリザード族は大勢いたね」
「それで、先生が教えた彼らは、使えるようになったんですか?」
ミシュエルの問いに、ギンは肯定も否定もしなかった。ただ静かに目を閉じるだけ。
「彼らの中には、苦心の末にこつを掴み、使えるようになった者もいた。だがあとの者は、習得は絶望的と言わざるをえない状態だった」
ギンが言うには、かつて手を尽くしたが全くといっていいほど効果がなかった例が、何度もあったのだという。そういう人達は、絶望的に魔力の感受性が低く、操ることができないのだと。
絶望的。その一言がずしりと響く。ちらりとアッグを見ると、彼はそうとうショックを受けたようだった。大きな口が開いたまま小刻みに震えている。ギンは表情をふっと緩め、立ち上がった。
「とはいえ、才能の有無は人それぞれだ。概論だけ言っていても仕方があるまい。……アッグくん、全ての金属具を外してそこに立ちなさい」
そう言って、机の横の広いスペースを指さす。アッグは訳がわからないという顔をしていたが、言われたとおり鎧を外してそこに立った。
「こうッスか?」
「ああ、それでいい。では目を閉じて、力を抜いてくれ」
アッグが目を閉じたのを確認して、ギンは宙に文字を描き、ぶつぶつと呟く。
『天地全霊 数多の事象 誘い起こす秘められし力よ 此処に集えよ我の元 祈りの言に従いて』
描いた文字が光り始める。ギンの中から魔力が発し、外からも巨大な魔力が渦巻いて集まってくる。びりびりとした圧迫感に、全身の毛が粟立った。見ているだけだというのに、動けなくなる。
『――彼の者の体 沿いて標を現せ 判け定めよ!』
ギンは指を突き出し、アッグの額に押し当てた。その途端、一気に魔力が動き、一瞬アッグの周りで輝いた。しかし光はすぐに収まり、元通りの明るさになる。魔力の中心にいたはずのアッグは、特に変わっていないように見えた。
「アッグくん、目を開けてくれ。今どう感じたか、答えてくれるか?」
静かな声でギンが尋ねる。アッグは訳がわからないと首をひねった。
「どうって……何がッスか?」
「先程感じたことを、ありのままに答えてくれればいい」
「言ってる意味がわからないッス」
ギンがいくら言っても、アッグは首を横に振るばかり。ギンは尋ねるのをやめ、考えるように腕を組んだ。
「今ので何も感じられなかったというのなら――君の魔法訓練は、否だ。少なくとも、私の手には負えない」
「え……?」
アッグは呆然と立ちすくんだ。薄く口を開け、ギンを見つめる瞳が揺れている。その様子に、ギンは言いにくそうに言葉を続けた。
「魔法を扱うには、まず大気中の魔力を感じねばならない。だから今最大限の魔力を集め、君に触れさせた。普通なら気絶するほどの魔力だが、時々、それでも感じられない者もいる。そういう人は手を尽くしても結局習得できなかった」
「じゃあ、俺は――」
「すまないが、諦めてくれ」
「ッ――!」
アッグは声にならない叫びを上げ、その場に膝をついた。鱗の合間からあふれた涙が、ぽたり、ぽたりとこぼれて床を濡らす。握りしめた拳がぶるぶる震えている。静かになった部屋に、途切れ途切れの嗚咽だけが聞こえていた。
慰めてあげたい。そうは思っても、なんと言葉をかけていいかわからなかった。安易な言葉では、かえってアッグを傷つけてしまう。私自身は日常でも戦闘でも、魔法が使えるから。憐れみは蔑みに受け取られるかもしれない。手を出すことも憚られて、私は動けずにいた。ちらりとギンの顔をうかがったが、彼は難しい表情で首を振るだけだった。
「気は済んだか?」
不機嫌そうな声が静寂を破る。振り向けば、カイトがアッグを睨んでいた。目を細め、ぎらりとした眼光を放っている。
「先生がだめだと言ったんだ。……諦めろ」
「カイト!」
ひどく重々しく、うなるようにカイトは言った。冷淡な物言いには、ミシュエルが声を上げてしまうほどだった。アッグは衝撃を受けたように固まって、やがてずずっと鼻をすする。
「だって、俺だけ、使えないッス」
「アッグ、そんなに自分を貶めないで」
私は立ち上がり、彼に近寄った。オレンジ色の瞳が遠慮がちに見上げてくる。
「けど俺、今のままじゃデュライアにも迷惑かけるし、足手まといになるッス」
私はアッグの瞳をまじまじと見つめた。そんな風に考えていたなんて、全然知らなかった。彼を手伝って魔法を使ったことも多い。けれどそれは、一方で彼の苦しみでもあったらしい。他人の手を借りてばかりだと、自責することもあったのかもしれない。私は振り払うように、精一杯の笑顔を作ってみせた。
「私、アッグのこと、足手まといだなんて思ったことないよ」
私が言うと、アッグは目を見開いた。今聞いたことが信じられない、というような顔をしている。
「ホント……ッスか?」
「もちろん。そりゃあ、スケベで風呂覗かれたり困ることもあるけど、いいところも持ってる。アッグは強いし、力持ちだもん」
「それ、いまいちフォローになってない気がするッス」
「あはは。まあ、アッグはアッグだってこと。他の誰でもないよ」
私は誤魔化すように笑った。つられてアッグもはにかむ。ふっと彼の顔が近づいて、勢いが私の体にぶつかった。
「わっ、何? どうしたの?」
驚いて問いかけると、細い腕に力強く抱きしめられる。
「俺、デュライアと旅に出られて、良かったッス」
「そっか。ありがとう。……いや、この場合はどういたしまして、かな?」
私はすこしおどけながら、鱗の肌を撫でる。ふと見ると、あふれるほどだったはずのアッグの涙は、いつのまにか乾いていた。
実はアッグもコンプレックスを抱えていたと。
……どうしてこうなった
作中では満月が慰めてますが、作者として一言付け加えたい。アッグ、お前は一部の読者様から妙に人気があるじゃないか…!




