3.旅行者と旅人
小鳥がさえずる声を聞き、私は目を覚ました。ゆっくりとまぶたを上げ、数回瞬きする。朝日は窓から差し込み、柔らかな光が部屋を包んでいる。体を起こして部屋を見回せば、すでにカイトもミシュエルも起きていた。
「おはよう、デュライア。よく眠れましたか?」
「うん、おはよう」
ミシュエルが私に微笑みかけた。私は目をこすりながら答える。二人はもう支度を調え終わっていて、準備万端だった。二人とも私より早く起きることがほとんどで、時には外で鍛錬をしているときもある。私が先に目覚めるのは本当に稀で、それこそ昨日の朝くらい。あの日はつい調子に乗ってミシュエルの耳を触ってしまって――密着した感覚が蘇り、私は首を振った。あのときのことを考えるのはやめよう。思い出すだけで恥ずかしさがこみ上げてくるんだもの。そして今の顔を見られたら何かあったのかと心配されるに違いない。
私は誤魔化すように手ぐしで髪を整えた。寝癖のせいで指が何度も絡まる。絡まった部分をほぐしてから、ブラシで梳かす。またすぐに風でくしゃくしゃになってしまうけれど、何もしないよりはいいだろう。
カバンから着替えを取り出して洗面所に向かう。私が着替えるときは気を遣って外に出ていてくれるときもあるけれど、それよりは自分で洗面所に鍵をかけて着替えてしまう方が楽だ。私自身は気にしないんだけどなあと思いながら、手早く支度を済ませる。ベストを羽織り、鏡を見た。うん、大丈夫。いつもの格好だ。私は部屋に戻り、今日の予定を話あった。
準備を整えた私たちはネラファの街を出発した。朝早くから日差しは強く、からりと乾いた風が吹き付けてくる。日本のようにじめっとした不快感はない。けれど暑い中さらに暖房の風を当てられるような感じだった。フードをかぶって日差しをやり過ごす。それでも暑いものは暑い。自然と無口になってしまう。
私は顔を上げ、前を見通した。街道は整備されていて、とても歩きやすい。道沿いに植えられた木々が影を落とし、歩く者につかの間の安息を与えてくれる。休んでばかりいる訳にもいかないが、日陰を歩くだけでも大違いだ。本当に人の往来がしやすいように力を入れているんだなあと感心する。
からからと車輪の回る音が聞こえて、私は後ろを振り向いた。見れば六本足の生き物に引かれて、四輪の車がこちらに近づいていた。車は屋根の方が広い丸みを帯びた形状をしており、縁に施された装飾が優雅さを醸し出している。車が私たちの横を通り抜けるとき、窓から狸顔の人が私たちに手を振っていた。私も笑顔でその人に手を振り返す。からからと車輪が回り、車は先に行ってしまう。
「ああいうのに乗ってくと、早く着けそうだね」
「あれは旅行者用のメレディエ車です」
私が小さく呟くと、ミシュエルが上から微笑みかけた。
「メレディエ車?」
「ええ。メレディエという動物に引かれているので、メレディエ車と呼ばれているんです」
聞き慣れない言葉に首を傾げると、ミシュエルはさらに説明してくれた。曰くメレディエとは蟻に似た六本足の生き物のことで、力が強いので車を引くのによく使われるらしい。この国においては、時間が限られている旅行者のために、次の目的地まで素速く行けるサービスなのだという。
感心していると、大きな影が頭上を通り過ぎた。見上げた先にあったのは、気球に似た空飛ぶ乗り物だった。大きな風船に籠を繋ぎ、その籠の中に人が乗っている。私たちが歩くのよりも速いが、何より空からの景色を楽しめそうな乗り物だ。一度でいいから、空の旅もしてみたい。そんな風に思いながら、私は気球を見送った。
「旅行者って、徒歩で行かないもんッスか?」
納得しきれないというように、アッグが呟く。それに答えるカイトは肩をすくめた。
「ああいうのを利用する奴は、オレ達みたいに旅を本業としてるわけじゃないからな。時間や金の使い方も違うし、何より――」
そこで一度言葉を切り、背に担いだ傘を手に取る。
「整備された道とはいえ、危険が伴うからな」
彼が見つめる先で、緋色が揺らめいた。熱気と共に炎が現れたのだ。立ち上る様は人のようで、意思があるのかじわじわこちらに近づいてくる。その一部から火の玉が飛び出した。反射的に横に避ける。熱気が頬をかすめた。ゆらゆら揺れる炎は明らかにこちらを狙っていた。
魔物だ。私は剣を鞘から抜き、魔力を集める。イメージするのは清らかな水流。熱を冷ます冷たい力を思い描き、剣の先に集中させる。魔力は想いを具現化してあふれ、大きな水流となって魔物を飲み込んだ。じゅうじゅうと激しく蒸発し、湯気が立ち上る。後には黒くしなびた炭が残った。
「デュライア、それが相手の本体です」
ミシュエルの声が飛ぶ。そうか、炎の魔物だから"燃える物"が実体であり本体なんだ。私は剣を突き立てた。草と思しき炭は砕けて消え去り、代わりに小さな魔石が生成する。
『水泡よ』
カイトが傘を突き出すと、細かい泡が一体の魔物を包み込んだ。途端に炎は勢いを失い、縮んで燃えかすの炭だけが残る。すかさずミシュエルが駆け出し、剣で本体をたたき切った。
残った一体は大きくふくれあがり、あちこちに炎の弾を飛ばす。私は咄嗟に水の壁を作り出し、攻撃をしのいだ。砲弾が止んだ隙にアッグが飛び出す。豪快に振るわれた斧は炎をものともせず本体を砕く。実体を失った火は見る間に消えてしまった。
静けさを取り戻した街道を見て、アッグがため息をこぼす。
「確かに、いちいちこんな危険にさらされてたらたまらないッス」
「私たちみたいに対処できる人ばかりじゃないもんね」
私も剣を収めて同意した。旅行者全員が魔物と戦えるとは限らない。時間のかかる危険な手段より、安全で速い交通サービスを利用するのは当然だろう。
「そういうことだ」
カイトは赤い傘を背負い直し、ミシュエルに付き従って歩き出す。私とアッグもそれを追いかけ、また街道を歩き始めた。




