2.懲りてないなら
買い物を済ませた私たちは、宿屋へとやってきた。様々な種類の店があったが、どの店も賑わっており、予約で埋まっている。泊まれそうな部屋を探すのに少々時間がかかってしまった。どうにか見つけた部屋はそこまで大きくなく、ベッドと小さな机があるだけという至ってシンプルなものだった。
部屋に入るなり、私はカバンをベッドのそばに置いて座った。カバンから必要な物を取り出し、手早くまとめる。準備が完了したところで、私は立ち上がった。
「それじゃ私、風呂場に行くね」
三人が何となく返事をしたのを確認し、私は大浴場へと向かった。
がらりと引き戸を開け、中に入る。まだ日も沈みきっていないためか、脱衣場を使っている人もいないらしい。私は服を脱ぎ、タオルを持って中に入った。風呂場は誰もおらず、がらんとしている。床は一面水色のタイルが敷き詰められ、白い壁にはタイルのモザイクアートが施されている。露天風呂はなかったが、曇りガラスから外の光がこぼれていた。
私はシャワーの前に座り、体を洗った。次に宿に泊まれるのがいつになるかわからないので、念入りに泡でこする。隅々まで泡で包んでから、ざばっと流した。次に髪の毛をシャワーで濡らす。指に絡まる癖っ毛と格闘しつつ、わしわしともみ洗う。隅々まで指の腹を入れ込ませ、泡と汚れを洗い落とした。手ぐしで梳きながら流していると、自分の髪が以前より伸びているように感じた。シャワーを止め、水気を切る。
私は一息ついて浴槽を見やった。いくつかに小分けされていて、段の構造や深さが違うらしい。私はそのうちの一つに肩まで浸かった。薬湯なのか、わずかに草の香りがする。それは清々しい香りで、心が落ち着いた。リラックスできるなと伸びをしたとき、不意にけたたましい音が響いた。私は思わず音のする方に振り向いた。金属塊がたたきつけられたようなその音は、確かに浴場の入り口の方から聞こえた。一体何が起きたんだろう。そう思ってしまうと、落ち着いていられない。
私は湯船から上がり、脱衣所に戻った。タオルで水気を拭き、服はどうしようかと思い悩む。すぐに着られる訳もなく、もたもたしてたら音の正体を突き止められないかもしれない。かといって、まさか裸で出ていくこともできない。わずかに迷ったあげく、かけてあったタオルローブを拝借して羽織った。きちんと肌を隠して廊下を覗く。そこに見知った顔が並んでいて、私は数瞬面食らった。
「うう、あともうちょっとだったッス……」
「諦めて観念しなさい」
廊下には魔法の鎖でぐるぐる巻きになったアッグと、それを押さえつけるミシュエルとカイトの姿があったのだ。
「何してるの?」
私は努めて平静に尋ねた。なにやらぎゃあぎゃあ騒いでいた三人は、私の姿を認めてぴたりと動きを止める。真っ先に適応したのはアッグだった。
「あーっ、デュライアもう上がっちゃったんスか! タイミング悪いッス!」
嘆く彼に、私はどう答えたものかと当惑する。暴れ始めたアッグを、ミシュエルが手にした鎖でさらに縛る。
「申し訳ありません、デュライア。止めようとしたんですが」
困った顔でミシュエルが謝罪する。何を、とは言わなかったが、アッグの性格からして何をしようとしていたのかは想像に難くない。また覗きに来ようとして、彼らに止められたらしい。呆れて言葉より先にため息がこぼれる。
「おまっ、てかその格好――」
震える声に振り向くと、カイトが赤面しながら私を指さしていた。今の私はタオルローブを一枚羽織っているだけで、面倒だからとそれ以外は着ていなかった。当然、誰がいるかわからない廊下に出て行く格好ではない。急いでいたとはいえ肌はきっちり隠していたはずだが、ひょっとしたら良からぬ想像をしてしまう見た目なのかもしれない。カイトは鼻血を出して、必死にそれを隠している。そんな彼を見て、ミシュエルが短く息を吐いた。
「デュライア、とりあえず戻って服を着てください。……カイトのためにも」
「う、うん、そうだね。アッグのことは任せるよ」
私は言われるがまま、そそくさと脱衣場に入った。扉を閉め、数回深呼吸をする。何だかすっかり彼らに流されちゃったな。もちろん、私の考えが安直すぎたのもあるだろうけれど。このまま言われたとおり服を着て部屋に戻ってもいいが、そんな気分になれなかった。
私は借りたローブを脱いでもとあった位置に戻し、濡れた分を魔法で乾かしておく。そして戸を開けてシャワーを軽く浴び、先程入った湯船に身を沈めた。自分の立てた波が、静かな部屋内に響き渡る。お湯の香りとともに私の心をほぐしてくれる気がした。そんな風にしてぼんやりと壁の絵を見ていると、先程の出来事がどうでも良く思えてくる。何事もリフレッシュが大事なんだろう。心に穏やかさが戻ってきて、つい頬が緩んだ。
がらりと戸の開く音がする。見ると家族だろうか、狐族の女性と二人の子どもが入ってきた。女性は私に気付き、にっこりと微笑みかける。
「お湯加減はいかがですか」
「ちょうどいいですよ」
私が答えると、女性はそれは良かったと笑った。彼女ははしゃぐ二人の子どもを捕まえ、お湯をかけて洗い始める。
「旅行ですか?」
「ええ。国外に出るのは初めてなもので、子ども達がはしゃいじゃって」
うるさくてごめんなさいね、と狐の人は眉を下げた。私は気にしないでくださいと言い、子どもを見やる。二人の子どもはまだまだやんちゃ盛りという頃だろうか。体は泡まみれなのに、もう一人に泡を付け合ったりして遊んでいる。女性は思い出したように顔を上げた。
「そういうあなたは?」
「私は旅人ですから」
私は左腕にある紋章――アレスキアの旅人協会に所属する証を見せながら答えた。女性は驚いて瞬きする。
「一人で?」
「いいえ、三人の旅人仲間がいます。全員、男性ですけれど」
「そう……。すごいのね」
女性は感心した声で言った。憂いを帯びた言葉の奥に何があったのか、私にはわからない。それっきり、会話は止まってしまった。話すこともなく、私自身のぼせそうだったので湯船から上がる。
「お先に失礼します」
軽く会釈して、私は風呂場から出た。
着替えを済ませて部屋に戻ると、アッグは今だ縛られており、それを無視して二人が何か話していた。カイトが私に気付き、紫色の瞳をこちらに向ける。
「……遅かったな」
「あの後もう一回、お風呂に入ったから」
私は肩をすくめ、隠さずに答えた。カイトはそうか、と素っ気なく返す。そこにミシュエルが言いにくそうに口を挟んだ。
「それで、アッグの犯行についてですが――」
彼の言葉に私は応じる。アッグは犯行なんて言わないで欲しいッスと抗議した。私はそんな彼に軽くため息を吐く。
「前の時にきつく言ったつもりなんだけどなあ」
確か、一発くらいげんこつも入れたはずだ。それで改めてくれないのだから、全くもって懲りていないのだろう。
「アッグ、いい加減やめたらどうだ?」
「嫌ッス。覗きは男の浪漫ッス」
カイトにたしなめられてもこの有様だ。たぶん、これからも覗きをしようと騒動を起こすのだろう。私は頭を掻いた。懲りないからと諦めたら、彼のためにならない。けれどなんと言えば改めるのか。私は悩んで、ゆっくりと口を開いた。
「アッグ。一緒に行動する人のことも考えられないなら、アッグだけここに置いてきぼりにしてもいいんだよ?」
「え、ええっ!?」
アッグは元々大きい口を開けて目を見開いた。私がそんなことを口にするなんて思わなかったのだろう、彼だけでなくカイトやミシュエルも、驚きに満ちた視線を向けてくる。それに気付いたが、私はさらに続けた。
「アッグがお風呂を覗こうとするのも、それを止めようとするのも、いろんな人に迷惑でしょ? 私たちだけが泊まってる訳じゃないんだから。カイトやミシュエルにだって苦労をかけるし、私も困る。だから、これ以上迷惑をかけるつもりなら、今後一緒に旅に連れて行かない」
自分でも驚くほど淡々とした声でそう告げる。アッグはしばらく口元を引きつらせ、尻尾も立てたまま震えていた。赤い鱗の下は、きっと青ざめているのだろう。二呼吸ほど後、アッグは縛られたまま体を倒して懇願した。
「い、嫌ッス! 置いていかないで欲しいッス!」
「じゃあ、これから覗きはしないって約束する? 言いだした以上、私はさっきの提案を取り下げるつもりはないけど」
私がさらにきつく言うと、アッグは言葉を詰まらせた。ごくり、とのど元が動く。
「約束するッス! もうしないッス! だから、置いてきぼりにはしないでくれッス!」
「約束だからね? 破ったら承知しないから」
私は彼に笑いかけた。そして、彼の言葉を聞いたことを、カイトとミシュエルに確認する。二人は互いに顔を見合わせた。それを見て、アッグが歯ぎしりする。言いだした以上、引っ込めることはできないと観念したらしい。牙をぎりっとかみ合わせていたが、暴れるのをやめて大人しくなってしまった。そこでようやく、ミシュエルが魔法の鎖を解く。けれどアッグの顔は晴れなかった。
「ほら、反省したのなら、いつまでもしょげないでよ」
「はあ……わかったッス」
相変わらず声のトーンは低かったが、アッグは少しだけ笑ってくれた。とりあえず、一件落着かな。私はベッドの上に腰掛け、なにとはなしに窓の外を眺める。二つの月はどちらも出ていない。純粋な星明かりだけが、窓の外で輝いていた。
ちょっと前に番外編でも書いた「覗きに行こうとするアッグとそれを妨害する二人」のネタを満月視点で書いてみました。
番外編のとは、台詞などがいくらか違いますけどね。
ただ書いていて、この怒り方って正しいんだろうか……と思ってしまいました。
主人公がなんか黒いです←




