11.寝起きはキケンで
バーセルの引く荷車に揺られること数日。道中大きなアクシデントもなく、私達はギルダリアの街にたどり着いた。ここウォラレス王国の首都というだけあって、城壁も大きい。堅牢さがうかがえるだけでなく、凝った装飾は技術力の高さを誇示しているようにも見えた。門のところで車から降り、別々に身分証を見せて中に入る。ガラムさんを商会まで送り届け、お礼の後に狼顔の彼と別れた。
人通りの多い道を歩いていく。今夜の宿を探すためと、あとは単純に観光のためだ。人々が露店を構える通りもあれば、高級そうな店が立ち並ぶ通りもある。きらびやかな衣装を身に纏っている人もいて、裕福なのだろうと感じた。買い物に立ち止まりながら行くと、前方に大きな建物が見えた。立派な柵に囲まれ、広大な庭を持っている。石造りで丸い建物で、屋根は釣り鐘のように膨らみを持ち先が尖っている。壁には金や銀、宝石などが惜しげもなくちりばめられていた。
「ねえ、あの建物は何?」
私は気になって尋ねてみた。商品を見ていたミシュエルはこちらを振り向く。私の視線を追って、ああ、と笑った。
「あれは王宮です。この国の王族が住んでいるんですよ」
なるほど、道理で豪華な訳だ。剣のような形をしたアレスキアの王宮とは見た目が全く違う。文化や価値観の差が大きく表れているみたい。
「先に言っておくが、一般人は入れないぞ」
「わかってるよ。すごいなって思っただけ」
横からカイトが釘を刺してくる。私、そんなに行きたそうな顔をしていたのかなあ。確かに内部がどうなっているのかも気になるけど、一介の旅人が気安く立ち入っていい場所でないことくらい心得ているつもりだ。カイトは軽く鼻を鳴らしただけで、そっぽを向いてしまった。
それから買い物を済ませ、宿に入った。手頃な値段の場所を選んだためにそう広くはないが、清潔感と落ち着いた雰囲気がある。ベッドもふかふかで気持ちいい。
程なくして料理が運ばれてきた。ふわふわのパンに赤い色をしたふかし芋。厚めの肉は綺麗な焼き色が付いている。ナイフで切れ込みを入れると肉汁があふれてきた。甘酸っぱいたれと絡み合い、絶妙な味を出している。口に入れる度にほっぺが落ちそうだった。満足のうちに手を止め、それぞれが思い思いにくつろぎ始める。私は剣の手入れをしたり荷物を整理して、明日に備えるべく休んだ。
寝返りをうって、私は目を覚ました。まだ早いのか部屋はひやりと冷たく、窓の小ささもあって薄暗い。辺りは静寂に包まれ、聞こえてくるのは規則正しい寝息のみ。私はそっと体を起こした。まだ三人とも眠っている。少し早かったかなと思いながらあくびをした。もう一度布団にもぐろうかというところで、いたずら心が首をもたげる。たまには寝顔を見ちゃおう。靴を履いて立ち上がり、足音を殺して部屋を歩く。
寝相は色々だった。カイトは小さく丸まって布団を抱きかかえており、幼い子どものようで微笑ましい。対照的にアッグは大の字になっており、布団も蹴飛ばしていて意味をなしていない。ミシュエルはというと、右手を下にして寝ていた。たまたまなのか、利き手を守るためにあえてそうしているのかは私にはわからない。
そういえば、せっかくファンタジー世界に生まれてきたのに、私にはまだ色々試してないことがある。私はそっと近づいて、ミシュエルの顔をのぞき込んだ。絵の中から抜け出てきたかのように整った顔立ち。さらさらと流れる水色の髪。そして何より、エルフの象徴である長く先の尖った耳。歩いたり喋ったり、息をする度にわずかに揺れてつい目をやってしまう。……触ってみたい。そう思ってしまうとうずうずが止まらなかった。彼は背が高いから、普段は手が届かない。でも今は、目の前で無防備に寝ている。ちょっとだけ、ちょっとだけならいいだろうか。
誘惑に逆らいきれず、手を伸ばす。指で耳の裏側を撫でた。つるりとなめらかな手触り。ずっと触っていても飽きないほどだ。尖った耳の先は少し厚くて硬くなっている。ちょっとだけだという思いは既に消え去り、夢中になって撫でていた。指を滑らせてみたり、先をちょんちょんとつついてみたり。考えもなしに堪能する。
「でゅらい、あ…?」
聞こえてきた声に、心臓が止まりかけた。頭が真っ白になり、さーっと血の気が引いていく。まるで魔法をかけられたかのように体が硬直している。ばくばくと鼓動が早くなり、息をしているのかも怪しくなってしまう。おそるおそる声の主を見やると、わずかに見開かれた青色の瞳と目が合った。
「ごめん、起こしちゃった?」
さりげなく手を引っ込めながらごまかし笑いを浮かべる。起こしたも何も、耳を触り続けるだなんて普通に考えたらただの変態だ。後ろめたい気持ちがあるが故に、向けられる視線が痛い。ミシュエルは体を起こしてベッドに座った。まだ気になるのか、自分の耳を弄っている。ぼんやりと視線を彷徨わせて、きりっと私を見据えた。
「デュライア、耳を触られるというのはエルフにとって最大の侮辱に値するんですよ」
「……え?」
言われたことがすぐに理解できなくて、私は素っ頓狂な声を上げてしまう。今、侮辱に値するって言った? ということはつまり、私は彼を馬鹿にしてしまったということで――
「わああ、ごめん! そんなつもりじゃ……私、知らなくて…!」
慌てて弁明する。けれどパニックに陥ってしまい、きちんとした謝罪の言葉が出てこない。
「謝れば済むと思っているんですか」
「う……ごめん」
鋭い視線が突き刺さる。かなり怒っているようだ。知らなかったとはいえ、出来心で彼に嫌がらせをしてしまったのだ。謝るだけで怒りが静まる訳がない。肩にミシュエルの大きな手が触れる。
「責任、取ってくれますね?」
あ、と思った時には体が傾いていた。背中に柔らかい衝撃を受ける。身じろぎしようとして、手が動かせないことに気付いた。両腕を押さえつけられているのだ。そればかりか、体中に体重がかけられていた。目の前にミシュエルの顔があり、彼の髪の毛がこちらに垂れ下がっている。寝間着越しに相手の体温を感じる。この体勢、もしかしなくても押し倒されてるよね。でも何でだろう。私は彼の耳を触って、侮辱だと怒られていたはずだ。彼は私に何を求めているんだろうか。
「み、ミシュエル…?」
戸惑いがちに声をかける。けれど彼は何も答えなかった。見上げる瞳には、何かに取り憑かれたかのような迫力が宿っている。やはり、感情は読めない。ただ無言で顔を近づけてくる。吸い込まれてしまいそうな深い青が、ゆっくりと大きくなっていく。自分の胸が、相手の胸板で押しつぶされる感覚。身動きがとれず、相手の行動を待つことしかできない。体中が、体重とは別の物に締め付けられるような気がした。鼻の先が触れあう距離まで近づく。心臓が胸の内で暴れている。もう、覚悟を決めるしか、ないのだろうか。
目の前にあった青い丸が、きらりと光を取り戻す。頬にかかっていた息が遠ざかり、体の圧迫感が消えた。
「なんてね。冗談ですよ」
ミシュエルはふわりと笑っている。何が起こったのかさっぱり理解できず、私は寝転がったまま彼を見上げた。瞬きを数回し、呼吸を整える。ゆっくりと、自由になった体を持ち上げてみる。
「怒ってたんじゃないの?」
「いいえ、あなたがエルフの感覚なんて知らないことくらいわかっていますし、八つ当たりするほど子どもでもありませんから」
「じゃあ、なんで押し倒したりなんか……」
「怖いと思ってもらった方が、身につくかと思いまして」
悪びれた様子もなくミシュエルは言い放つ。どこか無理をしているような笑顔が逆に怖い。確かに怖かったけれど、あそこまでやる必要はなかったのになあ。悪いのは私だし、二度とやらないように反省もしている。
「そういうの、ずるいよ」
ふてくされてそっぽを向くと、可笑しそうに笑う声が聞こえてきた。そのまま、歩いていくのを視界の端で捉える。
「どこか行くの?」
「起きてしまいましたし、ちょっと顔を洗いに行くだけですよ」
そう言って、ミシュエルは洗面所へと消えた。扉が閉まると、元通りの静寂が訪れる。
「ずるいのは、あなたの方ですよ」
洗面所で一人呟いた男の声は、誰にも聞かれることなくこぼれ落ちた。
とうとう書いちゃった押し倒され話。といってもいろいろ未遂ですが
ラブコメのつもりで書いてませんが、こういうハプニング(?)は楽しいです
そして読んでくださってる方がどう推測するかわかりませんが、地の文では描ききれないミシュエルの心情を考えながら書くのも楽しかったりします。
感想などありましたらお気軽にどうぞ。




