11.コルシの街で
ユミールに乗って、私たちはコルシの街にたどり着いた。ヤクさんにお礼を言って別れ、街を歩く。すでに辺りは夕暮れとなっていた。斜光が街並みを赤く照らしている。立ち止まって見入ってしまいそうなほど美しい情景だった。
「俺、疲れたッス…」
歩きながらアッグがぼそりとつぶやく。そういえば、お腹がすいた。道中盗賊と戦ったということもあって、しっかり食べてしっかり休みたい気分だ。アッグの言葉に、カイトは少し息を吐いた。
「分かってる。この街で美味しい料理の出る店を紹介してやるよ」
「ホントッスか!? やったッス!」
彼の言葉に、アッグはまるで子供のようにはしゃいだ。思わず笑みがこぼれる。私も、カイトがどんな店を紹介してくれるのかと楽しみに思った。
ついたのは大きくて賑やかな店だった。中では客達がわいわい騒いでいる。雰囲気は居酒屋が近いだろうか。ジョッキやグラスをもった人たちが目立つ。その中には、武器を携帯している人もいた。カイトは慣れた足どりで歩を進める。そしてカウンターへ身を乗り出した。
「おっさん、いつもの美味いやつ頼む」
カイトが言うと、カウンターの中にいた大柄なリザード族の人が振り向いた。緑色の鱗で覆われた彼は、こちらの姿を認めて目を見開いた。
「誰かと思ったらカイトじゃねえか! この街に来てたのか!」
「よっ、久しぶりだな、キーマのおっさん」
明るくそう話す二人は、まるで古くからの友人のように見えた。カイトがいつから旅をしていたのかは知らないが、きっと何度かこの店を訪れたことがあったのだろう。何だか羨ましい。私はそっと笑みをこぼした。
「そういうわけだ。うまいもん頼むぜ」
「あいよっ。腕によりをかけるから待ってな」
キーマさんは快活に言って、厨房へ入っていった。私とアッグはカイトに手招きされ、同じようにカウンターに座る。アッグは待ちきれないのか、そわそわしていた。
「料理は期待していいんスか?」
「ああ。あのおっさんの作る肉料理はピカイチだぜ」
酒にも合うしな、とカイトは口の端を上げる。その言葉に、アッグは嬉しそうに尻尾を揺らした。
ほどなくして料理が運ばれてくる。お皿に豪快に乗せられたそれはこんがりと焼き色がついている。ふっくらとした肉からは肉汁がしたたり、未だ油が跳ねている。香ばしさが鼻腔をくすぐり、私はこみ上げてきた唾液を飲み下した。
私が料理に見とれていると、大きめのジョッキが出てくる。その中には白濁した液体がなみなみと注がれていた。
「これは…?」
「こいつはこの国名産! バーゼルのミルクを発酵させて作った酒、ハボッシュだ!」
キーマさんが明るく答えてくれる。ちなみに、バーゼルというのはこの国でよく買われている家畜のことだそうだ。私たちはジョッキを軽く持ち上げた。
「じゃ、乾杯!」
「「乾杯」」
カイトの声に合わせ、ジョッキを掲げる。そうして一口含んだ。酒とは言っていたが、どちらかと言えばミルクの方が近い。まろやかで濃厚なそれはすっとのどを通っていった。
私は焼かれた肉にかぶりついた。パリッといい音がして、中から肉汁が滴る。焼きたてだったためまだ熱く、息を吐いた。噛むと柔らかいながらも弾力があり、肉汁と香りが口の中いっぱいに広がった。それをしっかり味わって飲み込み、ほうっと息を吐く。カイトの言っていたとおり、とても美味しい。
「ところでカイト、ミシュエルはどうした?」
落ち着いた頃、キーマさんが尋ねる。カイトは一瞬表情を消した。
「船旅の途中ではぐれた。何か情報は入ってねえか?」
カイトが声を落とす。キーマさんは顎に手を当てて考えるそぶりをした。
「いや、それらしい人を見かけたっていう話は入ってねえな」
「そうか……」
求めた答えが返ってこず、カイトは項垂れた。それを見たキーマさんはにやりと笑う。
「なーに暗い顔してんだ、カイト! 俺がせっかく作ったメシがまずくなるだろ? ほれ、そういうときは美味いもん食って元気出せ!」
ガシガシと乱暴にカイトの頭を撫でる。カイトははじめ嫌そうに睨んでいたが、ふっと笑った。
「分かってるって。ありがとな、おっさん」
カイトが礼を言うと、キーマさんはよせやいと笑い飛ばした。
「そういえば、お嬢ちゃんも旅人か?」
「え? あ、は、はい」
急に自分に話題が飛んで、私は声が裏返ってしまった。食べる手を止めて嬉しそうな相手の顔を見上げる。キーマさんはじっと私を見ていた。
「なかなか可愛い子じゃねえか。どこで捕まえてきたんだよ、カイト。まさか恋人か?」
カイトが盛大にむせった。よほど驚いたのかごほごほと息を整えている。キーマさんはそんな彼をにやにやと見ていた。
「じょ、冗談が過ぎるぜ、おっさん!」
「んで? キスはしたのか?」
「する訳ねーだろ! 成り行きで出会っただけだ!」
悪のりしていくキーマさんに、カイトはくわっとつっかかった。彼の答えに、キーマさんはつまんないな、と笑う。私は何故か必死なカイトが可笑しくて、悪いとは分かっていたが笑ってしまった。しばらく声を上げて笑っていると、紫色の瞳が驚いたようにこちらを見たのが分かった。
「な、何笑ってんだよ」
彼の声は戸惑いに揺れている。笑われたのが気に障ったらしく、カイトの顔は赤くなっていた。気付けば、彼を挟んで向こう側に座っているアッグも可笑しそうに笑っている。
「カイト、顔が赤いッス」
「なっ……こ、これは酒のせいだ! 酒の!」
カイトは誤魔化すようにジョッキに残っていたハボッシュを飲み干した。顔を赤くしたまま頬杖をつく。そんな彼が、なんだか可笑しかった。
翌朝、まだ日も出始めたばかりの頃、私は外に出ていた。カイトはこの街でもう少し情報を集めると言って出て行き、アッグは寒いからと宿に残っている。そういうわけで、私は一人で街並みを歩いていた。
朝の風はまだ肌寒く、私は外套を羽織り直す。通りを歩くと、どの家も土の煉瓦でできていると気付く。窓は小さくて、太陽の光をできるだけ入れないようになっていた。乾燥した土地に合った作りなのだろう。
まだ涼しい時刻だからか、通りには露店が出ていた。衣服やアクセサリーといった身につける物、魔石など日常の消耗品、新鮮なミルクから日持ちの効く食べ物、どこか遠くの国から運ばれたらしい珍しい物まで、様々な物が売られている。通りはまた、それらを買う人々で賑わっていた。買う必要のある物は今のところないと思うけれど、私は露店を眺めながら歩いた。
「何をしている!」
不意に聞こえた怒鳴り声に、私は思わず振り向いた。見れば、鎧で身を固めた人たちが整列していた。彼らを前にして、背の高い人がなにやら怒鳴っていたらしい。金髪のその人は同じく鎧を身に纏い、腰に剣を帯び、騎士という言葉がしっくりくる。怒りでわずかに歪められてもなお、整った目鼻立ちは朝日に照らされて美しい。髪の毛の合間からのぞく耳は、先が尖ってツンと横に飛び出していた。
以前コアズさんに教えてもらったことがある。私のような人族によく似た姿をして、尖った耳を持つ種族がいると。おそらく、あそこで指示を出している彼がそうなのだろう。気高き種族、エルフ族だ。カイトが探すミシュエルさんもエルフ族だが、水色の髪の毛をしていると言っていた。あの人は金髪。だから、あそこにいる人は別人だ。
そんなことを考えていると、そのエルフの人と目が合ってしまった。いけない、ついまじまじと見つめちゃってた。気まずくて目をそらそうとしたが、こちらを見返す視線の強さに動けなくなる。相手の瞳に警戒と敵意が込められているような気がして、ますます体を強張らせた。その人はこちらに近づこうとする。彼が何か言いかけた、そのとき。
「隊長! 遅れて申し訳ありません!」
ばたばたとオーク族の人が駆け込んできて、視線が外された。どうやらあのエルフの人の部下らしい。ハアハアと息を切らせ、それでも敬礼の姿勢を取っている。そんな彼を見やり、エルフの人は再び指示を出していた。
目を離している間に、私は逃げるようにその場を後にした。一方的に敵意を向けられるのは、心臓に良くない。いや、じっと見つめすぎた私が悪いんだけど。ともかく、再び目をつけられないように、私は宿へと足を速めた。




