9.行商人
宿で一泊し、まだ日も低い明け方、私たちはオアシスの町を後にした。イサラスの街目指し、道のかき消えた砂漠を進む。
しばらく歩き、日もいくらか昇った頃。前方に影が見えた。おそらく行商人だろう。遠いこの位置では正確なことは分からないが、その影は馬車のような格好に見える。その付近に、素早く動く何かが群がっていた。
「た、助けてくれ!」
男性とおぼしき人の叫び声。状況の異様さを察知し、私たちは駆け出した。近づくにつれ、その影ははっきりとしてくる。荷車の周りに、サソリのような魔物が群がってはねている。車のそばには山羊のような顔つきをした人が杖を振って追い払おうとしていた。守りの魔法でも使っているのか、魔物達は近づけていない。だが、追い払い切れていないのも事実だった。
私は剣を抜いた。カイトもアッグも、自分の得物を構えている。真っ先に飛び出したのはカイトだ。稲妻が一匹の体を貫く。
「こいつらは爪と尻尾に毒がある。近づくときは気をつけろ」
赤い傘を構えながら、カイトの助言が飛ぶ。つまり、あの魔物は大きめのサソリとみて問題ないみたい。私は魔力を集めてやや思案する。そして、風の刃を作り出してサソリに放った。見えない刃が魔物の体を切断する。剣で戦ってもいいが、やはり遠距離からの魔法攻撃の方が妥当だろう。私もカイトも鎧を着ていないからなおさらだ。対して、アッグはまるでホームランでも打ちそうなほど豪快に斧を振るっていた。力の強い彼は重たい斧でも気にした様子はない。魔物が群がるより早く、その体を斬っていく。
ほどなくして、魔物は全て動かなくなった。山羊の人はほっと息を吐き出してから頭を下げた。
「ありがとうございます、旅人さん。おかげで助かりました」
「どういたしまして。大丈夫でしたか?」
「はい、おかげさまで私も商品も傷一つありません」
私が笑顔で尋ねると、その人もまた目を細めて(山羊だから瞳は元々横長だが)笑った。
と、視界の端に何かがぬっと現れる。そして、私の首の辺りにすり寄った。
「わあ!?」
突然のことに、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。対して、山羊の人は穏やかに笑う。
「はは、ユミもお礼を言いたいそうだ」
そう言って、山羊の人はその“何か”を軽く叩いた。
「ユミ?」
「ええ、こいつの名前です。私の相棒、ユミールのユミですよ」
私の問いに、その人は優しく答えてくれた。てっきり馬車だと思っていたが、それは巨大なカタツムリのような生き物だった。貝の部分がちょうど座席になっている。カタツムリとは言っても、ぬめっとした皮膚ではなく、体の表面は鱗でびっしりと覆われていた。いかにも乾燥に耐えられそうな風貌である。
「さあさあ、直に昼になります。お礼もしたいですし、とりあえず中へどうぞ」
そう言って、山羊の男性は私たちをユミールという生き物の背中に誘導した。貝殻の中はまるで洞窟のようにひんやりと涼しい。そろそろ気温が上がり始める時間なので、これはありがたかった。
「では改めまして、先ほどは助けて頂きありがとうございました。私はこの辺りで行商を営んでおります、ヤクと申します」
深々と頭を下げて、その人――山羊族のヤクさんは言った。私たちも自己紹介をする。そのたびにヤクさんは会釈をしていた。
「ところで、魔物に襲われていたが……旅人は雇わなかったのか?」
一通りの挨拶の後、カイトがそう切り出した。魔物への対処なしに旅をすることは自殺行為だと、言葉の裏で言っているような気がした。
「ええ、本当は雇いたかったのですが、なかなか同じ方向に行く旅人さんを見つけられませんで……期限もありますし、やむなく出発することになったんです」
ヤクさんはそう言って項垂れた。横長の瞳もしょんぼりと下がっている。が、すぐに顔を上げてこちらに向き直った。
「それで、私はこれからコルシの街へ行くのですが、護衛をお願いできますか?」
「コルシか……その話、引き受けた」
ヤクさんの提案に、カイトがまず反応した。地図版で探してみると、コルシの街はここから今の目的地であるイサラスへの途中にあるようだ。
「おお、それはありがたい! 是非ともお願いします!」
ヤクさんは嬉しそうに頭を下げた。私も笑顔でお辞儀を返す。
「こちらこそよろしくお願いします」
「俺、ユミールに乗ったの初めてッス」
護衛の代わりに乗せてもらいながら、アッグがつぶやいた。彼と同じく、私も乗るのは初めてだ。というか、まさかカタツムリのような生き物に乗るだなんて、転生前なら考えなかっただろうな。
「おや、そうなんですか?」
アッグの言葉に、ヤクさんが意外そうに尋ね返してくる。困ってしまったらしいアッグに代わって私が答えた。
「私も彼、アッグも旅を始めてからあまり経ってないんです」
どちらもまだ世界を知らないのだと説明する。と、カイトが息を吐いた。
「世界的に広く飼われているが、運搬の主流って訳じゃないからな、ユミールは。他の乗り物の方が有用であることの方が多い」
腕を組んでそう説明してくれる。彼の言葉にヤクさんが続いた。
「ええ、砂漠でしたらバーセルでも良いんですが……私はこの通り陶器を扱っていまして、揺れの少ないユミールが良いんですよ」
そう言って、積み荷の一つを見せてくれる。丁寧に包装されたそれは、瑠璃色の模様が描かれた白い磁器だった。割れないよう慎重に運びたい気持ちもよく分かる。その点、ユミールは腹部の足で這って進んでいるから、ほとんど揺れを感じないのだ。その上、カタツムリ的な見た目に反して、歩くより断然速い。目測だが、自転車並みのスピードがあるようだ。
私はへえ、と声を漏らした。やっぱり、地球じゃ考えらんない常識があるから、異世界は面白い。ユミールの背中で、私はそう独りごちた。
遅くなりましたが更新です!
変わった乗り物って何だろうと考えたら、今回のユミールのような形になってました(笑)
これからも楽しんでもらえるとありがたいです




