3.優しさと疑い
砂漠で倒れていた青年は、今はベッドで眠っている。私達が町に駆け込んだ時、宿屋の人は具合の悪そうな彼を見るやいなや部屋を用意してくれたのだ。そればかりか、医者を呼んでくれさえした。治療の甲斐あって、熱は引き容態は安定している。あとは目を覚ますまで安静にして休ませればいいらしい。
私は彼の額に乗せた布を取り、水につけて固く絞る。そしてまた額に乗せた。体の火照りは収まり、うなされてもいない。その姿に安堵し、私は部屋を出ようとした。
「う……」
声と布すれの音に、私は振り向いた。青年は起き上がり、辺りを見回していた。
「気がついた?」
私が声を掛けると、青年は勢いよくこちらに顔を向けた。彼の紫色の瞳がまっすぐこちらを見る。私を値踏みしているような視線だ。私は穏やかに微笑んで、彼に近寄った。だが、さしのべた手は彼に振り払われてしまった。
「ここはどこだ? お前は誰だ? オレを――どうするつもりだ?」
青年はすさまじい剣幕で怒鳴った。彼に気圧され、私はその場で硬直する。依然、彼は私を見つめていた。いや、睨んでいたと言うべきかもしれない。その視線には明らかな敵意がにじんでいる。その怒りと警戒心が私に直に突き刺さるようで、苦しかった。
しかし、考えてみれば彼の行動は正しい。気付いたら見知らぬ場所に寝かされていて、傍には顔見知りでない人物が立っている。楽天家でない限り、この状況を訝しむのは当然だろう。しかも口ぶりからして、何か酷いことをされたばかりかもしれない。だから余計警戒しているのだろうか。
「…ここはバーヌの町。そして、私は満月。たまたま通りがかったら君が熱を出して倒れてたから、ここまで運んで看病してたところ」
できるだけ当たり障りの無いように、私は答えた。が、まだ青年の敵意は収まらない。むしろ目つきが険しくなった気さえする。
「はっ、どうだか。オレをどっかに引き渡そうとか考えてたんじゃねえのか?」
青年はゆらりと嗤った。ダメだ、これは完全に何か疑われてる。それに引き渡すって、奴隷商じゃあるまいし。言い返そうとしたが、立ち上がった彼は私よりもかなり背が高かった。敵意の籠もった視線で見下ろされ、私は畏縮した。悪いことなんてしてもいないし考えてもいないのに、体が震えてしまう。こんな反応をしたら余計疑われると頭では分かっているのに、体はその通りには動いてくれなかった。
と、その視線が和らいだ。同時に青年の体重が体にかかる。どうにか足を踏ん張って、二人とも倒れてしまうのは避けられた。耳元にある息づかいは荒い。熱が引いたとは言え、彼が本調子であるはずがないのだ。とりあえずベッドに座らせる。寝かせようとしたが、彼に拒否されてしまった。
「飲み物持ってくるから、ちょっと待ってて。あ、何か食べられそうなら用意してくるけど…」
私が訊いても、彼は黙っているだけだった。答えを言ってくれそうになかったので、私は部屋を出、コップと水差しを持ってくる。コップに水を注ぎ、彼に差し出した。が、彼は受け取りもせず、疑いと警戒の目で私を見つめるだけだった。先ほどまでの敵意はあまり感じられず、まるで怯える子犬のような眼差しだった。
「別に毒なんて入ってないって。ほら」
私は自分で注いだ水を飲み干して見せた。そして努めて明るく、彼に笑いかける。彼は目を見開いた。まじまじとこちらを見つめる。私はそんな彼に再び水を差しだした。すると、今度は受け取って飲んでくれた。私の胸に、暖かいものが巡る。飲み干すと、彼は無言のままコップを私に差し出した。私は始め戸惑ったが、もう一度水を注ぐと、また飲んでくれた。二杯目を飲み終えると、彼はコップを近くにあった机に置いた。そしてこちらに背を向け、布団に潜り込んでしまった。
それからしばらくして、青年は食欲もでてきたらしい。相変わらず無言で運んできた料理を食べている。ふと、その手が止まる。
「デュライアって言ったか? どうしてオレを助けた?」
静かな声音で青年は訊いた。まっすぐな視線が私を捉える。
「助けちゃまずかった?」
少しおどけてそう返せば、彼は首を横に振った。
「そうじゃない。どうして見ず知らずのオレを助けたんだ?」
私の意図が分からないと、瞳が語っていた。こちらとしてはそんなこと気にせずに親切を受け取って欲しいところなんだけれど。さて、どう説明すればいいのだろうか。私は視線を上げて思案した。
「助けたかったから、ってのじゃだめ?」
「…答えになってない」
苦し紛れの言葉はあっさり否定された。私を見る目つきが鋭くなる。しかし、本当にそれしか考えていなかったのだ。それ以上の理由なんて、求められても答えようがない。
「デュライアはこういう性格なんスよ」
私が考えていると、アッグが助け船を出した。
「困ってると見れば奴隷でも解放する、貧民街の人々も本気になって救おうと考える――そういう性格ッス。自分のことより、他人の幸せを優先するッス」
答えている時、アッグはいくらか嬉しそうに見えた。オレンジ色の瞳が輝いている気がする。それにしても私は、彼からこういう風に見られていたのか。まあ、あながち間違いじゃないけど。そう思っていると、急にかみ殺したような笑い声が聞こえてきた。
「くくっ、なるほど、そこまでお人好しなのも珍しい」
「…そこ笑うところ?」
青年はいつしか笑っていた。しかし、その理由は私にはちょっと腑に落ちない物がある。私、笑われるほどお人好しなの?
「オレはカイト。ありがとな、デュライア」
カイトと名乗った青年は明るく微笑んだ。もうその表情には敵意も疑念も消えている。つられて私も微笑み返した。
「どういたしまして。それと、君を実際に運んだのはこっちにいるアッグだよ」
私は手で軽くアッグを指し示して彼を紹介した。
「そうか。ありがとう、アッグ」
「それほどでもないッスよ~」
お礼を言われて照れくさいのか、アッグは頭を掻いた。その様子が何だか可笑しくて、私は思わず笑ってしまった。張り詰めてた空気を醸し出していたはずの病室は、いつの間にか穏やかな雰囲気に包まれていた。




