13.養生しなきゃ
目を覚ますと、木製の天井が見えた。私はただぼんやりとその天井を仰ぐ。ああそうだ、私はあの魔物を倒した後、倒れたんだ。意識がはっきりとして、私はがばと起き上がる。途端に体中に激痛が走った。あまりの痛みに声も出せず悶える。やはり相当な無理をしていたようだ。素直に逃げればよかったと後悔する。とはいえ、そもそもあの敵から逃げられるかどうかも怪しかったのだが。
「あら、気がついたんですね」
話しかけられて初めて、私はこの部屋に私以外の誰かがいることに気がついた。声の主は虎族の女性。華奢な体つきではあるが、そのプロポーションは美しい。彼女は心配そうにこちらに近寄ってくる。
「もう起きても大丈夫なのですか?」
「ああ、はい、大丈――」
再度の激痛に、私は皆まで言うことができなかった。女性は慌てて私を布団に押しやる。動く度に襲い来る痛みのせいで、上手く呼吸ができない気がした。
「無理はなさらないでください」
「――はい」
女性の言葉が今は重くのしかかる。私は弱々しく答えた。
彼女の話によると、子供達は帰ってきたのに私達の帰りは遅く、不審に思った彼らは有志で様子を見に来たのだそうだ。そして私は倒れた後村に運ばれ、そこで傷の手当てを受けたらしい。しかしなかなか目を覚まさないので村の人が交代で看病していたのだという。それを聞いて何だか申し訳ない気分になる。だが私が謝罪の言葉を述べる前に、相手が深々と頭を下げた。
「無理をしてまであの怪物を倒して頂いて、本当にありがとうございました。これで私どもも安心して暮らせることができます。お返しとは言えませんが、どうかゆっくりここでお休みください」
そう言われてしまうと返す言葉が無い。出かかっていた言葉は口の辺りで詰まって意味を成さずにこぼれ落ちた。どうにか言葉を紡がなければ。そう思っていると、女性の後ろの扉が開いた。逆光でよく見えないが、虎族の少年だ。
「起きてたのか」
そう言うなり、入ってきた少年は私の目の前にどかっと腰を下ろした。そして、持っていた筒をずいと差し出す。
「水だ。飲めるか?」
差し出されたのは水筒らしかった。ちょうど喉が渇いていたので、受け取って飲んだ。冷えていた訳ではなかったが、体に染みていくのが分かる。ほう、と息を吐いた。水筒を返すと、少年ケトは私から目を逸らした。
「……悪かったな」
「え?」
目を背けたまま、ケトはもごもごと口ごもった。声は落ち気味で、聞き取るのがやっとだ。しばらくうつむいて押し黙っていたが、やがて向き直った彼と目が合う。
「オレ達を逃がすために無茶したんだろ? その、悪かった。馬鹿にしたことも訂正する。アンタは、強い」
少年は頭を下げた。彼の行動がすぐには理解できず、私は瞬きする。けれどすぐに笑った。
「気にしなくていいのに。今の私は自分の判断と実力の結果だから」
私の言葉に、少年は弾かれたように顔を上げた。子猫のような、すがるような目つきでこちらを見つめている。
「怒って……ないのか?」
「なんで? 悪いのは私自身だもの。あなたを怒る義理はない」
私が笑いかけると、彼は居心地悪そうに頭を掻いた。が、はっとしてすぐにこちらに向き直る。
「オレは一人の戦士として、お前を認めただけだからな! 他のヤツにはオレが頭を下げたなんて言うんじゃないぞ!」
どこか焦ったように弁解する彼に、私は分かってると微笑んだ。
この少年は根っから悪い子という訳ではないのだろう。父親が実力者で、その背中はいつも遠くに見えていた。それなのに、見ず知らずの旅人は褒め称える。その悔しさを私にぶつけるしかなかったのだろう。私は謝ってくれたことが、嬉しかった。彼の本当の姿が垣間見られたようで。これで怒鳴り倒されたら、私は立つ瀬がなかっただろうな。
ふっとまぶたが重くなった。安心したせいだろうか、睡魔はどんどん私を無意識へと引っ張っていく。逆らいきれず、私は意識を手放した。
そうしていくらか時間が経って。私は苦なく歩けるようになるまでに回復した。とはいえ、ずっと寝ていたから体がなまってるかもしれないけれど。
「それにしても良かったッス、元気になったみたいで…」
「ごめんね、心配かけて」
私の前に、アッグは座っていた。彼の顔にはようやく落ち着ける、と書かれているようだった。
「そうそう、このトカゲの兄ちゃんな、アンタが死んだんじゃないかって大騒ぎしてたんだぞ」
アッグの隣に座っている獅子族の男性が、おもしろがるように口を挟んだ。彼にからかわれ、アッグは慌てて弁解していた。どうやらことを大袈裟に捉えてしまったのは事実のようだ。私が倒れて気が動転した彼の姿が容易に想像できて、私は笑ってしまった。
「なっ、デュライアまで何笑ってるッスか!」
「ああ、ごめん。…ふふっ」
アッグが顔を紅潮させて(元々赤い鱗に覆われているが)叫ぶ。でもそれだけ心配をかけたという事だ。もしまたあの魔物に出くわしたら、よほどのことがない限り無視の方向でいこう。今回は何とかなったとは言え、必ずしも勝てる相手だとは思えないし。
「ところで、食欲はあるか?」
獅子族の男性はそう言って、木の器に盛られた肉を差し出した。言われてみれば、食べ物をくれとお腹が鳴いている。回復のためには食事も必要だ。それは分かっているのだが。私は改めて器に盛られたものを見た。赤黒いその塊は、どう見ても生肉なんだけど…
「あの~、それは?」
「こいつか? こいつはタイレンの睾丸だ。精力をつけるにはこれが一番よ!」
私が恐る恐る訪ねると、男性は豪快に笑った。まあ、タイレンというのは恐らく獣の名前なのだろう。でも、睾丸って――アレだよね。ちらりとアッグを盗み見れば、なんてもの食べさせるんだと言わんばかりにドン引きしてる。つまり、これは――そこまで考えて、私は頭を振った。いや、考えるのはやめておこう。じゃないと絶対食べられなくなる。
「生…………ですか?」
「おうよ! 生食がいちばん効くのさ。まあ安心しろ。ちゃんと洗った。安全性は保証する」
私が嫌そうな顔をしているのを、男性は病原菌や寄生虫の心配をしていると捉えたらしい。いや火を通してないしそっちも心配だけど、そもそも私は生肉がそんなに好きじゃない。とはいえ何か食べたいのは事実だし、彼とて嫌がらせなのではなく親切心で進めているのだろう。ごくりとつばを飲み込む。ええい、こうなったらどうにでもなれ!
私は意を決し、塊の一つを手に取った。そのままがぶりと食らいつく。血抜きをしてあるためか、見た目ほど生臭くはない。が、硬くて歯ごたえがあるので噛み切りにくい。口の中でグニャグニャいっている。美味しいとか不味いとか、そんな私の価値観の領域を越えていた。早いところ飲み下したいのだが、飲み込めるだけの大きさにするのにかなり苦戦した。ようやく小さな塊になったところで水と共に流し込む。はあ、と大きく息を吐いた。
「どうだ? 力が湧いてきただろ?」
「そ、そうですね…」
獅子族の男性が笑う。私は適当に相づちを打った。むしろ体力が奪われた気がするけど。
「だ、大胆ッスね、デュライアは…」
「同感だ。効くと言っても普通の旅人はそうそう口にしてくれねえ」
アッグの言葉に、男性は頷いた。アッグは複雑な面持ちでこちらを見つめているが、男性は相変わらず茶化すような口調だ。なんか、真面目に食べた私が馬鹿みたいに思えてくる。
「美味いのになあ…」
そう言って、男性は肉を口に放り込んだ。その光景があまりにも自然に見えてしまったのは、彼がライオンのような容貌をしているためだろうか。確かにそれが日常的であれば何のためらいもなく食べられるんだとは思うけど。世界を知るのは色々大変だと、改めて思った。
これにて草原の狩人編、完結です。
ケト少年は実は優しい子だったらいいなあと思いながら書いてました。
それと後半はネタを受信してしまってどうしても書きたくなってしまったのです。気分を害した方がいましたらごめんなさい。
でもイノシシのソレは猟師さんだけが食べられるごちそうだとテレビでやってました。ちなみに日本の話です。まあ、実際に美味しいのかどうかはよく分かりませんが…




