7.神秘との出会い
薄暗い木々が裂け、視界が開ける。見上げた空は青かった。ここのところ森の中ばかりだったから、どこまでも広いあの空が懐かしく感じる。
そこは熱帯草原、サバンナだった。サバンナというと、ライオンやシマウマがいるアフリカの光景を思い浮かべると思うが、大体そんな感じである。背の高い草が地面を覆い、その中に低木がまばらに生える。年中雨が多いと熱帯雨林になるが、乾季と雨季が明瞭になると草原になるのだという。今は雨期だから、見渡すばかり緑色だ。それでも、今までよりは空気がカラッとして気持ちいい。
「デュライアー! 何してるッスかー?」
声の方を見ると、アッグがこちらを振り向いていた。どうやら私が立ち止まっている間に進んでいたらしい。
「ごめんごめん、ちょっと景色を見てて」
私は慌てて鎧姿の彼を追いかけた。怒られるかと思ったが、アッグの顔は笑っていた。
「確かにすごいッス。俺、街と森以外の光景初めて見たッスよ!」
アッグの声は高揚していた。そうか、アッグはきっとピオッシア以外の光景を知らないんだ。
「旅をすれば、もっといろんな光景にも出会えると思うよ」
まだここは熱帯だが、世界にはきっと砂漠や雪国だってあるだろう。ここは異世界だから、ひょっとしたら私が想像もできないような景色が広がっているかもしれない。
「デュライアは行ったことあるんスか?」
「いや、本とかで知ってるだけだよ」
驚いて目を見開くアッグに、私はちょっとだけ肩をすくめた。景色は知っていても、実際に訪れた地は少ない。だがこれからそういう景色に出会えるのかと思うと、胸が高鳴った。
青々と茂る草むらをかき分けて進んでいくと、風に混じって高い声が聞こえてきた。どちらかというとそれは、人ならざるものの声。だが、すがるように寂しげな――
気付けば私は声のする方に足を勧めていた。寂しげなうめき声は足下から聞こえてくる。見れば、真っ白い毛皮に覆われた獣の子供だった。ちょうどゴールデンレトリバーのような顔つきで、犬と違うのは尻尾が三つ叉であることである。真っ赤な双眸を怯えさせ、こちらを見上げている。逃げないのではなく、罠にはまって逃げられないのだとすぐに分かった。
「フィンセトの子供ッスね。普通は罠で狙われるような動物じゃないはずッス。けど、まだ幼いから引っかかっちゃったのかも知れないッス」
アッグが私の後ろからのぞき込む。彼の言う通り、罠で狙うにはその獣は小さすぎた。ちなみに誤解しているかも知れないので言っておくが、魔物と動物は違う。動物は人ではないが生き物であり、魔物は余剰魔力から生まれた実体のない存在だ。そして、目の前にいるフィンセトは動物であり、必ずしも退治しなければならない相手ではない。
私は小さな獣のそばでしゃがんだ。できるだけ目線を低くし、怯えさせないようにするためだ。それでも子供のフィンセトは捕らえられていない足で起き上がり、毛を逆立てて牙を剥く。懸命に威嚇しようとするその姿に、私もいくらかたじろいだ。
だが、ここで引く訳にはいかない。私は下から白い獣を抱え込む。小さな体がビクリと震え、逃れようと暴れる。鋭い爪が、私の腕を切りつける。痛みで腕を引きそうになったが、努めて子供のフィンセトを撫でた。しばらくそうしていると、徐々に暴れる力が弱まっていた。私に敵意がないと感じたのか、無垢な瞳がこちらを見つめてくる。
ようやく、私は罠を外しにかかった。だが力ずくでは開きそうにない。仕方なく私は魔力を集め、罠そのものを壊した。そうして、捕らえられていた小さな足を見る。暴れたのだろう、白い毛が赤く染まっていた。
私はもう一度魔力を集めた。そしてその足に向けて解放させる。それは眩い光となり、足を包み込んだ。傷と同時に痛みも消えたのか、フィンセトは不思議そうに自分の足を見つめている。私が立ち上がると、フィンセトは足にすり寄ってきた。
「でもどうするんスか? 放っておいたら死んじゃいそうッス」
アッグが心配そうに獣を見つめた。確かに、見た目からして肉食っぽいし、多分親から離れるには小さすぎるように思う。
「うーん、何とか親元に戻せればいいんだけど…」
そうは言ってみたが、恐らく難しいだろう。私はどうしようかと思案を巡らせた。
突如、風が草原を渡った。草が割れ、道を作る。その先には、大きくて白い獣。現れたフィンセトの成獣は、まさしく神獣であった。揺れる三つの尻尾が神々しさを引き立てる。その深紅の双眸に見据えられ、私は身動きができなくなっていた。
二呼吸ほどの間。ふいに視線が外れた。見れば、先ほどの子供が成獣の足下にすり寄っていたのだ。いや、一匹だけではない。もう三匹ほど子供のフィンセトが群がっていた。親と同じ紅い瞳が、不思議そうに私を見つめている。そこで私は我に返った。再び見つめてくる双眸を、私は真正面から見つめ返した。
「余計なことをしたかもしれません。でも、私達はあなた方を傷つけるつもりはありません。信じてください」
白い獣は黙ったまま私を見つめるだけだった。射すくめられそうな視線が私を刺す。けれど、私は先ほどとは違った。誠意を込めてその目を見返す。
フィンセトの成獣は踵を返した。時折こちらを振り向いたが、やがて草むらの中に沈んだ。私はただ、消えた方角を見つめるだけであった。
どれほどそうしていただろうか。狼のような獣――フィンセトの親子を見送った私は、壊してしまった罠を見つめた。捕らえるべき獲物を失い、罠は無残にも粉々になっていた。誤ってフィンセトの子供を捕らえてしまったのだろうが、これを仕掛けた人にも生活があるはずだ。もちろん、魔法で直そうと思えばできる。だが無知な私が元通りに見せかけたところで、勘の良い獣たちには気付かれてしまうだろう。果たしてどうするべきか…
「? デュライア、何してるんスか?」
動かない私を見かねてか、アッグが首を傾げた。
「いや、罠壊しちゃったから、どうしようかなと」
「それがどうかしたんスか? 別に放っておけばいいッス」
大して気にも留めていないらしいアッグの言葉に、私は軽く頭を抑え、ため息をついた。
「だってさ、もしこれがフィンセトじゃなくて、美味しい肉を持つ獣を捕まえていたんだったら、明らかに罠張った人が損じゃん? なにか代わりにならないかなあって思ってたんだよ」
「そ、そんなところまで気に掛けてるんスか! 相変わらず苦労しやすそうッスね…」
アッグは信じられないとばかりに尻尾を横に振る。まあ、分かってるよ、自分がいらん苦労をする性格だってのは。しかし、気に掛けてしまったら止まらないのも私であった。結局いい案は浮かばず、『獲物をやむを得ず横取りしてごめんなさい。これはお詫びです』といった趣旨のメモと共に、いくらかのお金と魔石を罠の近くに置き、固定しておいた。もちろんアッグからは、横から色々言われてしまったが。
ちょっと更新が遅くなってしまいました。
今回の舞台は熱帯は熱帯でもサバンナです!またいろんな種族などを出していく予定…
不定期更新となってしまうと思いますが、どうぞよろしくお願いします。




