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婚約破棄されたので、光る蝶が舞う黄昏の花園で毒草栽培はじめます~前世は農学部、蝶々は全部私の眷属です♪~

作者: uta
掲載日:2026/07/29

「毒使いの令嬢との婚約は破棄する。お前の陰気な花園ごと、王家は不要だ」


王城の大広間。シャンデリアの光の下、王太子リオネル・ヴァルデが高らかに宣言した。


居並ぶ貴族たちのざわめき。扇の陰で交わされる嘲笑。その中心に立たされた私――セレナ・アッシュフィールドは、ただ静かに立っていた。


(え、待って。婚約破棄? つまり――あの面倒くさい社交界から解放されて、一日中あの花園で植物いじりしていいってこと?)


心の中で、私の前世――佐倉澪がガッツポーズを決めた。


(最高では?)


前世は農学部卒、種苗メーカー勤めの社畜。過労で倒れて、気づいたらこの世界の公爵令嬢だった。残業も終電もない世界。あるのは、夕暮れに光る蝶が舞う『黄昏の花園』。私の唯一にして最愛の楽園。


だというのに、この国の人間ときたら。


「セレナ様は珍しい毒草を育てておられるとか」

「まあ、恐ろしい。毒使いの陰気令嬢ですわね」


――薬草だよ。薬草。ちゃんと解毒薬にも治療薬にもなるんだよ。あんたたちが飲んでる薬、半分くらい私の花園産なんだけど。


まあ、言わないけど。


リオネル王太子の隣では、桃色の巻き髪の少女が可憐に微笑んでいた。男爵令嬢ミレイユ・カロン。


「セレナ様は……毒草で、王家を害そうとなさったのですわ。わたくし、聖女の力で気づいてしまって……」


潤んだ瞳。震える声。庇護欲をそそる完璧な演技。


(へえ。聖女の力ねえ)


私は表情を変えなかった。変える必要がなかった。だって私は、この茶番の結末を、もう知っているから。


「かしこまりました」


私は静かに、深く一礼した。


この『かしこまりました』が、拒絶と皮肉の合図であることを――彼らはまだ、誰も知らない。



「聞いたか、この毒女は謝罪もせぬ」


リオネルが勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


「王家の慈悲に感謝することだ。本来なら牢に繋いでもよいところ――」


「ええ、感謝いたしますわ」


私はにっこりと微笑んだ。淡々と、しかし確かに。


「では、失礼して。花園は私の私有地ですので、当然一緒に出ていかせていただきますね」


一瞬、広間が静まり返った。


「……は?」


リオネルの間の抜けた声。


私は懐から、古びた羊皮紙を取り出した。前公爵夫人――亡き母が、個人名義で遺した権利書。


「『黄昏の花園』は、アッシュフィールド家の領地ではなく、母セレスティア個人の所有物。相続したのは、娘である私。王家にも公爵家にも、一切の権利はございません」


「な……そんな庭など、どうでもいい! たかが陰気な毒草畑ではないか!」


(うん、そう思っててくれると助かる)


心の中でにやりと笑う。


この人たちは知らない。あの花園が、王都に流通する解毒薬・治療薬の唯一の供給源だということを。ミレイユの『聖女治癒』の正体が、私が密かに献上し続けていた花園産の秘薬だということを。


知らないまま、自分から手放してくれる。


(前世で学んだんだよね。無能な上司ほど、有能な部下の価値に気づかない。そして辞めてから初めて青ざめる)


「では、これにて」


もう一度、丁寧に一礼。私は踵を返した。銀灰色の髪が、シャンデリアの光を受けて揺れる。


背後で、リオネルが何か喚いていた。ミレイユが甲高く笑っていた。どうでもよかった。


私の頭の中は、もう次のことでいっぱいだったから。


(さて。どこの土地で花園を再現しようかな。日当たりと水はけ、あと魔素濃度も測らなきゃ……ああ、楽しみ!)


楽園を持って、私は城を出た。



辺境。王都から馬車で七日。


見渡す限りの荒れた休耕地に、私は立っていた。


「……ここ、いいなあ」


思わず本音が漏れる。魔素は豊富、水源も近い。誰も手をつけていない広大な土地。前世なら喉から手が出るほど欲しかった実験圃場だ。


肩に、ふわりと重みが乗った。


金色に輝く、ひときわ大きな蝶。光る蝶の長――私が『ルーチェ』と名付けた子だ。羽ばたきの明滅が、まるで「ここでいいの?」と問いかけているようだった。


「うん。ここにしよう」


ルーチェが嬉しそうに翅を震わせる。すると、どこからともなく無数の光る蝶が集まってきた。夕暮れの空気に、金と銀の光が舞う。


受粉精霊。花園の魔力を運ぶ、私にしか懐かない眷属たち。


私は土に膝をつき、種を蒔き始めた。前世の農学知識と、この世界で得た植物鑑定スキル。そして光る蝶の力。


三日で芽が出た。七日で花が咲いた。


黄昏時、辺境の休耕地に、光る蝶が舞う『黄昏の花園』が――蘇った。


「……はぁ。最高」


夕日を浴びながら、私は深く息を吐いた。


前世じゃ残業ばっかりで、趣味の時間なんてゼロだった。休日は泥のように眠るだけ。好きな植物に触れる時間なんて、どこにもなかった。


(でも、今世は違う)


土の匂い。花の香り。蝶の光。


(私は、私の好きなものに囲まれて生きる。誰にも文句は言わせない)


それが、私のたった一つの、譲れない価値観。


ルーチェが、私の頭の上でくるりと舞った。まるで「その意気だ」と言うように。



花園を開いて半月。私はさっそく、近くの街の冒険者ギルドに素材を卸してみた。


結果は――


「な、なんだこの解毒薬は! 上位種の毒がきれいさっぱり消えたぞ!」

「このポーション素材、純度が異常だ……どこで手に入れた!?」


大騒ぎになった。


(まあ、そうなるよね。魔素飽和状態で育てた最適個体だもん)


内心ホクホクしながら、私は淡々と対応した。名前は伏せて、『黄昏の花園』の名だけを告げて。


そんなある日。花園に、腰の曲がった小柄な老婆がやってきた。片目に古びた単眼鏡。じろりと私を、いや、私の育てた薬草を睨めつける。


「……ふん」


老婆は一株の薬草をつまみ上げ、しばらく無言で観察した。それから、ぎろりと私を見た。


「この調合、宮廷医が束になっても真似できやしないよ。魔素の乗せ方、収穫のタイミング……素人の仕事じゃない」


「恐れ入ります」


「あんた、ただの令嬢じゃないね」


私は少しだけ、口の端を上げた。


「――ノーラ・グリム。昔は王都で薬師をやってた。権威主義の宮廷医療に嫌気がさして流れてきた老いぼれさ」


王都で。薬師を。


(この人……もしかして、いろいろ知ってる?)


「ねえ、おばあさん」私は静かに尋ねた。「王都の『聖女様』の治癒って、最近どう?」


ノーラの単眼鏡が、きらりと光った。


「……ふん。妙なことを聞くね。あの偽物のことかい」


偽物。その一言で、私はこの老婆が信頼できると確信した。


「悪くない調合だ」ノーラは薬草をそっと戻した。「あたしゃ、ここに居座らせてもらうよ。文句あるかい?」


「いいえ。大歓迎です」


こうして、花園に最初の仲間が加わった。そして――辛口の老薬師は、後に『種明かしの生き証人』となる。まだ、誰も知らないけれど。



「――辺境伯様が、お会いになりたいと」


ノーラの言葉に、私は首を傾げた。


アルヴィス・ドラグヘイム。この辺境を治める竜人の辺境伯。『冷酷無比の竜殺し』と諸国に恐れられる強キャラ。


(うわ、面倒くさそう……でも、領主に挨拶しとかないと後が面倒だしなあ)


手土産に、花園の花蜜を練り込んだクッキーを焼いて、辺境伯城へ向かった。


応接間の扉を開けて――私は固まった。


身の丈二メートル近い巨躯。黒鱗の紋様。赤い縦長の瞳。噂通りの威圧感。


だが。その巨体は、椅子に収まりきらず、床に正座していた。


「……」


沈黙。恐ろしいほどの沈黙。


私はテーブルに、クッキーの包みを置いた。


「ご挨拶が遅れました。花園を営んでおります、セレナと申します。よろしければ、こちらを」


アルヴィスの赤い瞳が、クッキーに落ちた。


そのとき――肩に乗っていたルーチェが、ふわりと舞い立ち、彼の角の先にちょこんと止まった。


巨大な竜人の顔が、みるみる緩んだ。


「……蝶」ぼそり、と。「……光って、いる」


(あ、この人。蝶に完全にデレてる)


アルヴィスは恐る恐る、太い指でクッキーを一枚つまみ、口に運んだ。


咀嚼。沈黙。


そして――角の付け根が、じわじわと赤く染まっていった。


「……もう一枚、いいだろうか」


絞り出すような声。冷酷無比の竜殺しが、耳を赤くして、クッキーのおかわりを乞うている。


(……なにこれ。かわいい)


私は思わず、ふっと笑ってしまった。婚約破棄されて以来、初めて心から笑った気がした。


「ええ、どうぞ。たくさんございますので」


アルヴィスは、それはもう幸せそうにクッキーを頬張った。ルーチェが彼の頭の上でご機嫌に舞う。


「……セレナ殿」ぽつり、と彼は言った。「あなたは、花園と秘薬をもたらす、得難い取引相手だ。身分も、噂も、私には関係ない。……対等に、付き合ってほしい」


身分でも噂でもなく、私自身を、対等に。


王都では誰一人、そう言ってくれなかったのに。


「……こちらこそ」


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


この不器用でポンコツな竜人が、後に私の隣に立つことになるなんて――このときの私は、まだ知らなかった。



――王都は、地獄と化していた。


原因不明の疫病。高熱、発疹、そして解毒薬の効かない毒素。日に日に倒れる者が増え、貴族街にまで病は広がっていた。


王城の一室。王太子リオネルは、苛立ちに爪を噛んでいた。


「どういうことだ! 聖女の治癒はどうした!」


「そ、それが……」侍従が青ざめる。「ミレイユ様の力が……まるで、効かず……」


寝台の傍らで、ミレイユ・カロンは震えていた。


(なんで。なんで効かないの)


いつもは、手をかざせば病人が回復した。それで『聖女』と讃えられた。ちやほやされた。


だが今は――何をしても、患者は苦しむばかり。


「わ、わたくし、聖女ですのよ……!?」


悲鳴のような声。だが、誰も振り返らない。効果のない祈りに、もう誰も期待していなかった。


(あの薬……セレナ様が、毎月わたくしに届けていた、あの小瓶……)


ミレイユの背筋を、冷たいものが走った。


そうだ。あの秘薬を、患者に飲ませていただけ。手をかざすのは、ただの演出。薬の在庫は――とっくに、底をついていた。


セレナが、王都を去ってから。


(まさか。まさか、あれが……全部……)


「聖女! なぜ黙っている! 早く病を治さぬか!」


リオネルが怒鳴る。だが、その顔にも隠しきれない焦燥が滲んでいた。彼もまた、うっすらと気づき始めていた。手放したものの、正体に。


「王家の名において……解毒薬をかき集めよ! 全国から!」


「陛下、それが……国中の解毒薬が、もとをたどれば、すべて同じ供給源で……」


「なんだと」


「『黄昏の花園』、と……」


広間が、凍りついた。


リオネルの顔から、血の気が引いていく。陰気で不気味だと切り捨てた、あの毒使いの令嬢の庭。


(まさか。まさか、あの女――)


窓の外、王都の空に、病を告げる弔いの鐘が鳴り響いていた。



その日、辺境伯城に、王都からの使者が跪いた。


みすぼらしいマントに、憔悴した顔。かつての傲慢な王太子リオネル本人だった。


「セレナ……いや、セレナ殿」


声が震えていた。


「頼む。花園を――いや、貴殿の力を、王都に戻してほしい。疫病が、民が、死んでいくのだ」


私は、光る蝶を従え、静かに彼を見下ろした。背後には、腕を組んだアルヴィスが山のように佇んでいる。


「あら」


私は、ゆっくりと微笑んだ。


「毒使いの陰気令嬢の花園が、必要なんですか?」


リオネルの顔が歪む。


「あ、あれは、言葉の綾で――」


「でも私、もう解雇されたので」


淡々と。しかし、氷のように。


「『陰気な花園ごと、王家は不要だ』。たしか、そう仰いましたよね。大勢の前で。私、ちゃんと覚えておりますわ」


「っ……」


「それに――」


私は、隣を舞うルーチェにそっと指を差し出した。金色の蝶が、愛おしげに私の指に止まる。


「花園は、私を大切にしてくれる人のところにしか咲きませんの」


花園がなぜ私にしか従わないのか。光る蝶がなぜ私にしか懐かないのか。それは、比喩でも脅しでもなく――ただの、事実。


「そこな男爵令嬢に頼まれてはいかが? 聖女様なのでしょう?」


リオネルの背後で、同行していたミレイユが、びくりと肩を震わせた。


そこへ、ノーラが単眼鏡を光らせながら進み出た。


「王太子殿下。あたしゃ元・王都の薬師、ノーラ・グリムだ」老婆の声が、朗々と響く。「はっきり言わせてもらおう。その娘の『聖女治癒』は、まやかしだ。すべて、セレナ様が献上していた花園産の秘薬の効果。あたしゃ調合の癖まで見抜いてる。証言してもいい」


「な……」


ミレイユの顔から、可憐な仮面が剥がれ落ちた。


「ち、違います! わたくしは、聖女で――わたくし、聖女ですのよ!?」


もう、誰も信じなかった。


静寂の中、私はただ一言、告げた。


「――かしこまりました。ですが、お断りいたします」


拒絶の合図。


光る蝶が、いっせいに舞い上がり、黄昏の空を金色に染めた。



王都は、選択を迫られた。


花園産の秘薬なしでは、疫病は収まらない。国は立ち行かない。


そして真相は、公の場で白日の下に晒された。


ミレイユの聖女詐称。リオネルの無能。彼らが切り捨てた『陰気な毒使い令嬢』こそが、王国医療の生命線だったという事実。


自ら仕掛けた断罪劇の論理が、そっくりそのまま彼ら自身に跳ね返った。


王家は、辺境伯領――すなわち、私と正式な交易契約を結ばざるを得なくなった。秘薬の供給と引き換えに。政治的主導権は、辺境へ。


リオネルは王太子の座を退き、ミレイユは男爵家からも見放された。


(失ってから気づく、か)


私は、契約書に淡々とサインしながら思う。前世でもよく見た光景だ。有能な人材を軽んじ、去られて初めて青ざめる。


でも、もう遅い。いつだって、遅いのだ。


「セレナ殿」


隣で、アルヴィスが低く言った。


「無理を、していないか」


心配してくれている。不器用に、まっすぐに。


「いいえ」私は首を振った。「むしろ、すっきりしました。……ちゃんと、けじめがついたので」


王都のことは、もういい。私の世界は、この花園と、ここに集う温かい人たちの中にあるのだから。


黄昏が、辺境の花園を染めていく。光る蝶が、ゆっくりと舞っていた。



黄昏の花園。


一日の仕事を終えて、私は花壇の縁に腰かけていた。光る蝶が、夕暮れの空気に金色の軌跡を描いて舞う。


「……セレナ殿」


背後から、のっそりとアルヴィスがやってきた。その手には――花束。


お世辞にも上手とは言えない、不器用に握られた、野の花の花束。


(え)


私は目を瞬いた。


アルヴィスの角の付け根が、じわじわと赤くなっていく。彼はぎこちなく、それを私に差し出した。


「……その」


言葉が続かない。感情表現が絶望的に不器用なこの竜人は、いつも贈り物を無言で積み上げるだけ。


でも今日は、自分で花を摘んで、渡そうとしている。私のために。


胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。前世で、こんなふうに誰かに大切にされたことなんて、あっただろうか。


残業続きで、誰にも顧みられず、ただ消耗していくだけだった日々。報われなかった、あの人生。


(でも――今は)


花束を受け取ると、ふわりと甘い花の香りがした。


私は、そっと微笑んだ。


「……クッキー、おかわりいります?」


アルヴィスの赤い瞳が、ぱっと輝いた。


「……いる」


即答。


私は思わず、声を上げて笑ってしまった。


光る蝶が、ふたりの周りをくるくると舞う。ルーチェが、まるで祝福するように、私とアルヴィスの間を行き来した。


黄昏の花園。前世で報われなかった彼女は――佐倉澪だった私は、今、確かに満たされている。


好きなものに囲まれて。大切な人の隣で。


これ以上の幸せが、あるだろうか。


(最高では?)



その夜。


花園の最奥で、異変が起きていた。


光る蝶たちが、ざわめいている。ルーチェが、いつになく落ち着かない様子で、私の頭の上を旋回していた。


「どうしたの、ルーチェ」


私は蝶に導かれるまま、花園のいちばん奥――誰も足を踏み入れたことのない、古い一角へと進んだ。


そこに、それはあった。黒みを帯びた、ひときわ大きな蕾。


植物鑑定スキルを向けても――『?????』と表示されるだけ。前世の知識にも、この世界の図鑑にも、載っていない。


「なにこれ……」


蕾は、月光ではなく、黄昏の残光を吸って、かすかに脈打っているように見えた。


そのとき、蕾の先端が、ほんの少しだけ、ほころんだ。


瞬間――花園中の光る蝶が、いっせいに輝きを増した。金と銀の光が、夜の花園を昼のように照らし出す。


「!」


ルーチェが、ひときわ強く輝いた。まるで、何かを告げるように。何かを、待ちわびるように。


(『黄昏にだけ咲く花』……)


背筋を、ぞくりとした予感が駆け抜ける。


この花が咲いたとき、いったい何が起こるのか。何を、呼び寄せるのか。


それは――まだ、誰も知らない。私も。ルーチェも。あの不器用な竜人も。


蕾は、静かに、確かに、その時を待っていた。黄昏の花園の、次なる物語の幕開けを告げるように。


(……ま、明日ちゃんと観察日誌つけよう)


私は、ふっと肩の力を抜いて笑った。


どんな謎も、どんな出会いも。この花園でなら、きっと楽しめる気がしたから。


――つづく。

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