勇者に「地獄へ落ちろ」と言われたので、有給を使ってメイドと地獄へ慰安旅行に行ってみた。 ~過酷な刑罰も、元社畜の俺にとっては極上のスパリゾートでした~
第1章:勇者の負け惜しみと、消滅したブラック環境
「――覚えていろ! 次こそ絶対にお前を、地獄に送ってやるからな!!」
玉座の間に、人間の勇者の悲痛な叫び声がこだました。
ボロボロの鎧を引きずり、折れかけた剣を杖代わりにしながら、勇者とそのパーティーが逃げるように魔王城の大広間から去っていく。
その後ろ姿を、俺――魔界を統べる魔王は、深くため息をつきながら見送っていた。
「はいはい、気をつけて帰れよ。外は冷えるから、ちゃんと傷薬を塗って暖かくして寝るんだぞ」
親心から出た言葉をかけると、勇者はビクッと肩を震わせ、さらに猛スピードで城門の外へと消えていった。
「……ふぅ。これで何回目だ?」
「正確には12回目でございます、魔王様。あの程度の貧弱な人間ども、わざわざ魔王様が御自らお相手などせずとも、私が一瞬で消し炭にして差し上げますのに」
俺のすぐ傍らに控えていた専属メイドが、ルビーのように赤い瞳を不満げに細めて言った。
雪のように真っ白な髪をきれいに切り揃え、フリルがあしらわれたカッチリとしたメイド服を見事に着こなす彼女は、俺の有能な秘書であり、魔王軍のNo.2でもある。
背中に生えた小さな悪魔の羽が、今は少しだけ不機嫌そうにパタパタと揺れていた。
「まあそう言うな。あいつら、うちの門番のスケルトンにすら手こずるレベルなのに、諦めずに通ってくる根性だけはすごいだろ? なんだか、ノルマ達成のために飛び込み営業を繰り返してた昔の自分を見てるみたいで、無下にできなくてな……」
「むかしの、えいぎょう……? また魔王様の深淵なるお言葉が飛び出しましたね。私には測り知れぬ深い意味があるのでしょう」
メイドは感極まったように両手を胸の前で組み、俺をキラキラとした尊敬の眼差しで見つめてくる。
うん、今日も相変わらず俺への評価が天元突破していて可愛いな。
俺は元々、この世界の住人ではない。
現代日本という世界で、来る日も来る日も馬車馬のように働く、しがないサラリーマンだった。
連日のサービス残業と理不尽なクレーム対応の末、過労で倒れてあっけなく短い生涯を終えた……はずだった。
しかし、未練なく死んだのが逆に良かったのか、気づけばこの異世界で魔族として転生。
前世で培った「鋼鉄のメンタル」と「理不尽への耐性」、そして転生特典として授かった規格外の能力を駆使して日々の業務をこなしていたら、トントン拍子で魔王にまで出世してしまったのである。
魔王になった俺が最初に手を付けたのは、魔王軍の「徹底的なホワイト化」だった。
週休二日制の導入、有給休暇の完全消化義務、メンタルヘルスケアの拡充、そして無駄な会議の廃止。
前世のブラック企業への恨みをバネに組織改革を進めた結果、今の魔界は離職率ゼロを誇る超優良ホワイト国家へと変貌を遂げている。
俺としては、この素晴らしい「ホワイトな労働環境」を人間界にも広めてやりたいと心底願っているのだが、人間たちは「魔王が世界を闇に染めようとしている!」と勘違いし、こうして定期的に討伐隊を送ってくるのだ。まったく、世の中うまくいかないものである。
「それにしても……地獄、か」
俺は、威厳を示すために身に纏っている、重厚で豪奢な漆黒の外套(魔王の礼装)を軽く翻しながら立ち上がった。
「あいつ、毎回帰り際に『地獄へ送る』って熱心に勧めてくるけど……そんなにいい所なのか?」
「は? じ、地獄ですか? それはその……亡者が永遠の苦しみを受ける、恐ろしい刑罰の場だと聞き及んでおりますが……」
「ふむ。永遠の苦しみ……つまり、終わりのないサービス残業みたいなものか。だとしたら由々しき事態だな。未だにそんなブラックな環境が存在しているとは。視察も兼ねて、一度行ってみるか」
「えっ」
メイドが目を丸くする。
魔王軍をホワイト化した俺だったが、自分自身が休むことをすっかり忘れていた。たまには息抜きも必要だろう。
「ちょうど勇者も撃退したばかりだし、しばらく平和なはずだ。お前、もし予定が空いてるなら、ちょっと旅行に行かないか?」
「ふ、ふたりきりで旅行ですかっ!?」
普段は冷静沈着で有能な秘書の彼女が、顔を林檎のように真っ赤にして裏返った声を出した。
背中の羽が、これまでにないほどの高速でパタパタと羽ばたいている。
「ひゃ、はいっ! 謹んでお供いたします! 魔王様の護衛から身の回りのお世話まで、すべてこの私にお任せくださいませっ!!」
こうして俺たちは、四天王たちに「なんかあったら呼んで(たぶん何もないけど)」と言い残し、城の入り口に『ただいま有給休暇を頂いております。急ぎの用件は四天王まで』という張り紙を出して、時空転移魔法を使用し、意気揚々と地獄への慰安旅行に出発したのである。
第2章:三途の川と、ブラック労働に喘ぐ老婆
「ほう、ここが地獄か。入り口のあたりは、意外と綺麗な場所なんだな」
薄暗い空の下、目の前には静かに流れる雄大な川。
そして足元には、どこまでも続く赤い彼岸花の絨毯が広がっていた。
血生臭さも、おどろおどろしい悲鳴もない。
どこか風流ですらある景色に、俺はのんきに語りかけた。
「本当に……。あの勇者の戯言を信じてよいものか戸惑いましたが、存外に悪くない景色ですね、魔王様」
隣を歩く彼女が、彼岸花を見つめてふわりと微笑む。
今日は「慰安旅行」ということで、彼女は普段の仕事用メイド服よりも少しだけフリルが多く、生地も上質なものを身に纏っていた。
どこかお洒落に気合が入っているのがわかり、とても愛らしい。
対する俺は、地獄のトップたちと顔を合わせることも見越し、魔王としての威厳ある豪奢な礼装のままである。
漆黒の外套に、魔界の技術の粋を集めた装飾。
ただ、その厳つい服装とは裏腹に、俺自身からは「休日のお父さん」のような穏やかなオーラが滲み出ているらしく、すれ違う亡者たちが不思議そうにこちらを振り返っていく。
彼岸花の群生地を抜けて広大な川岸に近づくと、一人の老婆が待ち構えていた。
頭にはねじれた角が生え、鋭い眼光を放つ、いかにも鬼といった風貌の老婆だ。
「あんたは誰だ?」
「ヒッヒッヒ……ワシはこの三途の川の渡し場を守る『奪衣婆』よ。お前さんたち、他とは違う気配だね。まあいい、ここへ来た亡者どもの衣服を剥ぎ取るのがワシの仕事さね! さあ、大人しくその身につけた服を置いていけぇ!」
言うが早いか、奪衣婆が俺の着ている魔王の外套にガシッと掴みかかってきた。
その瞬間、ピリッ、と隣を歩いていたメイドの空気が凍りついた。
「なっ……! この無礼者! 気安く魔王様の御召し物に触れるなど、万死に値します!」
メイドのルビー色の瞳がスッと細められ、指先に物騒な魔法の光が収束し始める。
「まあ待て待て。落ち着け。これもこの場所の業務マニュアルらしいからな。労働者の仕事の邪魔をしては可哀想だろう」
殺気を放つメイドを手で制し、俺は大人しく両腕を広げた。
「ヒッヒッ、素直でよろしい! そーれッ!」
奪衣婆が気合とともに、勢いよく外套を引っ張る。
――しかし。
「そ、そぉーれッ!! ふぬぅぅぅぅぅ!!」
老婆が顔を真っ赤にして全体重を後ろにかけるが、生地が伸びる気配すらない。
それもそのはず。
この礼装はただの布ではない。
1000年の間に襲ってきた歴代の勇者たちの攻撃を完全に弾き返すため、『絶対防御』やら『物理無効』やら、過剰なほどの防護バフが幾重にも編み込まれているのだ。
「ぜぇ、ぜぇ……っ! な、なんだこの服は!? 岩盤でも着とるのかい!?」
息も絶え絶えになり、その場にへたり込んでしまった奪衣婆。
その姿を見た瞬間、俺の胸にチクリと痛みが走った。
(なんてことだ……あんな高齢の女性に、こんな過酷な立ち仕事をさせているなんて。服を無理やり剥ぎ取る肉体労働……地獄には、まだこんなブラックな現場が放置されているのか……!)
魔界をホワイト化した俺としては、見過ごせない光景だった。
「あー、すまない。俺の服はちょっと特殊な加工がしてあってな……立ち仕事も大変だろう。少し休憩にしないか? ほら、魔界からお茶菓子を持ってきたんだ」
俺が声をかけると、メイドは即座にピクニック用の敷物を広げた。
アイテムボックスから取り出したのは、魔界の技術の結晶である美しい漆黒の保温水筒。
高精度の金型で成形され、職人の手作業による研磨とサンドブラスト加工で滑らかに仕上げられたその水筒は、中の温度を完璧に保っている。
そこから最高級の茶葉で淹れた温かいお茶を注ぎ、魔王城名物『暗黒蒸し饅頭』と一緒に奪衣婆へ差し出した。
「……そこの鬼。魔王様の海より深い慈悲に感謝することですね」
「妙な真似をしたら即座に消し炭にする」という無言の圧力をかけられ、奪衣婆はおずおずと出された饅頭を口に運んだ。
「……! 美味いねぇ、これ! 上品な甘さが疲れた体に染み渡るよ……!」
「だろ? お茶も冷めないように、うちの工業部門が気合を入れて作った特製ボトルに入れてきたからな」
奪衣婆が心底美味しそうに饅頭を頬張るのを見て、メイドも「ふん、当然です。おかわりもありますからね」と少しだけ警戒心を解いた。
赤い彼岸花が咲き誇る川のほとり。
俺たち三人は、まるで休日の縁側でお茶をすするような、多幸感あふれる和やかなティータイムを満喫したのだった。
第3章:激流ラフティングと、大罪人たちの流れるプール
「いやぁ、ごちそうさまでした。この仕事をしながら、ここでお茶と饅頭が食べられるなんてねぇ」
「喜んでもらえてよかったよ。ところで、俺たちは対岸へ渡りたいんだが」
すっかり打ち解けた奪衣婆は、「あんたたちには饅頭の恩があるからね」と、金銀七宝で飾られた豪奢な橋を指さした。
善人だけが渡ることを許される安全なVIPルートらしい。
しかし、俺の目は橋ではなく、その横を流れる広大な川面へと釘付けになっていた。
橋の下に広がるのは、矢のように速い激流と、山のように高い波。
おまけに水面には禍々しい色の毒蛇がうようよと泳いでいる。
大罪人が流される『強深瀬』と呼ばれる最悪のルートだ。
「魔王様? どうかされましたか?」
「いや……川に来たなら、泳ぐのが普通だろう? せっかくのレジャーなんだ、整備された橋を歩くなんて味気ない」
「なっ……正気かい!? あそこは大罪人が行く激流だよ!?」
奪衣婆がギョッと目を剥くが、俺の決意は固かった。
パチンと指を鳴らすと、瞬時に着ていた豪奢な礼装が、漆黒のトランクスタイプの水着へと変化する。
「まぁっ……!」
服の下に隠されていた、無駄のないしなやかな筋肉と、引き締まった腹筋があらわになる。
普段の温厚な性格からは想像もつかないハイスペックな肉体美に、隣のメイドが顔を真っ赤にして両手で顔を覆った(指の隙間からバッチリ見ているが)。
「さすがは魔王様! 地獄の激流すらも己の肉体のみで制覇されるのですね! 私もすぐにお供いたしますっ!」
メイドも指を鳴らし、黒を基調としたフリル付きの愛らしい水着へと姿を変えた。雪のように白い肌と可憐な水着姿が実によく映えている。
「じゃ、おばあちゃん。また後でな」
「ヒィィッ! 本当に行くのかい!?」
岸辺で絶叫する奪衣婆を尻目に、俺とメイドは地獄の激流へと勢いよく飛び込んだ。
ザパーーーンッ!
「おお、少し冷たいが、悪くない水温だ」
「魔王様の遊泳を邪魔する波など、私がすべて凪いでみせますね」
メイドが指先で軽く『水魔法』を展開すると、俺たちの周囲数メートルだけ、激しい水流が嘘のようにピタリと収まり、まるで流れるプールのような穏やかな水面へと変化した。
スイスイと優雅な背泳ぎで進む俺たちの足元へ、地獄の毒蛇たちが容赦なく噛み付いてくる。
ガキィッ!
「ん? なんだ今の音」
俺の『物理攻撃無効』と『毒無効』のパッシブスキルの前では、蛇の牙などつまようじ以下の強度である。
蛇たちは俺のふくらはぎに噛み付いた瞬間に自らの牙をへし折られ、涙目で川底へと逃げ帰っていく。
(ああぁ、地獄の猛毒蛇の牙がへし折られとる……。)
奪衣婆が頭を抱える中、ふと横を見ると、メイドが作った『穏やかなレーン』の外側で、大罪人の亡者たちが激流に飲まれ、絶叫と共に押し流されていくのが見えた。
「たーすーけーてーくーれぇぇ!!」「ぎゃあぁぁ! 蛇がぁぁ!!」
「……あいつら、ずいぶん激しい遊び方をしてるな。あれが人間界で流行ってるラフティングってやつか?」
「ええ。人間というのは、ああいった野蛮な水遊びがお好きなのですね。私たちには到底理解できませんが」
俺とメイドはのんきに首を傾げ合い、亡者たちを賑やかなBGMとして完全にスルーしながら、優雅な水上デートを満喫して対岸へと上陸したのだった。
第4章:閻魔大王と、地獄の働き方改革
対岸に上がり、再び魔法で元の礼装とメイド服に戻った俺たちは、地獄の正面にそびえ立つ巨大な城
――『閻魔庁』へと向かった。
やがて案内された閻魔大王の裁き所。
部屋に入った瞬間、俺は激しい既視感に襲われた。
「……次、通せ……。あぁ、もう浄玻璃鏡の魔力切れか……予備の霊石を持ってこい……」
巨大な机の奥に座る閻魔大王。
巨大な体躯に真っ赤な顔、立派な髭という本来なら恐ろしい形相のはずの彼は、山のように積まれた調書(書類)と空になった栄養ドリンクの瓶に埋もれ、目の下には真っ黒なクマを作っていた。
その虚ろな目は、生前の俺が毎日オフィスのトイレの鏡で見ていたものと同じ。
限界まで酷使された社畜の、完全に死んだ魚の目だった。
「初めまして、閻魔大王。あんた、ずいぶんお疲れのようだな」
「……魔界の王か。すまないが接待はできんぞ。連日連夜、亡者が押し寄せてきてな……休みなど何百年も取っていない」
その言葉を聞いて、俺の胸の奥で何かが静かに燃え上がった。
間違いない。
ここが地獄という名の巨大組織における、ブラック労働の根源だ。
トップがこれほど疲弊しているなら、現場の労働環境が劣悪なのも当然だろう。
「接待なんていらないさ。むしろ、俺から差し入れを持ってきた。お前、グラスの用意を」
「はいっ、魔王様!」
俺はアイテムボックスから、魔界のとっておきを取り出した。
魔界の深淵で汲み上げた黒い水から造った純米大吟醸『黒曜』と、見事な霜降りの『黒竜の生ハム』だ。
メイドが手際よく杯を用意し、トクトクと美しい音を立てて酒を注ぐ。
「……勤務中だが、今日くらいはいいだろう……」
閻魔大王は震える手で杯を受け取ると、一気に煽った。
「ッ……!! 美味い……!五臓六腑に染み渡る……っ!」
「だろ?生ハムも食ってみな。強めの塩気と極上の脂がとろけるぞ」
「おお……しょっぱさが疲れた体に効く……!美味い、美味いぞ魔王……っ!」
閻魔大王は大粒の涙をポロポロとこぼしながら、黒竜の生ハムをかじり、酒を呷った。
完全に、仕事帰りのおじさんのノリである。
「聞いてくれよ魔王。亡者の奴ら『ここはどこですか?』とか全員同じ質問ばかりしてきやがって……一つ一つ答えるだけで日が暮れるんだよぉ……」
すっかり酔いが回り、愚痴をこぼし始めた閻魔大王に、俺は同情とともに頷いた。
「閻魔大王、あんた真面目すぎるんだよ。全部手作業で処理してるからパンクするんだ。自分の魔界を完全ホワイト化した俺が、あんたの組織も改革してやろうか?」
「組織を、改革……?」
「ああ。まず入り口に自動音声で答える鏡を置いて、よくある質問(FAQ)を処理させる。さらに、メインの鏡も『自動振り分け機』に改造して、明らかな善人と悪人はシステムに自動で流させるんだ。あんたが顔を見て裁くのは、イレギュラーな案件だけに絞る。どうだ?」
俺の提案を聞いた閻魔大王の目から、酔いがスッと引いていった。
「……て、天才か……!? それなら、ワシも数百年に一度くらいは休めるかもしれない……!!」
「試験的に導入してみろ。費用は、この地獄観光のチケット代わりってことでタダでいいぞ」
「おおおっ! 魔王よ、お前は地獄の救世主だ!!」
激務に喘ぐ地獄のトップは、俺の手を両手で固く握りしめた。
隣では、メイドが「さすが魔王様! 地獄の理すらもコンサルティングしてしまうとは!」と目を輝かせている。
俺たちはその後も酒を酌み交わし、地獄の『働き方改革』について、美味い生ハムをつまみながら和気あいあいと語り合ったのだった。
第5章:血の池地獄と、現場の労働環境
閻魔庁での和やかなコンサルティング飲み会を終え、俺たちが次にやってきたのは、もうもうと赤い湯気(?)が立ち込める広大なエリアだった。
(なるほど。ここが有名な『血の池地獄』か……)
目の前には、文字通り血のように赤い池が広がり、水面からはボコボコと不気味な泡が立っている。
言い伝えによれば、生前に無用な殺生をした者や、貪欲だった者が落とされる過酷な地獄らしい。
周囲の気温はサウナのように高く、立っているだけで汗が吹き出してくる。
「よし、入るか」
「はいっ、お供いたします!」
俺が指を鳴らすと、纏っていた威厳ある漆黒の礼装が、再び漆黒のトランクスタイプの水着へと変化する。
隣のメイドもパチンと指を鳴らし、カッチリとしたフリルメイド服から、黒を基調とした愛らしい水着へと姿を変えた。
俺たちは、ためらうことなく煮えたぎる赤い池へと足を踏み入れた。
ザバンッ。
「……ふぅ。いい湯だな。少し熱めだが、肩こりにガツンと効きそうだ」
「ええ、最高の湯加減ですね魔王様!」
俺たちには『熱耐性』のパッシブスキルが常時発動している。
そのため、亡者たちの肉を焼くほどの沸騰した池も、俺たちにとってはただの「源泉掛け流しのちょっと熱めの温泉」にしか感じないのだ。
赤い成分も、なんだか鉄分やミネラルが豊富で肌に良さそうな気がしてくる。
俺はアイテムボックスから木製の丸盆を取り出すと、魔界から持参した冷酒とお猪口を乗せて、ちゃぷんと水面に浮かべた。
「やっぱ、温泉といえばこれだよな。お前も飲むか?」
「はいっ! ですが、お酌は私にお任せくださいませ。休日の魔王様にお仕えできるのは、私にとって至上の喜びですから」
メイドが嬉しそうに身を乗り出し、俺のお猪口にトクトクと酒を注ぐ。濡れた白い髪が色っぽく肌に張り付き、ルビーの瞳が熱気と熱情で潤んでいる。
グイッと冷えた酒を煽ると、熱い湯との温度差が五臓六腑に染み渡り、思わず「くぅ〜っ」とオヤジ臭い声が漏れた。
極楽である。ここが地獄だということを完全に忘れるレベルだ。
一方、俺たちのすぐ横のエリアでは――。
「あつぅぅい!! 助けてくれぇぇ!!」
「こらっ! 勝手に上がってくるな! 大人しく沈んどけぇッ!」
罪人たちが熱さに耐えかねて必死に岸へ這い上がろうとし、それを現場の鬼たちが長い金棒を使って、汗だくで押し戻しているという、文字通りの地獄絵図が繰り広げられていた。
俺は湯船で足を伸ばしてくつろぎながら、必死に働く鬼たちを眺めてため息をついた。
「……あいつら、本当に大変そうだな。こんな高温多湿な環境で、ずっと立ち仕事で体力勝負とは。熱中症対策とか、ちゃんとできてるのか?」
「まったくです。現場の苦労も知らず、あの亡者たちは騒がしいですね。少し静かにするよう、私が魔法でまとめて沈めてまいりましょうか?」
「いやいや、あれも地獄の風物詩みたいなもんだろ。ただ、うちの魔界の工業部門に頼めば、もっと断熱性の高い防護服を作ってやれるんだがな……」
過酷な環境で働く同業者(?)の鬼たちに心の中でそっとエールを送りながら、俺とメイドは亡者たちの悲鳴を心地よいBGMにして、地獄の特製温泉(血の池)と冷酒を心ゆくまで堪能したのだった。
第6章:針山地獄と、究極の足ツボマッサージ
血の池温泉ですっかり温まった俺たちは、濡れた体を魔法で一瞬にして乾かすと、再び威厳ある礼装とメイド服に着替えて次の目的地へと向かった。
目の前にそびえ立つのは、鋭利な刃物や無数の太い針で覆われた険しい山
――『針山地獄(剣の山)』だ。
言い伝えでは、生前に人を騙したり、他者を傷つけたりした者が落とされる場所。
罪人たちは裸足でこの山を登らされ、一歩踏み出すごとに足の裏が串刺しになるという、想像しただけで足がすくむような恐ろしい刑罰である。
「よし、じゃあ靴と靴下を脱ぐか」
「はいっ! お供いたします!」
俺が促すと、メイドは躊躇うことなく靴と黒いタイツを脱ぎ捨て、雪のように白い素足を露わにした。
俺も革靴を脱いで裸足になり、鋭く尖った無数の針が上を向いて群生している山肌へと、第一歩を踏み出した。
ググゥッ……!
俺の全体重が、足の裏の針先へと集中する。
しかし、『物理攻撃無効』のパッシブスキルと、魔王としての規格外の防御力を持つ俺の皮膚を貫通することなど不可能だ。
皮膚を突き破れない針の先端は、結果として、足の裏を絶妙な力加減でピンポイントに圧迫してくる。
「おお……っ! これは……痛気持ちいい……!」
「まぁっ! 本当ですね魔王様! ツンとした刺激が、足の裏から全身へと抜けていきますっ!」
そう、これはスーパー銭湯や健康公園の片隅によくある『足ツボマッサージ用の石畳』と全く同じ効果を生み出していたのだ。
「特にこの少し曲がった剣先、胃腸のツボにガンガン効くぞ……! 最近、魔王城でのデスクワーク続きで胃がもたれてたからな……」
「私はこの細い針のエリアがお気に入りです! 日々の事務作業で凝り固まっていた肩と首の疲れが、スーッと溶けていくようです!」
一方、俺たちのすぐ横の獣道では――。
「ぎゃあぁぁ!! 痛い! 足がぁぁ!!」
「バカモン、立ち止まるな! さっさと登らんかァ!!」
足から血を流して絶叫する亡者たちと、それを下から槍で突っついて無理やり登らせている鬼たちの姿があった。
「あいつらも大変だな。こんな足場の悪い険しい山道で、文句ばかり言うクレーマー(亡者)の誘導業務とは。足元が滑って鬼自身が怪我をする『労災』や『転落事故』が心配になるぜ」
「まったくですね。少しは私どものように、健康のありがたみを噛み締めながら静かに歩いてほしいものです」
俺とメイドは、阿鼻叫喚の地獄絵図をBGMにしながら、「おお、ここは肝臓のツボだな」「少し痛いですが、血行が良くなりますね」などと和やかに談笑しながら山を登る。
血の池温泉で体が温まっていたことも相まって、究極の足ツボマッサージの相乗効果は絶大だった。
針山の頂上へ登り切る頃には、俺とメイドの体はまるで羽が生えたように軽く、日頃の魔王業の疲れは完全に消し飛んでいたのだった。
第7章:帰りの挨拶と、地獄のホワイト化提案
針山の頂上からふもとまで、地獄の絶景(?)を楽しみながら下山した俺たちは、帰りの挨拶をするため再び閻魔庁へと立ち寄った。
「おお! 魔王よ、地獄観光は満喫できたか?」
「ああ、最高のスパリゾートだった。日頃の疲れがすっかり抜けたよ。ただ……」
俺は真剣な表情を作り、閻魔大王の目を真っ直ぐに見据えた。
「現場で働く鬼たちは少し大変そうだったな。あんたの業務はさっきの自動化システムで劇的に改善されそうだが、現場の連中までは手が回ってないんじゃないか?」
「ううむ……痛いところを突く。確かに、あの過酷な環境で文句も言わずに働いてくれている彼らには、ワシも頭が上がらんのだ……」
悩む閻魔大王に、俺は山を登りながら思いついたアイデアをいくつか提案した。
「例えば、血の池には『開閉式の金網ドーム』をつけるんだ。亡者が勝手に這い上がれないようにすれば、鬼たちが棒で押し戻す手間が省けるし、雨の日でも池の温度が下がらない。針山には『スタッフ専用の簡易リフト』を作れば、誘導時の鬼の労災も減るはずだ」
「な、なんと……! 現場の労働環境改善まで……!!」
閻魔大王はガタッと立ち上がり、またしても俺の手を両手で固く握りしめた。
「魔王よ、お前はやはり救世主だ……! 上に立つ者としての、その深き慈愛! 地獄のホワイト化に向け、さっそく工事の手配を進めるぞ!」
そして帰り道、三途の川のほとり。
「おーい、おばあちゃん。帰るぞ」
「ヒィッ! あ、あんたたち、本当に激流と地獄のフルコースから無傷で帰ってきたのかい……」
すっかり俺たちのデタラメっぷりに怯えきっている奪衣婆だったが、メイドが残っていた暗黒蒸し饅頭をそっと手渡すと、嬉しそうに皺くちゃの顔をほころばせた。
「ヒッヒッヒ、ありがとよ。次はいつ来るんだい?」
「そうだな。今度はうちのメイド特製の『フルーツタルト』でも持ってくるよ」
「えっ……! わ、私が魔王様のために焼くお菓子を、ですか……!?」
不意打ちで名前を出されたメイドが、顔を真っ赤にしてパタパタと背中の羽を揺らす。
「あ、ああ。お前が休日に作る手料理やタルト、すげえ美味くて癒やされるからな。たまにはこういう平和な茶飲み友達に会いに来るのも悪くない」
「ひゃ、はいっ! 魔王様の御心に報いるため、腕によりをかけて極上のタルトをお作りいたしますっ!」
感動で瞳をうるませる愛らしいメイドを連れ、俺たちは奪衣婆に笑顔で見送られながら、平和な魔界へと帰還したのだった。
第8章:エピローグ(勘違いの世界征服)
無事に魔界の城へ帰還した俺たちは、留守を頼んでいた四天王たちを執務室に集めた。
「――というわけで、地獄は素晴らしいスパリゾートでした! 魔王様の圧倒的なお力のおかげで、激流は穏やかなプールに、血の池は源泉掛け流しの温泉に、針山は極上のマッサージ施設へと早変わりしたのです!」
「「「な、なんだってー!?」」」
メイドの熱烈な報告(事実だが絶妙に誇張されている気がする)を聞いて、四天王たちは驚愕の声を上げた。
「魔王様、それは真実ですか……? あの恐ろしい地獄を、己の力のみで制圧したと……?」
「ん? ああ、まあな」
慰安旅行を終え、魔王の礼装からいつものリラックスした部屋着に着替えてくつろぐ俺。
だが、そこから滲み出る圧倒的な魔力と余裕のオーラに、四天王たちがゴクリと息を呑む。
元はただの小市民サラリーマンなのだが、こういう時に隠しきれない『ハイスペックな強者の風格』が自然と漏れ出てしまうらしい。
「俺もすっかりリフレッシュできたし、いいインスピレーションをもらったよ。現代社会で疲れきっている人間たちのために、地上にもああいう『地獄』を作ってやりたいな」
心身を癒やす究極のリラクゼーション・テーマパーク『HELL』。
そんな夢のビジネスプランを思い描いて呟いた俺の言葉に、執務室の空気がピリッと張り詰めた。
「……ち、地上に地獄を……作る……?」
「ついに……魔王様が本気で、人間界を征服(地獄化)するおつもりだ!!」
「おおお! 我らも命を賭して、魔王様の壮大な悲願にお供いたしますぞ!!」
(……ん?)
なんか、すごい勘違いが始まっている気がする。
「魔王様! 素晴らしい計画です!」
先ほどまで「魔王様のためのお菓子作り」で頭がいっぱいだったはずのメイドまで、ルビーの瞳をキラキラと輝かせて俺の手をギュッと握ってきた。
「人間界を火の海(温泉)にして、すべての人間を針山送りにしてやりましょう! 私も全力でサポートいたします!」
「お、おう。頼りにしてるよ」
あまりの熱量と、俺を見つめるメイドの純粋な好意の視線に気圧され、俺は完全に訂正するタイミングを失ってしまった。
まあいいか。どうせ作るなら、彼女の美味しいスイーツが食べられるカフェも併設しよう。
「ふふっ。まずは次の地獄視察に備えて、お茶会用の試作タルトを焼いてきますね!」
「ああ、楽しみにしてる」
嬉しそうに厨房へ向かうメイドの背中を見送りながら、俺は温かいお茶をすする。
人間界の征服より先に、まずは有給休暇の残日数を数えるのが先決だな。
平和な魔王城の午後は、大好きな彼女が作る甘い焼き菓子の匂いとともに暮れていくのだった。
(おわり)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
物理無効で針山を足ツボマッサージに変え、熱耐性で血の池を源泉掛け流し温泉にしてしまう……地味に見えて規格外にハイスペックな魔王様と、彼を溺愛するメイドちゃんの慰安旅行、いかがだったでしょうか?
激務に苦しむ閻魔大王や、現場で立ち仕事に喘ぐ鬼たちへの「労働環境改善コンサルティング」も、元社畜の魔王様ならではの優しいホワイトな(?)解決策でした。
もし少しでも、「クスッと笑えた!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価していただけたり、ブックマークを追加していただけますと嬉しいです!




