第2話 あなた、◯◯さんって言うのね!
「これから教室へ向かいます。教室に入ったら、まず私の方からクラスのみんなに軽く水無川さんの紹介をするので、その後に自己紹介をお願いします。大丈夫ですか?」
職員室の自席に腰掛けた担任の女教師が、私に確認を取ってくる。
私はその問いに対して「はい」と短く応え、席を立った担任と一緒に教室へと向かい始めた。
転校は今までに何度か経験したことはあるけど、どうにもこれだけはいつまで経っても慣れる気がしない。
私は、人の名前を覚えるのが苦手だ。
以前の顔合わせで担任と挨拶を交わしたけど、すでに名前がうろ覚えだった。
名前は確か、佐藤か山田か鈴木か田中だった気がする……ぐらいのレベルである。
こんな有様で、私は新しいクラスに馴染めるのだろうか。
私の緊張した空気を察したのか、担任が優しい声色で話しかけてくる。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。って言っても、慣れない環境に入っていくのって緊張しますよね。でも大丈夫。クラスの子はみんな良い子だから、きっと水無川さんも打ち解けられると思う」
「お気遣いありがとうございます。なるべく早くクラスの一員になれるように頑張ります」
「その心意気は尊重しますけど、決して無理だけはしないでくださいね? その人に合ったペースがあるのだから、少しずつ、ゆっくりと、ね?」
「はい、分かりました」
「もし何か分からないことがあれば、私かクラスに岬守さんっていう生徒がいるので、その子に尋ねてくれれば大丈夫ですよ」
「岬守さん……ですね。分かりました」
よほど、その生徒さんを信頼しているのだろう。
表情と声色、そして言葉の三つしかない情報だけでも、その心情がよく伝わってくる。
一体、どんな子なんだろう……。
きっと私とは正反対で、実直で決して嘘は吐かない眩しい子なんだろうな。
そんな事を考えているうちに、私たちは教室へと到着した。
ちなみに、私のクラスは二年A組だ。
「心の準備はいいかな?」
「はい、大丈夫です」
私の応えを聞いた後に、担任は引き扉を静かに開く。
その直後、私は窓際の女子生徒とバチッと目が合った。
私、今どんな顔をしているのだろうか。
変な顔してる、と思われてないかな。
それとも、別の何かを思われてたりして……。
「はーい、みんな静かにしてね。今日からこのクラスに新メンバーが加わります。それじゃあ、水無川さん入ってきて」
そもそも、変な奴だと思われてるかもしれない。
だってそうでしょう?
二年の時期に転校してくるということは、何かしらの事情を抱えて転校してきたということに他ならない。
もしかしたら、私の過去を知ってる生徒がいる可能性だって……。
「……水無川さん?」
「あ、はい。すみません、ぼーっとしてました」
いけない、いけない。今は目の前のことに集中しないと。
今後の学校生活のことを考えると、やはり最初を失敗するわけにはいかない。
そして私は、姿勢を正して静かに教室に入る——————これが現実だったらよかったのにね。
あろうことか、私は最初の一歩目をドアレールに足を引っ掛けてしまったのである。
ベチンッと床を激しく打ち付ける音が、静かな教室に鳴り響く。
あぁ、今すぐ死にたい。いや、死のう。
肝心な最初を失敗する私は、きっとこの先の学校生活だって——————
「——————すみません。私のせいで転倒させてしまって……。お怪我はありませんか?」
頭上から声を掛けられ見上げると、そこには見知った顔の女子生徒が手を差し出していた。
そう、昨日商店街で合った子だ。
「あなたは……」
「岬守さん。私のせいでってどういうこと?」
「私が足を伸ばしていたせいで、彼女は転倒してしまったんです。本当にすみません」
私は彼女の手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
そんなことよりも、私は聞き逃さなかった。
私、自分で勝手に転けたよね? 彼女は足なんて出してなかったし、一体何を言ってるの?
というか彼女の名前。岬守って言った?
岬守さんって複数人いたりする?
もしかして、昨日会った岬守さんとは別の岬守さん?
でも、やや吊り気味の大きな瞳も、色素の薄い黒色の長髪も、可愛らしい水色のリボンも、昨日会った彼女と同じだよね?
ということは、あなた、岬守さんって言うのね!
これって偶然?
こんな偶然って、本当に存在するの?
私、夢見てないよね?
「……えぇっと。大丈夫ですか?」
「何がです?」
「いや、痛くないかなと思って。ほっぺ」
気がつけば私、ほっぺを思いっきりつねっていた。
痛い……。てことは、これは現実か!
てか、そもそも転んだ時点で現実だって自覚してたじゃん。
私ってアホか? うん、アホだな。アホに違いない!
とりあえず、私はほっぺから手を離した。
「とにかく。今回は大事には至らなかったから良かったけど、一つ間違えれば大怪我じゃすまないことだってある。岬守さん、今後は気をつけるように」
「分かりました。本当にすみません」
彼女はそう言って、私に深々と頭を下げる。
多分、というかきっとそうに違いない。
岬守さんも、先生も、私に恥をかかせないようにしてくれているんだ。
全部、私が悪いのに……。
「コホンッ。とりあえず話を戻すと、今日からこのクラスに加わる水無川水瀬さんです。皆さん、水無川さんが困ってたら助けてあげてくださいね」
「水無川水瀬です。約一年という短い間になってしまいますけど、これからよろしくお願いします」
そう言ってから、私は深々と頭を下げる。
クラスの反応は——————良好だった。
皆んな拍手してくれてるし……って思ったけど、先生の前だったら良好な態度取るの当たり前か。
各々の本当の気持ちは、誰にも分からない。
「席は窓側の一番後ろの席を使ってください。それから岬守さん。二人の時間がある時で構わないので、水無川さんに学校の案内をしてあげてください」
「分かりました」
「今日の連絡事項は特にないので、これで朝のHRは終わります。そしたら水無川さん。自分の席に荷物を置いてきてしまって大丈夫です」
「分かりました」
そして私は、足元に注意しながら自分の席へと向かっていく。
転んで始まった学校生活。
先が思いやられますなぁ。




