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ネコがいなくなった



夕方、声をかけられた。


(ええー!!あと十五分で帰れるところだったのに……)


心の声が喉元まで出かかった。

たぶん、顔にはかなり出ていたと思う。


振り返ると、門のところに男の人が立っていた。

作業着に、少し曲がったキャップ。

白髪が混じった髪が、風に揺れている。


「うちの猫が、いなくなっちゃって」


しわがれた声だった。

言葉の端に、不安が張り付いている。


(猫って、いなくなるもんじゃないんですか?)

(散歩が自己申告の生き物ですよね?)


その言葉を、ぐっと飲み込む。

口から出したら、仕事放棄になる。


「いつから、ですか」


白髪交じりの男性は、少し視線を落とし、

思い出すみたいにゆっくり答えた。


「朝はいたんだけど……昼過ぎには見当たらなくて。名前を呼んでも、来なくて」


声が、そこで小さく震えた。


「名前は、なんて言うんですか」


「タマリンって呼んでいます」


(……なんか、センスない名前だな。でも口には出さない。絶対出さない)


僕はうなずいた。

話を聞いているフリをするのは、得意だ。

とりあえず、うなずいておけばなんとかなる。

中身がなくても、形だけは仕事っぽい。


大丈夫ですよ、とも言えない。

すぐ戻りますよ、とも言えない。

適当な希望は、あとで恨みに変わる。

それは、痛いほど経験済みだ。


「何か、気づいたことはありますか」


自分でも驚くほど、事務的な声が出た。

機械みたいな声。

仕事モードのスイッチが勝手に入る。


「特には……いつもと同じで」


同じ。

それが一番困る。

原因が見えないものほど、対応しづらい。


「すみません、似顔絵を描いてもらえませんか」


「えっ、写真とか……」


「スマホの操作、まだ覚えていなくて」


その言い方に、少し照れた笑いが混じった。

胸が、ちくっとした。

不器用で、真面目な人の声だった。


紙を出して、猫の顔を描いてみた。

丸い顔、三角の耳、点の目。


……どう見ても別の生き物だ。

絵は昔から苦手なんだよなぁ。困った。


「特徴を教えてください」


「えっと……少しおでこが出ていて、前髪みたいに黒い模様があって、

目が普通の猫より小さいかも?」


(難しいな……こんな感じかな。いや、どんどん原型が消えていく)


「タマリンは、もっと可愛いです」


即答だった。食い気味だった。

飼い主の愛情が、容赦なく飛んでくる。


そのあとも説明が止まらない。

耳がこうで、しっぽがこうで、性格が臆病で――


(お願いですから、最初から自分で描いてください。

あなたの脳内にしかいない猫なんですから)


でも黙って聞く。

それが僕の仕事だ。


「少し様子を見てみましょう。この似顔絵は貼っておきます」


あまり似ていない似顔絵を掲示板に貼った。

風がふわっと通り過ぎ、紙が揺れた。


***


部屋に戻って、逆立ちをした。


床に手のひらをつき、壁にかかとを当てる。

視界が逆さまになる。

天井のシミが、やたらと主張してくる。


頭に血が上ると、考えが少し整理される。

たぶん、気のせいだけど。

でも儀式みたいなものだ。


深呼吸を三回。

腕がぷるぷる震え始める。


しかし、多い。

ペットの行方不明、年に百三十件。

書類の山が脳裏に浮かぶ。


ヘビとか、一番困る。

僕はマングースじゃないんだから。


猫は圧倒的に多い。

でも、どこかへ行ってしまうか、

数日で戻ってくるケースがほとんどだ。


家より自由を優先する。

それが猫という生き物の仕様。


(タマリンも……戻ってくるさ)


根拠はない。

だけど、そう思っておかないと、

今日の疲れが骨に染みてしまう。


逆立ちをやめて、床に座り込んだ。

じわっと、血が足に戻る。


静かな部屋で、時計の音だけが鳴っていた。


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