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にぼしのハードル



「子どもが、にぼしを食べてくれないんです」


受話器の向こうの女性の声は、本気で困っていた。

言葉の端が少し震えていて、静かな部屋の空気まで伝わってくる気がした。


「三歳なんですが……母に『成長には丸ごとの魚がいい』って言われて。

 それで、にぼしを炒めて出したんですけど、一口も食べなくて……」


(三歳児に丸ごと魚は、ハードル高いって……)


突っ込みは喉元まで来たが、心の声は胸の奥で強めに拘束しておく。


相談室の時計が、コチ、コチと真面目に仕事をしている。

僕の仕事も真面目ではあるが、方向が合っているのかはよく分からない。


「お子さんは、噛み切ろうとしていましたか?」


「いえ、完全に拒否でした。見ただけでイヤって……」


(そうでしょうね。僕でもイヤだ。)


机の上の書類の山が、静かに自己主張している。

処理待ちという名札を胸にぶら下げたまま、こちらを見ている気がする。


事務用の声が、勝手に口を開いた。


「にぼしを丸ごと、というのは、少し難しいかもしれません」

「年齢的にも、食感的にも」


「やっぱり……無理ですか?」


無理です。と即答したい。

でも、言い方がある。やわらかいクッション越しに伝える技術。

そういうものが社会には必要で、なぜか僕が担当だ。


「無理です」


言ってしまった。

声が先にゴールして、僕の理性はやや遅れて到着した。


あわてて取り繕う。


「まだ味覚が発達していないから……ですね。段階があります」


しばらく沈黙が降りたあと、電話口で小さくため息が漏れた。


「ですよね……」


その息が、見えないはずなのに見えた。

肩が少し落ちる気配まで伝わる。


「いいお母さんなんですね」


口が勝手に言っていた。

慰めというより、ほんとうにそう思ったからだ。


少しの間のあと、彼女はこぼした。


「子育てって難しいです」


静かな告白だった。

部屋の蛍光灯の音が、やけに大きく感じられた。


「子供を産んだことのない僕が言うのもナンですが……」

「プリンが食べやすくないですか?」

「冷たくて、甘くて、丸ごとじゃないですし」


個人的嗜好がそのまま出てしまった。


「はい、今はそうします」


少し笑った声だった。

線の細い糸が、ほんの少しだけ緩んだような。


僕が三歳の頃だったか。

おじいちゃんの晩酌のつまみに、『しいたけ』がよく出ていた。

一口食べるか?と言われ、口にしていたらしい。


おじいちゃんの好物は、僕の好物になった。

味というより「誰と食べたか」で、世界は塗り替わる。


ケーキのホール型の上にのっていたイチゴを全部取って、

代わりにしいたけを飾ったことで、僕はめでたく『変わり者』

という称号をもらった。

家族の視線があたたかいのかあきれているのか、今でも少し判別不能だ。


だから、ありえないことはないんだ。

食べ物の好き嫌いは、人生のどこかでゆっくりひっくり返る。


にぼしを食べない三歳児は悪くない。

丸ごと魚理論を信じているおばあちゃんも悪くない。


ただ一番困っているのは——


(間に立つ僕なんだよな)


相談と相談の合間で、湯飲みのお茶はいつも冷める。

温め直す暇はあまりない。


ぁ、子育てが一番大変な事には違いないか。

間に立つ役目なんて、世の中にいくらでもある。


胸の中で、青いボールがコロッ、と転がった。

今日はいくつ目だったか、もう数えるのはやめている。





【優斗:追記】


プリンで三歳児は救われたな。


【相談者の女性:追記】


にぼし丸ごとがダメだったんだ……。砕いて食べさせてみよう。


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