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大魔導士ボルドルド



長老は、誰にも知られていない秘密の蔵書を、ひとつ隠し持っていた。


王宮の地下でも、塔の最上階でもない。

人の気配が最も薄れる、

あえて雑多な古文書に紛れさせた場所だ。


その書は、大魔導士ボルドルドによって記されたものだった。


禁書。

いや――

正確には、「読まれてはならない」と判断された記録。


長老は、何度もそれを開き、

何度も、途中で閉じてきた。


読むたびに、世界の輪郭が、ほんのわずかにずれてしまうからだ。


そこには、こう記されている。


――人間の肉体には魂が宿る。

――その魂は、肉体に縛られた存在ではない。


魂は、自由に、異世界と行き来している。


だが、それは自覚できない。


人はそれを――

夢と呼ぶ。


夢の入り口から、

魂だけが異世界へと移動する。


目覚めたとき、

記憶は霧のように薄れ、

体験は「なかったこと」にされる。


それでも、魂は覚えている。


続く頁には、不吉な予言が記されていた。


――聖なる神秘の石を求め、

 国々は争いを繰り広げるだろう。


――人々は恐れ、

 欲し、

 守ろうとし、

 奪おうとする。


――その果てに、

 人も、大地も、破壊される。


長老は、そこで一度、息を止めた。


「……やはり、同じだ」


書はさらに続く。


――聖なる神秘の石は、

 さまざまな人の手に渡る。


――英雄の手に。

――王の手に。

――何も知らぬ者の手に。


――そして、

 必ず、元の場所へと戻る。


逃げ場はない。

巡る運命。


――その時。


――深く、永い眠りから覚め、

 それは、誕生する。


何が、とは書かれていない。


だが、

「誕生」という言葉だけが、異様な重さを持って刻まれている。


最後の頁。


そこに書かれていた一文に、

長老は何度読んでも目を逸らしたくなる。


――その時、

 地球は、逆回転を始める。


――天変地異が起き、

 世界の均衡は崩れる。


――それでも、

 止めることはできない。


長老は、静かに本を閉じた。


「……もう、動き出している」


魔石。

異世界。

魂の移動。


そして、詠唱者たち。


偶然では、ない。


長老は蔵書を元の場所へ戻し、ゆっくりと背を伸ばした。


苦情係が必要だな。

それも――

ただの窓口ではない。


世界が壊れないよう、ぎりぎりの場所で踏みとどまらせる者が。


長老は、その役割を担う顔を、ひとり思い浮かべた。


「……やはり、あの二人か」


小さく、しかし確信を込めて、そう呟いた。


長老は、書を閉じたあとも、しばらくその場から動けなかった。


指先が、わずかに震えている。


――間に合う。

――まだ、間に合う。


そう言い聞かせるように、胸の内で何度も繰り返した。


だが、違和感が消えない。


魔石は、すでに目覚めかけている。


完全ではない。

だが、眠りでもない。


その「中途半端さ」こそが、何よりも危険だった。


詠唱は、すでに始まっている。


制御できない形で。

しかも――

人の善意と無知を、媒介にして。


「……早すぎる」


長老は、机に手をついた。


書状の山が、かすかに揺れる。


臭い。

作物。

納豆。

カエル。


一見すれば、笑い話で済ませられる異変。


だが、ボルドルドの書に記されていた言葉が、脳裏から離れない。


――石は、

 さまざまな人の手に渡る。


――英雄だけではない。

――愚者だけでもない。


――「選ばれていない者」の手にも、渡る。


長老は、優斗の顔を思い浮かべた。


慎重すぎるほど慎重で、責任を引き受けすぎる青年。


そして――カレン。


欲と勢いで動くが、直感だけは、異様に正確な娘。


「……噛み合ってしまった」


魂が、行き来している。


本人たちが理解しないまま。


夢だと思っているうちに、境界は、すでに薄くなっている。


長老は、ゆっくりと立ち上がった。


窓の外。夜の王都は、静かだ。


だが、遠くの空に、ほんのわずか、色が混じって見えた。


赤でもない。

青でもない。

黄色でもない。


名前をつけるには、まだ早すぎる光。


「……まだ、兆しの段階だ」


そう判断したかった。


だが、書に記されていなかった事実が、ひとつだけ、頭をよぎる。


――予言は、いつも

 「少し遅れて」理解される。


長老は、初めて、はっきりと思った。


「……間に合わないかもしれぬ」


それは、王にも言えない言葉だった。


誰にも告げられぬまま、長老はその重さを、ひとりで抱え込む。


それでも――


「……ならば、せめて」


完全な破滅ではなく、軌道を、ずらすこと。


世界が壊れる前に、『 色を混ぜる』こと。


長老は、静かに決意した。


あの二人を、ただの駒にはしない。


苦情係として。

異物として。

世界の隙間を知る者として。


「……光が、まだ残っているうちに」


長老は、再び机に向かい、新しい書状を一通、書き始めた。


それが、最後の猶予になるかもしれないと、知りながら。

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