真夜中のギター
あ――ぁ発声練習。
はい、今日も元気に総合相談・苦情窓口です。
元気じゃないけど。
どこか他人の声に聞こえる。
もう何度も繰り返した、よく通る『業務用の声』。
「真夜中の演奏行為についてのご相談ですね」
「……内容を確認していきますね」
相手の息が震えている。眠れていない声だ。
そりゃそうだ。夜三時にギターはライブじゃなくて迷惑だ。
小さな震える女性の声。
常識人が非常識な人にクレームは無理難題だ。
真夜中にギター。
ロック魂が時と場所を間違えた結果だな、うん。
心の声はそっと奥にしまっておく。
「曜日は……はい。時間帯は……三時頃ですね。承知しました」
『それはつらいですよね』とも言わない。
言った瞬間、僕の残業時間が増える未来が見える。
同情と現実の間を行き来している。
「今回の件は、苦情受付として記録いたします」
「対応としては『注意喚起文書の送付』が基本となります」
「直接の指導は現在は行っておりません」
沈黙。
受話器の向こうで「えっそれだけ?」という顔が見える。
見えないけど見える。
「すぐに止まる、というお約束は難しい状況です」
「……ご理解ください」
ドアに、ギターは武道館の舞台で弾いてください、とでも書いておこうか。
いや、書けないし貼れない。
***
「次に、『監視されている気がする』という点についてですが……」
『気がする』
つまり、怖い。僕が。
「その事実をこちらで確認することは、どうしても難しいです」
「現時点では、直接介入は行えない仕組みになっています」
助けて、という声が、
A4サイズに整形され、ホチキスで留められていく。事務の魔法だ。
「必要に応じて、専門の相談窓口をご案内できます」
「無理にではなく、『選べる形』です。ご利用なさいますか」
泣かないでください、とは言わない。
言ったら僕も泣きたくなるので禁止。
「はい。では窓口情報のみお伝えしますね」
「実際に利用されるかどうかは、ご本人様のご判断にお任せしています」
委ねる。任せる。押し付けない。
でも押し付けられるのはだいたい僕。
確認します。
一点目、夜間の演奏については文書での注意喚起。
二点目、監視されている感覚については事実確認が難しく、
窓口のご案内のみ――以上となります
自分の声を、心が見下ろしている。
――もっとやさしい言い方あるよ? と天使が言う。
――長くなるからダメ、と悪魔が電卓を叩く。勤務時間の。
「その他に、お伝えしたいことはありますか」
沈黙。鼻をすする音。
受話器を握る指先が、ちょっとだけ抗議してくる。
「申し訳ありません。いま、お手伝いできる範囲はここまでです」
申し訳ない。本当に。
でも「裏ワザ」とか「奥義」は持っていない。
「本件は受理しました。受付番号をお伝えします……はい。――○○○」
数字だけが、冷静で、整列していて、優等生だ。
人の感情は、だいたい勝手に行間からはみ出す。
「以上です。失礼いたします」
通話が切れる音は、相変わらずあっけない。
さっきまで世界の終わりみたいに重かったのに。
受話器を置いたあと、天井を見上げた。
―― 助けてください、という声は、今日も書類になった。
助けてほしいのは、たぶん僕も同じ。
ただ、僕の場合は誰に電話すればいいのか不明だ。
胸の奥に、
青いボールが、またひとつ転がった気がした。
【優斗:追記】
真夜中のギターは やべぇ。
【ギターの青年:追記】
やべぇ 見つかっちまった……。




