見えない首輪
通された長老の私室は、王宮の華やかさとは一線を画していた。
輝く大広間やシャンデリアの眩しさはなく、
ここには静かな重みだけが支配している。
天井まで届く書棚が壁一面を覆い、
背表紙の革が重なり合うその様子は、まるで茶色い断崖だった。
古い紙とインクが混ざり合った匂いが鼻をくすぐり、
それが不思議と落ち着きを呼び、同時に背筋を伸ばさせる。
重厚な机の上には、書きかけの羊皮紙と使い込まれた羽ペン。
ペン先にはまだわずかに黒いインクが光り、ついさっきまで誰かの思考がここで形になろうとしていたことを物語っていた。
派手さはない。
だが、一つ一つの調度品が長い年月を経てそこに馴染み、
部屋そのものが、積み重ねた時間でできているような安定感を放っている。
長老は、椅子に腰掛けたまま、ふたりを見つめた。
その瞳は老いによる濁りではなく、深く沈んだ湖のように澄んでいる。
逃げ場のない視線だったが、敵意はない。ただ重いだけだ。
静かな声が落ちた。
「王様の御前では、王様のご質問にのみお答えください」
言葉自体は穏やかだ。
だがその裏には、無数の経験から導き出された『絶対』が隠れている。
「くれぐれも、否定だけはなさいませんよう。これは忠告です」
優斗は息を飲んだ。
喉の奥がひりついた。
唇が震え、舌が上手く回らない。
(否定しないって……何を?何を聞かれるかもわからないのに?)
頭の中に、嫌な想像が渦を巻く。
異世界だから、法律も常識も、全部違う。
「いいえ」と言っただけで首が飛ぶ――
そんな物語をいくつも読んできた。
「ありがとうございます。そのように努めます」
それだけが、精いっぱいだった。
声が少し裏返ったのが、自分でも分かった。
横で腕を組んでいたカレンが、やや大きな声で言った。
「これって、丁寧な強要よね~」
長老の眉が、ほんのわずか動いた。
それでも怒りは浮かばず、むしろ「予想通り」という顔をしている。
カレンは続けた。
「『自由意思で承諾したことにしてね』ってやつ」
「豪華な粗品ってところよ」
その言い方はふざけているのに、目だけは笑っていない。
(……カレンは、何を言っているんだろう?)
僕にはうまく言葉にできない感覚を、
カレンは軽々と口にしてしまう。
長老はしばらく黙り、やがて静かに頷いた。
「それでも――あなた方は、選ばれたのです」
「選んだ覚えはないけど?」とカレン。
「選ばれし者とは、えてしてそう言うものです」
長老の声は少しだけ柔らかくなったが、
そこに逃げ道はつくられなかった。
僕は拳を握りしめた。
指の骨がこすれる感触だけが現実感をくれる。
(否定するな。質問にだけ答えろ。それを守れなければ――どうなる?)
聞けなかった。
聞いた答えが怖すぎる気がした。
部屋の外から、遠くで鐘の音が響いた。
王宮の時間が、容赦なく前に進んでいく。
「そろそろお時間です」
長老が立ち上がる。
衣擦れの音が、妙に大きく聞こえた。
扉の向こうには、王の間。
そして、逃げられない質問。
僕は小さく息を吐いた。
(否定しないって……僕は、何を肯定させられるんだろう)




