タマリン……
「家の前に、猫の死体があります。気持ち悪いので、片付けてください」
電話の第一声がそれだった。
……いや、それは僕じゃなくて、
まず警察とか管理会社じゃない?
そう言いたかったけど、言えなかった。
なぜか。
結局、誰もやらないからだ。
言った人もやらないし、周りの人もやらない。
それで、最後に、僕のところへ転がってくる。
現場についた僕は、少しだけ立ち止まった。
朝の空気が冷たくて、手の甲がひやっとした。
白い腹が見えた。
首輪は、なかった。
道路と歩道の境目。
人の気配はないのに、生活の匂いだけ残っている。
その場で、少し考える。
(あー……)
それだけだった。
言葉は、そこから先に伸びなかった。
戻ろうとして、足が止まる。
額に、黒い模様があった。目は、小さい。
この前、紙に描いた顔と、だいたい同じだ。
(……タマリンか)
胸の奥が、小さく、変な音を立てた。
猫は、小さく丸くなっていた。
眠っているみたいに。
体は、もう動かない。
見なくていいところは、
見ないことにした。
視線を、少しだけ外す。
「……」
変な間が空いたので、とりあえず、息を吸った。
仕事だから。
袋の口を結ぶ音が、やけに大きい。
誰もいない路地で、音だけが仕事を見ている。
終わった、と思った。
でも胸の中では、何も終わっていない。
事務所に戻り、椅子に沈み込む。
書類の山。
電話の着信履歴。
未読のメッセージ。
世界は、勝手に動き続けている。
僕の都合なんか、お構いなしに。
天使は、役に立たない。
祈っても、何も片付けてくれない。
「……悪魔でいいから」
小さく言った。
誰にも聞こえない声で。
何か、責任をなすりつけられる存在がほしかった。
それが神でも悪魔でも、名前のついた何かなら、なんでもよかった。
***
終わってから、家に戻る。
線香を一本、立てた。
煙が、まっすぐ上に伸びていくのを見ていた。
「……タマリン」
それだけ言って、あとは何も続かなかった。
(死んだ猫に話しかけるって、そうとうキテるよな)
そう思いながら、逆立ちをする。
床が冷たい。
血が頭に集まってくる。
(誰だって、猫の処理なんて嫌だ)
(でも、そのままにも、しないし)
(……飼い主に、何て言えばいいんだろ)
今日は、とても疲れた。
頭が空っぽになった。
考える気力が、すっと抜けた。
仕事のことも、明日の予定も、どうでもよくなっていた。
――夢を見ているのか。
オレンジ色の薄い光。
現実にはありえない城の輪郭。
遠くで、誰かの声がした。
僕の名前を呼ぶような、呼ばないような。
足元が、ふわりと浮いた気がした。
世界が、静かに、入れ替わろうとしていた。




