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取り敢えず今は、牌谷さんの眼の件は置いておこう。
ここまでの彼女に怪しい素振りは見られなかったし、普通に考えてみれば悪い人には思えない。いやどちらかと言えばむしろ良い人だ。
別に恋人のように手を握られて懐柔された訳ではない。これまで彼女の口にしてきた言葉や、人となり、仕草から総合的にそう判断したのだ。
もう一度言っておこう、決して手を握られているからでは断じてない。
「結構長い階段ですね……」
「うん、それにやたら急だよね……」
下へ下へと続く階段には常夜灯のようなオレンジ系の薄明かりが点々と灯されている。
それが淡く照らし出す血痕や肉片達が、この気味の悪い階段を余計におどろおどろしく感じさせてくる。
まあ、何も明かりが無いよりはマシではあるけど。
しかしこの照明、蝋燭の類いではないな、おそらく電気とも違うだろうし。
それどころじゃなかったから疑問にも思わなかったけど、城内にも何かをエネルギー源とする光源は沢山あったな。
これらは異世界あるあるの魔力エネルギーか何かを使った照明灯と言ったところなのだろうか。ベルトコンベアにしてもそういったエネルギー源が必要だろうし。
そんなことを考えていると、強化聴力がかなり下から響く足音と誰かの喋る声を拾った。
「やれやれ、面倒くせえなあ。上じゃ今頃宴会やってんのによ」
「まあ、そう言うなよ。来年は俺らじゃないんだから」
「まあなー」
姿も見えた、二人だ。
まだ距離もある。
大柄な身体、オークか? いや、猪みたいな牙がない。その代わりに額には角が生えている。
ファンタジー物で言えばオーガってやつかな。うん、オーガでいいな。
下から登ってくるオーガ二人の姿を牌谷さんも捉えたようだ。
どうやら、夜目だけじゃなく視力もかなり良いらしい。
そして会敵を間近に感じた途端、彼女の纏う空気は一変する。
「どうする、殺る……?」
繋いだ手から俺の僅かな動揺が伝わったのだろうか、その言葉には容赦や情けの感情は一切感じられない。
昨日までは牌谷さんも普通の日本人として暮らしてたんだよな……。
敵は魔族とは言え、同じ言語を話し見た目も人間に近い。
それを相手に一瞬の思考で殺す発想にまで至れるのは、闘技場の経験ゆえか、それとも彼女の攻撃力の高い遠隔スキルの賜物なのか。
そりゃあ俺だってオークを二人殺しているけど、あの感触は今思い出しても気分の良いものじゃない。不殺の精神など微塵も無いが、なるべくは勘弁願いたいのが本音だ。
これは大型の生物を殺す習慣のない一般的な日本人なら割りと普通の感覚だと思う。
だから、そんなブレーキ知らずの彼女を少し怖く感じてしまうと同時に頼もしくも思ってしまう。
畏怖を伴った畏敬の念、とでも言った感じだろうか。
いや、怖いとは言っても別にもう牌谷さんのことを疑ってはいない。
ただ普段優しげで普通の女の子にしか見えない彼女が見せる冷徹な一面には、なんとなく興味を惹かれてしまうってだけの話だ。
「いえ、やり過ごしましょう。隣のスロープ側にスキルで足場を作ってもらえますか……?」
「うん、解った……」
操血で作られた足場へ二人で移動する。
あ、そう言えば。
『エル、君って俺のスキルで見えなくなってるのかな?』
『お前が常に発動してる潜影ってやつダナ。…………今確認したんダヨ。スキルログが共有されてる時点で僕はお前の身体の一部だからサ、もちろんスキルの対象に含まれているヨ』
『解った、ありがとう』
声を出さずに会話できるのは慣れてくると結構便利だ。
息を潜めていると、その横を取り留めない話をしながら二人のオーガが通り過ぎていく。
このくらいの奴らなら牌谷さんなら瞬殺なんだろうけど、荒事にせず済むならその方がいい。
これは俺が弱腰で臆病だから言っているのではない。
通る先々で遭遇する魔族を全部殺していたら、例え死体を死体処理班で片付けたとしても「その場所で突然誰かが消えた」という事実が、死体の代わりに俺たちの足跡として残ることになる。
普通ならそんなことを気にする必要は無いだろう。
だけどこの異世界にはノクスがいる。
遠隔で他人の気配を感知できるあの超絶イケメン野郎なら、そういった見えない痕跡を辿って俺達に迫る可能性は十分に有り得る。
考え過ぎかもしれないが、それくらい警戒した方が良いと思っている。
遠ざかっていくオーガを見計らって階段へと戻り、再び降っていく。
「そうだ、その血のスキルでエレベーターのように下には降りられないんですか……?」
「うーん、できたら便利なんだけど無理なんだ。球体のときは自由に動かせるんだけどね、形を変えたら座標が固定されちゃうって言うか。だからさっきも飛び降りたんだけどね……」
なるほど、その方が貫通力や切断力は向上しそうだしな。良くも悪くも攻撃寄りのスキルって事なのかな。
「あ、階段もうすぐ終わるよ……」
「ですね、その先はすぐに大部屋です。油断せず行きましょう……」
「だね……」
階段を抜けると、薄暗いまま大きな部屋に出た。




