2話
宗像真一は、「木漏れ日」という言葉が好きだった。
特別な思い出があるわけではない。ただ、語感が気に入っていた。木の間からこぼれる光──その響きには、何か柔らかくて、儚くて、肯定されるような気配があった。
ある夜、書棚の奥から古い写真集を取り出した。アラスカの風景を収めたものだった。ページをめくると、氷河の裂け目に差し込む光、水面に反射する朝の光、霧の中で輪郭を失いながらも輝く光──どれも、言葉では言い表せない静けさと力を宿していた。
真一は、しばらくそのページを開いたまま、動けなかった。
その光は、遠い世界のものだった。だが、なぜか懐かしかった。自分も、こんな光を撮ってみたいと思った。誰かに見せるためではなく、自分の中に残すために。
けれど、カメラを買う余裕はなかった。撮影旅行に出かける時間もない。だから、次の週末、散歩も兼ねて近所の駒沢公園へ向かった。
午後の光が、街路樹の葉を透かしていた。スタジアムの壁面は白く、陽射しを受けて眩しく反射している。タワーの影が地面に長く伸び、ランニングロードには、汗を光らせながら駆ける人々の背中が並ぶ。真一は、スマホを構えながら歩いた。光と人の動きが交差する瞬間を探していた。
しゃがみ込み、スマホを傾ける。アングルを変えるたび、光の表情が変わる。スタジアムの壁に映る木の影が、まるで皆既日食のように、光を縁取っていた。偶然の重なりが、構図に意味を与える。それが面白かった。
何枚も撮った。何度も立ち止まった。スマホの画面を見返すたび、何かが足りない気もしたが、それでも撮ること自体が楽しかった。光を探すことが、少しずつ日常の中に入り込んできた。
ベンチで一息ついていたときだった。背後から声がした。
「いい光ですね。撮ってるんですか?」
振り返ると、グレーの帽子をかぶった中年の男性が立っていた。真一は一瞬身構えた。何か注意されるのかと思った。だが、男性は穏やかな笑みを浮かべていた。
「スマホで撮ってる方、最近増えてますよ。うちのサークルも、ほとんどスマホです。よかったら、今度見学に来ませんか?」
「サークル……?」
「SdPって言うんです。スマホdeフォト。駒沢公園の近くで、月に一回集まってます。光の撮り方、構図の工夫、みんなで話しながら撮るんですよ。」
名刺のような紙を差し出された。手作りの案内だった。真一は受け取りながら、少し戸惑っていた。知らない人と写真を撮る。そんなこと、今まで考えたこともなかった。
「気が向いたらでいいです。無理にとは言いません。」
男性はそう言って、軽く会釈して去っていった。
真一は、紙を見つめた。SdP──スマホdeフォト。少し滑稽な名前だと思った。だが、どこかで、心が動いていた。誰かと光を探すこと。それは、今までになかった感覚だった。
スマホの画面をもう一度見た。スタジアムの壁に映る影。ランナーの背中に差し込む光。それらは、無機質だった。だが、そこに何かを見ようとしている自分がいた。
光は、まだ遠くにあった。だが、探すことは、始まっていた。




