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第6話 千思万考

 僕の父と母は成り行きで結婚したそうだ。会社の知り合いから紹介されて、二年間の交際を経て結婚したらしい。


 その頃には母は僕を腹の中に宿していたそうだ。いわゆるデキ婚である。この言葉は良く耳にする事があるが、誰もこの言葉を良い言葉だとは思っていない筈だ。


 つまり僕の両親は理性を忘れ、色欲に溺れた挙句、僕を造り上げてしまったのである。


 両親の醜き情事なんてものは考えたくも無い。現実は冷たいもので、母と父の色欲の産物―結晶―が僕という人間なのだ。

 考えるだけで吐き気を催してきた。


 僕の身の回りの人々は「この世界に、この時代に人間として生まれてきた私達は幸せ者だ。少なくとも高度経済成長期以前よりは遥かにマシだ」と馬鹿みたいな戯言を馬鹿が馬鹿みたいにぬかしている。

 また、その言葉を馬鹿みたいな顔をして聞いて感動している奴等も後を絶たない。

 彼等は独りでは感動する事が不可能らしく、虫みたいに群れて徒党を組む事によって、ようやく感動する事が可能になるらしい。


 それはさておき、16年前の両親の醜く淫らな行為によって生じた快楽の付属品が僕という人間なのだ。

 有性生殖生物から産まれて来た生物なんてものは所詮、性行為の付属品に過ぎない。

 昔、祖父が僕が産まれた時の話を嬉しそうに語っていたけど、当の僕は自分自身の誕生譚なんてものには、まるで興味なんて無く勿論、感動する事も無かった。


 その感覚は今でも変わらない。確か当時の僕は祖父の機嫌を損なわせないように感動したふりをした気がする。

 感動話で感動できないような人間は無感情で酷い人間だと思われてしまう事があるが、感動する事が出来ない人間の方から言わせて貰えば、感動を押し売りされても困るだけなのだ。


 世間の人々は思想の自由なんてものを宣いながらも、感動話で感動する事ができない僕のような人達には同調圧力で弾圧してくるような差別主義者ばかりなので、何とも苦しくて困るものだ。


 この冷たき世界から一刻も早く逃げ出したかったが、疲れ切った僕の身体では到底この世界から逃げ切れそうに無かった。




 帰宅した僕は両親の顔も見ずに、そのまま二階にある自室へと向かった。


 僕の部屋にはベッドと簡素な学習机程度の家具しか無く、机の上には学校の教科書や黒ずんで汚れた文房具や少し気になって読み始めたものの途中で読む事を忘れてしまった本が数冊くらいしか置かれていなかった。


 生活をする為に必要最低限の物と長く放置され過ぎて廃棄物のようになった物しか置かれていない平凡的で、無個性な部屋が僕の部屋なのだ。


 僕は一日の疲れを布団に向かって投げ渡すみたいにベッドに飛び込み、疲れ切った身体と心をベッドに委ねて安らぎの姿勢に入った。ベッドは数秒ほど反発して僕を拒んだが、直ぐに僕の身体を受け止めて疲れた身体を癒してくれた。冷たかったベッドは時間が経つに連れて僕の体温で温かくなっていった。ベッドに飛び込んだ際に思いの外、頭が揺れたので僕は地中深くまで続く深い穴に叩き落とされてしまったと錯覚してしまったが、白銀色に綺麗に輝くあの光の残像が僕を錯覚で生じた地中の穴から引き摺り戻してくれた。


 元の世界に連れ戻された僕は眠気に負けぬように少し瞼を押し上げると、白く雑に光る蛍光灯が僕を照らしているのが見えた。

 その蛍光灯の白い光はさっき見たプラチナ色の彼女の靡く長い髪を思い出させた。

 蛍光灯の雑な光と彼女が放つ後光は天と地くらいの差が有るのだけれど…。

 僕は彼女の事を思い出せば思い出す程、自分自身でも信じられないくらいに銀髪の彼女が夕陽に照らされているあの光景に再び見惚れてしまい、深く深くのめり込んだ。


 彼女を見る度に僕の心の中で、心地良く澄んだ感情が芽生えてゆく気がする。

 この沸る感情は他の感情達よりも複雑であるように思えてしまうが、逆で実際のところは最も単純なものであった。

 だが単純過ぎるが故に、心の根底に響くものであるが故に、この感情をどのようにして呼べば良いのか分からなかった。

 簡単にこの感情に関する事実を陳列すると、この感情は―この想いは―眼に潤いを、皮膚の末端神経達に震えを、心臓の鼓動に燃えるような力を与えてくれるのだ。


 果たして、この感情は何というのだろう?


 どうせ僕には知る事は出来ないのだろう。そう思ってしまえば僕は一時的に楽になる事が出来る。

 そして物事を深く突き止める事を止める権利が僕の心の中で発生する。

 その権利は僕にとって生活保護の受給と同じように後ろめたい権利ではあったが眼を背ければ然程、苦しまなくて済むので、ついつい縋ってしまう。


 彼女は綺麗という言葉の持つ概念や情報をそのまま現実に映し出したみたいに端麗な容姿をしていた。

 朝の温かな陽射しの様に澄んだ肌、滑らかで美しい曲線を描く骨格、世界中の光を濾過しながら反射する銀色の長い髪、彼女の全てが世界中の何よりも美しくて綺麗だった。

 こんな事を言ってしまえば彼女の心の傷を抉ってしまうかもしれないが、彼女の右肩に残酷に彫られた傷跡でさえも僕には美しく思えたのだ。


 あの右肩に刻まれた傷跡も、クラスメイトである彼女がアンドロイドだという事実も、彼女の影を濃くしていた。彼女の事情は誰にも分からない。

 そして何故、彼女は裸体を見られても恥ずかしがったり、嫌がったりしないのかさえも分からない。

 アンドロイドと人間の感覚や価値観は想像以上に離れているのかもしれない。


 そんなアンドロイドとして生きてきた彼女は僕達―人類―に対してどのような思いを持ち合わせているのだろうか?

 人類を自身の創造主たる神様として崇めているのだろうか?

 それとも人類に対して特に何か意識を向ける事なんてないのだろうか?

 そうやって結局、僕は普段は余り考えないような事を本気で考えたりしている。

 無意識のうちに彼女が、僕に機械について考えさせるように仕向けたのかもしれない。


 もし僕がアンドロイドならば人類に対して何を思うのだろうか?

 そんな事、僕には到底、分からなさそうだ。そもそも僕はアンドロイドの生活や感覚、機能、環世界をこれっぽっちも知らないのだから…。

 本当にアンドロイドに感情があるのかさえ良く分からなくて懐疑的に思っているというのに、アンドロイドの―彼女の―心理を理解する事なんてアンドロイドではない僕達―人間―には到底不可能なのかもしれない。


 だが、少なくとも彼女の青く透き通る瞳からは胸に押し寄せて来る熱い「何か」を、あの白銀の複雑な傷跡からは氷の涙のような哀しみを感じ取る事が出来た。




 僕は感情の至るところが欠けていると他者から指摘される事が多々ある。


 「貴方には『共感能力』が無い」と数年前に当時の担任の教師から言われた事がある。

 その時、僕は少し傷付いたものの心の何処かで担任教師の意見に納得してしまった。

 確かに僕は他者と比較すると感情が欠落してしまっているのだろう。

 だけど、この教師の言葉に少し傷付いてしまったという事を踏まえると、感性は人並み程度に持ち合わせていると自分では思っている。

 感情を読み取る能力が低い代わりに、僕は人並みの感性と独自の理論で補っているつもりだ。


 再び言うけれど、あの時、僕は燃えるような夕陽と冷えた空気が織り成す世界の中で、確かに彼女から熱く酸っぱい「何か」を、そして心が凍り付いてしまった哀しみのようなものを強く感じたのだ。


 やはり無機物―無生物―の外観をした彼女が生物的な心を宿している可能性があったとしても、機械である彼女が何を考えているかなんて事は、無生物では無く、生き物である僕が考えても理解する事は不可能なのかもしれない。


 だけど何故か、無性に僕は彼女が何を思っているのか、気になって仕方がなかった。

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