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第4話 生きてみせるよ

 彼女が入院しているであろう病院は、都内の立派な総合病院だった。


 院内は何処もかしこも妙に清潔感が漂っていて、廃ビルにいた彼女の面影なんて何一つとして感じられなかった。

 殆どと言っても良い程、人間関係の無い僕にとって誰かの見舞いに行く事は、とても特別で新鮮だった。


 だからなのか、それとも助ける事ができた筈なのに助けないで眼を背けてしまった彼女にもう一度、会おうとしているからなのか、心臓が飛び跳ねるくらい僕は緊張していた。


 受付に行って彼女に会えないかと尋ねてみた。何となく受付に面会を拒否されるのではないかと思っていたのだが、予想とは裏腹に「会ってくれませんか?」と面会を勧められた。


 どうやら病院の人達は彼女のことをずっと気に掛けていたらしい。

 彼女が自殺未遂の怪我で入院しているというのに、彼女の友達や恋人や家族でさえも、今まで誰も見舞いに来ていなかったそうだ。


 つまり僕が、この世界で初めて彼女に会いに来た人間という事になる。


 彼女がいるという病室の前まで僕は来ていた。


 僕は病室の扉を、そっと握った。そして僕は思い描くように願う。

 この扉の向こうにいる彼女が、僕の事を含めて辛かった過去の事なんか忘れて誰かと一緒に幸せに過ごしていてくれるようにと…。

 そんな事は有り得ないという事は受付での会話で分かってはいたが、そう信じたかった。

 それが僕にとっても、彼女にとっても一番、幸せな結果なのだから…。


 だから扉の向こうにいる貴女が、あの廃ビルの虚しい腐臭を撒き散らすのは止めてくれよ!


 僕が扉を開けようとした、その時…。


「来るな…。入ってくるな…」


 という弱った大人にしか出せない特有の彼女の声が、僕を制止した。


「第一、私達、赤の他人じゃないか? なのに何で、わざわざオマエはアタシに構ってくるんだよ。鬱陶しいんだよ、オマエ…。帰ってくれ、頼むから…」


 因果は―運命は―痛みに悶えながら彼女を乗せて走り続ける。それと同時に、はたまた、それとは別に因果は―運命―は僕も乗せて走り続ける。


 運命は当たり前のように道しるべが敷かれているのかも、もしくは敷かれていないのかも分からない―道なき道を―流れ進んでゆく。いや、創り、生み出してゆく。


「分かりました。…なんて言いません」


 言って堪るものか!


「僕は帰りません!」


 僕は粘り強く、しつこく彼女を待つ事にした。


 決めた! 彼女に会えるまで僕は絶対に帰らない。例え迷惑だとか意地っ張りだとかいう罵詈雑言を浴びせられたとしても…。


「待つ事にします! 貴女に会えるのなら、何時間でも何日でも!」


 僕は勇気を振り絞って優しく叫んだ。


「…勝手にしろ」


 彼女がそう言ったので、僕は彼女の言葉通り勝手に待ち続ける事にした。


 結局、彼女の病室に来たものの彼女が僕を拒否して中々、僕を病室に入れてくれなかった。

 そうしている間にも地球は回る。それでも僕は挫けずに、ひたすら待った。何十分も何時間も…。


 廃れた街が夕焼けに染まる頃、いきなり彼女は僕を病室に入れてくれた。


 久しぶりにあった彼女は何処か変わったように感じられもしたが、腐ってしまった根源的な部分は何一つとして変わっていないようにも感じられた。


 彼女の身体は少しやつれていて、まるで仮死状態みたいで妙に落ち着いていた。


「…」


 僕と彼女の間に数分程、無言無音の状態が続いた。

 意外にも先に長い沈黙に絶えられなくなったのは僕の方では無く、彼女の方だった。


「あの時、私は『生きて』って言って欲しかっただけなんだ」


 その時、廃ビルでの彼女の悲痛な叫びが、僕の心の中で反芻した。それと同時に、あの不思議な夢の世界の中で、つなぎが僕にくれた言葉も、僕の心の中で反芻した。


「生きて」という言葉、叫び、或いは祈りは、夢の世界の中で、つなぎが最後に僕にくれた愛だったのだと今、改めて痛感した。


 心全体に、つなぎの愛が響き渡る。だから僕もつなぎのように…。


「僕は貴女を慰めるつもりなんか全くありません」


 と言って僕は彼女の痩せた手を強く、そして柔らかく握り締めた。彼女の手の中身は空洞になっているのではないかと思う程に、軽くて冷たかった。


「だけど…。いや、だからこそ美辞麗句なしに僕はありのままに思った事を貴方に言います。生きてください。僕の為に…。貴女自身の為に…」


 彼女が、僕をじっと見つめている。

 その彼女の廃れた眼が僕くらいの年齢に若返ったように見える程に、彼女の眼に希望が宿った瞬間を僕は目撃した。


 彼女はまるで少女のように、長年に渡って溜まった膿を吐き出すかのように僕の胸に抱き着き、そして涙を流して泣き始めた。


 僕は子供の癖に、大人みたいに涙を堪えようとした。

 だけど、そんな事、僕にはできなくて結局、泣いた。


 この日の夕焼けは、僕達の目頭くらい熱く輝いていた。


 こうして絡まった糸は緩んで、繋がり、結ばれてゆく。


「私、生きるよ…。生きてみせるよ!」

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