第2話 機械仕掛けの霊柩車
これで良かったんだ。
私は離れゆくむすびの背中を眺めながら、そう思った。
これで良かった筈…。これで良かったんだよね?
地球の片隅で私は一人、問い続けた。
ごめんね、むすび。君の優しさを踏み躙ってしまって…。
本当は、もっと君の優しさに甘えていたかった。だけど私は我楽多だから君に迷惑ばかりかけてしまう。
君の人生そのものを引っ張ってしまう。
むすびには、新しい人生に向かって進んで貰いたい。私の事なんか忘れて…。
あれ? どうしてなのだろうか?
気が付けば、一筋の涙が頬を伝っている。
堪えていた哀しみと痛みが氾濫して涙となって溢れ出していた。
世界の片隅で、私は一人、無数の涙を流していた。
独りきりでいる月は銀色に満たされている。
しばらくすれば、むすびは優しいので、きっとここに戻って来てしまうだろう。
そして私は、またむすびを傷付けてしまう。甘えてしまう。
もうこれ以上、むすびを苦しませたくはなかった。だから私は外へと―冬の街へと―出る事にした。
行方をくらませる為に…。
彼が戻って来てたとしても、私に二度と会えないようにする為に…。
物理的に重たい腰を上げて立ち上がると、何とも形容し難い痛みが神経中に響き渡った。
だけど、それでも立ち上がって壊れそうな身体で、ひたすら前に向かって歩き続けた。
残酷な街は容赦無く機械の身体を―私の心を―凍らせた。私は只、夜の街を一人で歩いているだけだというのに…。
晴れ渡った夜空に星一つなく只々、白銀色をした月が一際強く輝いていた。
只でさえ意識が朦朧としているというのに、きぃんと轟音と似通った耳を切り裂くような耳鳴りと共に稲妻に打たれたような痛みが身体中を駆け巡った。
私の身体は痺れていた。機械仕掛けの身体は痺れていた。
私は必死に身体の痺れに抗ったのだが、結果は虚しく私は冷えたアスファルトの上に倒れ込んでしまった。
アスファルトの冷たい感触と共に、走馬灯らしきものが私の心全体に行き巡った。
想い出が―過去の感情や感覚が―表層心理に浮かび上がってきては流れて行く。
あれ? おかしいな…。
何処の思い出にも、むすびがいた。
優しくて純粋な君がいた。
私の傍には、いつも君がいてくれた。
倒れ込んだ私を見た人々は冷ややかな眼で私の正体を確認しながら、しきりに三桁の電話番号を携帯電話に入力している。119だろうか? それとも…。
「処理班、現場に到着しました。応答お願いします」
人々が何処の誰に電話をかけたのかは―通報したのかは―最早、考える必要は無かった。
「今回の処理対象のアンドロイドは一年程前にK町の風俗店から脱走して行方不明になった性風俗産業用アンドロイド『A―279』だと思われます」
人々は私の事を「A―279」と無機質的で無表情な名前で呼ぶけれど、むすびだけは違った。
むすびだけは、私を「つなぎ」という温もりと思い出で満ち溢れた名前で呼んでくれた。
機械である私を「つなぎ」という素敵な名前で呼んでくれるむすびの優しさが―有り難さが―今になって更に如実に分かった。
「直ちに最寄りの処理場へと輸送します」
優しさの欠片も持ち合わせていない警察官や処理員が乱暴な手付きで回収車両に私を乗せた。
回収車両の上で私は仰向けになって倒れていた。
あんなに遠くで輝いている月と眼が合った。
何故か、ますます、むすびが愛しく思える。
むすび、むすび…。むすび、むすび!
何故か、こんな意識が朦朧として今にも壊れそうだというのに、心中で愛しくて堪らない彼の名前を呼び続けずにはいられなかった。
嗚呼、自分から跳ね除けておいて今更になって後悔するなんて可笑しな話だけど、せめて最後くらいは、むすびの傍に居たかった。
幸せにね、むすび。




