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第7話 希望と絶望の残滓

 あの人は春の陽だまりのように明るくて、春のそよ風のように優しかった。


 そういった彼女の人格は雰囲気や外見に、仕草に、ふわっとしたボブヘアーとかに滲み出ていた。


 彼女もまた、ほどきと同様にアンドロイドの研究者だった。

 何故か彼女は冴えない男であるほどきと結婚している程なので彼女も彼同様に少し変人で、二人の考え方や理想は似通っていて、だからなのか二人は職場迄も一緒だった。

 彼女はこよなくアンドロイドを愛する、いわゆる機械オタクという人種だった。


 彼女がいた頃のほどきは今の疲れ切った眼とは対照的に、活気があって明るくて彼の眼には輝きがあった。

 佇まいも今みたいに荒んではなく、穏やかで物静かな青年だった。


 ほどきは余り愛情表現が上手くはなかったけど、世界中の誰よりも彼女を愛していた事は当時、小学生だった僕にでも分かり切っていた事だった。


 そして、それと同じくらい、ほどきはアンドロイドの事が好きだった。


 そんな、ほどきと彼女の出逢いは大学の研究室だったそうで、二人が入っていたその研究室はアンドロイドの人工知能を研究しているところだったらしく、その研究室の歓迎会で、アンドロイドについて話しているうちに二人は意気投合したらしい。


 そして、それからというもの、いつも二人でアンドロイドについて語り合っているうちに一緒にいる事が多くなり、二人はいつの間にか付き合っていたのだそうだ。


 大学を卒業後、ほどきと彼女は同じ大手の機械製造会社に就職したが、アンドロイドに対する会社の考え方と二人の考え方が合わなかったのだろう。


 二人は二年も経たない内に会社を辞めて、その後、二人は人間とアンドロイドが幸せに暮らせるような世界を創るという理想を掲げて「源研究室」を設立した。


 丁度その時、辺りから彼女の左手の薬指に銀色に光る指輪がはめられているようになった。


 そこでの二人は主に介護用や孤独死防止用といったアンドロイドを造る仕事をしていた。

 人工知能には心があるという事を信じて、二人はアンドロイドの為に労働環境の整備活動や講演会を開いたりして日々、忙しく走り回っていた。


 そんな活動をしているのは当時は彼と彼女くらいだったので、二人はこの業界から―世間から―異端扱いされたり、馬鹿にされたりしていたらしい。

 そんな、そこそこ過酷で大変な日々を経済的に困りながらも、二人は何とか幸せに過ごしていた。


 そんなある日、ほどきの元に性風俗産業用アンドロイドの製造依頼が届いた。

 アンドロイドには人権や保護して貰える法律が無い為、誰にも守って貰えない。


 それらを知ったうえで資金難に困っていたほどきは、彼女に黙って一体だけ性風俗産業用アンドロイドを造ってしまったらしい。


 ほどきは性風俗産業の分野に手を出した事を彼女に言うのが怖くて―失望される事が怖くて―ずっと言い出せないままでいた。結論から言うと結局、ほどきが性風俗産業に手を出した事を彼女が知る事は無かった。


 それから数ヶ月程が経った頃だった。

 それは丁度、ほどきが自分の子供を悪魔に売った罪悪感を忘れた頃でもあった。

 彼女はその日、美容室に行って来ると言って、街に出掛けたらしい。


「ちょっと出掛けて来るね〜。晩御飯、何か食べたいのあったら連絡してね」


 この言葉は、ほどきが聞いた彼女のあらゆる言葉の中で永遠に一番、新しい言葉となった。

 その日、彼女は出掛けてからというもの、一向に連絡も寄越さないうえに帰って来なかった。


 そんな帰りが余りにも遅い彼女を心配したほどきが彼女の携帯に電話をかけようとしたその時、待ち受け画面に「アンドロイド暴走 一般女性殺害」というニュース速報が流れて来た。


 その直後、携帯の画面がぼんやりと薄暗くなり、通話画面へと切り替わった。

 その薄暗い画面の中には白くはっきりと110という電話番号が表記されていた。


 妙なくらい胸がざわついて、凍った池に足を突っ込んだかのように足下が冷たくなった事だろう。


 ぼんやりとした液晶画面にくっきりと映っている「通話」の表記を押すと「源ほどき様でしょうか?」と堅実な声をした男が彼に名前を確認してきたらしい。

 そして警察官は「大変、心苦しいのですが…」と外側は悲しそうに取り繕って、内側は無表情のまま話し始めたのだそうだ。


 きっと一瞬、呼吸ができなくなったりしたのだろう。


 携帯を握っている事を忘れて、いつの間にか床に落としてしまったりしたのだろう。


 理解なんて到底、できなかったのだろう。


 理解なんて、そんな残酷な事したくなかったに違い無い。


 不穏な異常事態にほどきは戸惑いながらも、ひたすらに事件現場に向かって走った。

 夜の色をした雨粒達が音を立てる事を止めずに降り続けていた。

 精神的な乱れと身体的な乱れが組み合わさって、呼吸が最早、呼吸のリズムをしていなかった。


 酸性雨の降る街の中を只々、走っていると彼は異様な雰囲気の場所を見つけた。

 雨粒達がパトカーのランプに照らされて赤みを帯びてゆき、パトカーのランプがほどきを照らしてゆく。

 その時、ほどきは赤い光に照らされながらも銀色に光る何かを見つけた。


 ほどきは、その光る物の正体を知っていた。


 銀色に光る物の正体、それはかつて彼自身が彼女の薬指にはめた筈の指輪だった。


 何故、雨粒を弾くアスファルトの上に指輪が落ちていたのかが気がかりになって仕方がなかった。

 何故か指輪は真っ赤に血塗られていた。


 そのせいで彼はどうしても考えたくない事まで考えてしまわずにはいられなかったのだろう。

 ほどきは、ひっきりなしに出てくる不安を振り払う為に、雨で濡れた頭を強めに振ったりして忘却を試みた。


 改めて、しっかり辺りを見渡すと先程よりも更に、この場所が異様な雰囲気に包まれている事に彼は気付いたのだそうだ。

 妙な人集り、交通事故にしては多過ぎる警察車両と警察官、雨の匂いの中に仄かに混じっている生々しい鉄分の匂い…。

 そういった様子の全てが彼を不安にさせた。

 ほどきが恐る恐る騒ぎの中心へと向かうと、そこには…。


 血のこびり付いた刃物を持っている壊れたアンドロイドと多量の赤黒い血を夜雨に洗い流されて、すっかり冷たくなっている彼女が倒れていた。


 せっかく罪悪感とか自分の弱さとかを忘れかけていたというのに…。


 そのアンドロイドは、かつて彼が資金調達の為に彼女に隠して造った性風俗産業用のアンドロイドだった。


 彼自身の弱さが、彼の最愛の人を刺し殺したのだ。


 その事件からというもの、ほどきは酒を浴びるほど飲み耽って泥酔するようになったり、自殺未遂を時折繰り返したりして自暴自棄染みた現実逃避をするようになった。

 どれだけ悔やんでも、どれだけ哀しみ嘆こうとも、彼の心が晴れる事はなかった。


 やがて自身の弱さを呪い殺す程の悔しさと愛する人を失った哀しみは、アンドロイドに対する禍々しい憎悪へと変わっていった。


 その憎悪は、ほどきを飲み込んでゆき、また彼自身もその憎悪をまるで食らい尽くすかのように受け止めた。

 彼は失ってしまった愛する人の為のあらゆる空白―隙間―を埋めるかのように憎悪に依存した。


 彼は何か共依存できるようなものが欲しかったのだと思う。

 余りにも辛過ぎて、そうする事でしか生きていけなかったのだと思う。


 そして、ほどきはアンドロイドを撲滅する為に、愛した人との日々の代償を求めるかのように動き始めた。


 こうして優しかったあの頃の彼は居なくなってしまい、現在の冷酷な彼へと変貌してしまった。


 彼女が帰らぬ人となっても、いや帰らぬ人となったからこそ、ほどきはアンドロイドを造り続けた。

 愛している人の面影がこびり付いているこの研究所で、たった独りで…彼はひたすらアンドロイドを造り続けた。

 どんな企業にも、かつて敵視していた連中にもアンドロイドを製造して売った。


 かつて彼女と描いた理想の未来は、不幸な事件から生まれたアンドロイドに対する憎悪によって真っ黒に塗り潰されていた。


 今のほどきには、かつての彼にはあったアンドロイドを愛でる心は無くなっていた。


 彼女がいなくなってからというもの、ほどきは何の躊躇いも無く、性風俗産業用のアンドロイドを造り、売るようになった。


 性風俗産業用のアンドロイドが自分の愛した人を殺したというのに…。

 いや、だからこそ性風俗産業用アンドロイドを製造して売るようになったのだ。


 そんな事は等に分かり切った事だ。


 恐らく、これが彼なりに導き出した最も悪質なアンドロイドへの復讐方法なのだろう。


彼はこの事の顛末は自業自得と分かってはいたのだけれど、自身の最愛の人と暮らしを奪い、自身を地の底に叩き落としたアンドロイドにでき得る限りの不幸を背負わせたかっだのだと思う。


 どんなに熱い炎でも燃料が供給されないまま冷気に当たり続けてしまえば、いつかは熱を失って冷えて消えてしまう。


 ほどきは自身の人生を通して、その現象が確かなものである事を痛感したのだった。


 分かってはいたのだけれど、ほどきにとって機械仕掛けの少女は―つなぎは―憎悪の対象の一つでしかなかった。


 つなぎを助けないで見殺しにする。これもまた彼なりのアンドロイドに対する復讐の一つなのだろう。


 僕の中で、アンドロイドに愛する人を殺されたほどきに深く同情する気持ちとアンドロイドであるつなぎを助けたいという滾る気持ちが心の中で葛藤して結局、僕は何も言えずに両手をぎゅっと握り締めて只、黙っている事しかできなかった。


 僕は居ても立ってもいられなくなって、この研究室から逃げ出そうと、狂った感情の赴くがままに走り出した。


「おい! 待て! そっちは!」


 ほどきが珍しく必死に焦りながら僕を止めようとしたが、僕はもう走り出した自分を止める事ができなかった。


 右も左も分からなくなっていた僕は出入り口と間違えて、別の扉を開けてしまった。


 扉の先には愛情と哀情の両方があった。


 黒眼が小さくなるのが、他所目でも分かるくらいに僕は驚いてしまった。


 記憶が掻き回される。


 扉の先には、いつか見た事のある、もう居ない筈の女性がいた。


 コーティング剤の溶液で満ちた容器の中で、ぷかぷかと浮いているのは死んだ筈のほどきが愛した人だった。


 絶句してしまった。


「だから待てって言ったのに…」


 後ろで、ほどきが哀しそうな声で半ば嘆くように呟いた。


 機械への憎しみも、愛する人を失った心の傷も、そう容易くは消えない。

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