第3話 ゴミみたいな街の中にあるゴミ溜めを見下ろすゴミみたいな女
何やら向こうの方が騒がしい。
私は廃ビルの屋上で缶ビールを片手に持ちながら、悪魔染みた都会の様子を見下ろす形で眺めていた。
相変わらず何処もかしこも、この街は粗雑に黒く塗り潰されていて、その闇の中で我こそが一番だと言わんばかりに汚れた光が乱雑している。
そんな黒く塗り潰された、この街の夜景の中でも更に黒く染まった場所を私は見つけた。
そして、その黒く染まった場所の中心では、白銀色をした何かが光り輝いていた。
その光は儚くて今にも汚れた夜闇に蝕まれてしまいそうな、ひ弱な光なのだけれど私を焦がしてしまうには充分過ぎる程に強い光だった。
思わず私はその温かな光に手を伸ばそうとしたが、私は今にも絶えてしまいそうな儚い光に心を委ねようとしている自分自身が突然、哀れに感じたので私は咄嗟に伸ばしていた手を引っ込めて、持っていた缶ビールを飲み干した。
私は飲み干した空き缶を後ろに放り投げて、横にあるチューハイの缶を手に取り、手際良くプルトップをこじ開ける。
そして私はチューハイを飲みながらコートの内ポケットから煙草とライターを取り出す。
食事の際に食器の中にあるカトラリーを使って口に運ぶのと同じ要領で私は慣れた手つきで煙草を咥えて、そのままライターを近付けて煙草に火を付ける。
煙草から出た汚い煙を吸い込むと現実が私から離れる。
甘ったるいチューハイの味も、もやもやとした煙草の煙もこれといって美味しくは無く、寧ろ私を後々、苦しくさせるだけだった。
それなのに何故、酒を飲んだり煙草を吸ったりなんかしているのかというと傷付き過ぎた思い出を―残酷なこの世界を―只、忘れたいだけなのだ。
煙草の煙が吸い込まれるかのように夜空に消えてゆく。
何故か私は夜空に吸い込まれてゆく煙草の煙にさえ、私に飲み込まれるチューハイにさえ親近感を抱いてしまう。
二本目の煙草を箱から取り出して、そっと火を付けようとすると「止めろ」という声が何処からともなく聞こえてきた。
声と言ってもテレパシーみたいなもので、その声からは子供だった頃の私の面影を感じられた。
コイツは酒を飲めば「そんな毒になるものを飲むな」と私に向かって叫んで、煙草を吸えば手加減無しで私の腹を蹴ってくる。
「オマエさ、酒と煙草を止めろって言うけどさ、オマエもこの世界の酷さを知れば酒や煙草に浸る私の気持ちが、きっと分かる筈さ」
私はコイツに少し腹が立ったので無理矢理、愚痴を聞かせる事にした。誰でも良いから私の痛みを知って欲しかった。
「もう疲れたんだ。この冷ややかな世界に…。腐った人間達に…。それ以上に腐ってしまった自分自身に…」
私は吸った煙草の煙を吐き出しながら、そっと呟く。
コイツは基本的には直接、尋ねようとはせず黙ってばかりで何を考えているのか分かるようで分からない。
「他の誰かにとって―この世界にとって―私の生きてきた人生なんてゴミ溜めの中の我楽多程度の下らないものに過ぎないのさ」
そう言いながら私は夜の暗がりの中、かろうじて見える廃棄物処理場をぼんやりと見つめていた。
都市が産み落としたゴミを一ヶ所に集めた場所。
それが廃棄物処理場だ。
そこは廃材や産業廃棄物、即ちアンドロイド等の機械類の終着点だ。
廃棄物処理場の腐敗したゴミの山が映写機となって、私の下らなくて鬱屈とした過去や現実が私の為だけに特別に上映される。
「もう、うんざりなんだよ。何もかも…」
私は缶の中のチューハイを先程の缶ビールと同様に思い切り流し込む。
「この世界はあらゆる手を使って私を苦しめてくる。病気になった母への仕送りとか、少女時代の傷だらけの思い出とか…。まるで捨てられるかの様に辞めさせられた碌でも無い仕事とか…」
よろよろに酔っているのだけれどまったく気持ちは晴れる事は無い。
それにしても酒と煙草のせいで喉が熱い。
「私は、ほんの少しでも良いから嫌な事を全て忘れたいだけだよ」
酒を飲み過ぎて、そのうえに煙草を吸い過ぎた私の声はがらがらになっていた。
「だからよ、酒と煙草くらいは自由にさせてくれ」
私はコイツに半ば頼み込むようにそう呟いた。
眼下でぎらぎらと光る下品で無教養な繁華街の輝きを私は恨み、そして睨み付ける。
今更だが、柵が一つも無い廃れたビルの屋上の端に私はたった独りでいるというのに、何故か少しも怖くはないという事に気付いた。
アルコールの度数が高い酒を飲み過ぎたからなのだろうか?
それとも別に自分がいつ死んでしまっても構わないと思っているからなのだろうか?
そんな自分自身ではどうにもならない事を考えていると、また私の腹をコイツが叩く。
「それにしても腹、膨らんできたな…」
と言いながら私は膨らんだ腹を何となく撫でてみる。
「全く…。オマエも本当にツイてないよな」
私は他人事の様にコイツを嘲笑う。
私とオマエは切っても切る事ができない程の深い結び付きがあるというのに…。
月が闇夜の中、一人孤独に輝いている。
そういえば死んでしまっているのか生きているのかさえも分からない誰かが言っていたような気がする。「月に手を伸ばせ。例え届かなくても」と。
最早、手を伸ばすことさえできない程弱ってしまっている私には、その言葉は余り響かなくなっていた。
「誰か私に手を差し伸べてくれよ…」
不思議と私は心の余力を振り絞って月に手を伸ばしていた。
それと同時に「可哀想だなんて思わないでくれよ」と密かに月に頼んだ。
そんな事をして、やるせ無く時間を潰しているとカンカンと下の方から誰かが走って来るような足音が聞こえる。
足音が止んで、今度は乱れた呼吸音が聞こえる。
疲れ切った目で後ろを振り向くと、あの少年が息を切らしながら真剣な―必死な顔をして立っていた。




