第10話 溢れ者達の探り合い
何故、今日もまた私はこんな廃ビルの屋上で、独り酒を飲んでいるのだろうか?
日が傾いてくると、いつの間にか惹きつけられてこの廃ビルに来てしまう。
まるで、この廃ビルはこの世界にぽっかりと空いた穴みたいに感じられてならないのだ。
世界に捨てられて、そして忘れられている。
私はそんな廃ビルに親近感を感じているから、ここに足を運んでしまわずにはいられない。
不遇な者同士で一緒にいる事で、少しは安心できるから私は廃ビルに来てしまうのだろう。
都会のビル群が沈みゆく陽の光を浴びて、灰色から真っ赤な血を連想させる紅色へと染まってゆく。
そんな紅色の夕陽に染まってゆくビル群を廃ビルの天辺で見下ろしながら、ビールを口に流し込む。
今まで、いや今もこうして散々私を苦しめる繁華街の景色を遠くから見つめる事によって生じる、この瞬間だけは安全地帯にいるのだという情け無い優越感を酒のアテの代わりにして飲みまくる。
気が付けば軽く三、四本は飲み干してしまっている。
ふと私は廃ビルの天辺から見える、この紅色に染まったビル群が立ち並ぶ下の世界は今どうなっているのだろうかと興味が沸いてきたので、適当にスマホの画面をスクロールしながらネットニュースを眺めてみる。
「女優A第一子妊娠の報告」「性風俗産業用アンドロイドによる殺人事件から二年 アンドロイドとの関わり方について専門家が解説」「次世代型バッテリーによるアンドロイドの故障、都市部で多発」といった私には全く関わりの無い情報だけが、画面の中を流れては消えてゆく。
この廃ビルの下に広がっている世界では、私が知らない内に自身に無関係の色々な出来事が起きていた事を私は知る。
そういった下にいる人間達の苦しんでいる姿を想像しても私の心は特に痛む事はなかった。
きっと、これは私以外の人間も同じに違いないだろう。
眼下に見える街を闊歩する人々も、私の苦しんでいる姿を見つけたとしても、特に心を痛めてはくれないのだろう。
つくづく人間という生き物は冷酷な生き物だと私は思わずにはいられない。
そういえば最近、下の世界には模倣かもしれないけれど人間同等の知性を持つ存在としてアンドロイドも存在していた事を唐突に思い出す。
別に機械に感情が有るかどうかなんて私には分からないけれど、もし機械に感情があるのならば、機械は苦しんでいる人々や機械達を見て何を思うのだろうか?
私みたいに汚れてしまった人間にも手を差し伸べてくれるのだろうか?
そんな事を考えている内に沈みゆく夕陽がビル群の中に隠れてゆき、少し離れたところにある廃棄物処理場が輝く繁華街に空いた真っ暗な穴となって強い主張を始める。
それと同時に下の方から軽くも重くもない誰かの足音が聞こえてくる。
次第にその足音は私の居るこの屋上に近付いて来る。
徐々に足音が繊細に聞こえるようになってゆく。
足音が繊細に聞こえるようになった事から、足音の持ち主が直ぐそこまで近付いている事が分かった。
カツーンと最後に響き渡った音を境に突然、足音が聞こえなくなり途絶える。
何故か私は足音が途絶えた事に妙な恐怖を覚えた。
今こうして眼下にある筈の残酷な世界が、私の首を絞める為に追いかけて来たみたいで恐ろしくて堪らなくなる。
私はそんなどうしようもない恐怖を取り払う為に酒を飲んで酔って、意識を朦朧とさせる事によって逃げようとする。
只でさえ、こんな廃ビルに逃げ込んでいるというのに、私は更に酒に逃げ込まずにはいられない。
廃ビルに吹き込む真冬の冷たい風の音が、私を嘲笑う声に聞こえて仕方が無い。
「私、どうしたら良いんだろう?」
私は返事なんて返ってくる訳がないと分かっている筈なのに、残酷な迄に紅い夕陽に、これからどうすれば良いのかと尋ねる。
こんな残酷な世界に身を委ねる事しかできない自分が酷く哀れに思われる。
「どうしたら良いのかなんて僕にも分かりませんよ。けれど相談相手くらいには、なれますよ」
先程の足音と共に、返ってくる筈の無い返事が返ってくる。
その声は不思議と心地が良くて温かった。
数年単位で引き締まっていた心が一瞬だけ緩んだような気がした。
驚きの余り慌てている筈なのに、私は何故か―何処か、落ち着きながら振り向く。
その温かな声の持ち主は何処の誰かでも、赤く染まる残酷な夕陽でもなく、ましてや眼下にある腐敗した世界が遣わした死神でもなく、この廃ビルや私と同じようにこの世界に捨てられて、忘れ去られた一人の例の少年だった。
何故か、この少年からは、この廃ビルよりも私と似通った匂いを感じずにはいられない。
彼からは、今までに感じた事のない程の親近感を感じずにはいられない。
まるで、この少年は鏡の向こう側の自分自身みたいだ。
何もかもが私とそっくりなのだけれど、何処か私とは対照的だとも感じてしまう。
もし私に歳の離れた弟がいたら、こんな感じなのだろうと私は思う。
「そうか…。じゃあ少しだけ相談相手になって貰うとするか」
少年の言葉なんて所詮、一時的な気分の高揚であり、ほんの思い付きでしかないだろう。
だけど今の私は、そんな少年の気の迷いみたいな言葉に縋り付かずにはいられない。
それ程に私は弱ってしまっているのだ。
こうして誰かが、こんなどうしようもない大人の泣き言を聴いてくれる事が嬉しかった。
思わず涙が溢れそうになるくらい嬉しかった。
私は嬉しくて、ついつい只でさえ大量に酒を飲んでいるというのに、更に追い酒をやってしまう。
久しぶりに酒が美味いと思えた。
「アンタも飲むかい?」
私は揶揄いの笑みを浮かべながら、少年に酒を見せ付けて飲酒を薦めてみる。
「前にも言いましたけど僕は未だ未成年ですってば! 遠慮しときます」
と彼は飲酒を断って、そっと私の隣に座り込む。
本当に不思議な時間だった。
身も心も廃れた私がボロボロの廃ビルで、私と同じように廃れた少年と、それとなく互いに相手の身の内―心の内を探るのだけれど、それに反して互いに自身の身の内―心の内を明かそうとはしないまま只々、二人で廃れゆく夕暮れの繁華街を見下ろして、久しぶりに会った友達とする会話のようなやり取りをしながら時間を潰す。
互いに傷付きたくないので、心の攻防戦を繰り広げてしまう。
だけど、そんな他愛も無いやり取りの筈なのに―こんな廃れたものばかりに触れている筈なのに、何故か分からないけれど、心が洗われてゆくような心地良さがある。
少年は特別な存在ではない。
だけど彼は温かくて切ない何かを持っている。
私もかつては持っていた幸せな温もりを産む何かを彼は持っている。
思い出すと胸が燃えるほど熱くなり、思わず涙が溢れてしまいそうになる何かを持っている。
決して独りでは育む事のできない美しくて温かい何かを持っている。
きっと、この少年は私を変えてくれるような気がする。
真っ赤な夕陽に独りだけ染まらない―染まれない少年を見て私はそう直感した。
いや、もっと厳密に言えば、私は心の何処かで確信していたのかもしれない。




