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第8話 この一瞬よ、永遠であれ

 置いてきた荷物を取りに帰った時、今更ながらだが、つなぎの家には何処か妙な違和感がある事に気付いた。


 いや、ここで「ある」という言葉を使うよりも「無い」という言葉を使って説明した方が相応しいのかもしれない。

 彼女が確かにこの場所で暮らしているという事を感じ取れる生活感はあるが、それに対して彼女の生きてきた証―記録―というものが一つたりとも見当たらないのだ。


 アルバムや記念品とか写真等といったものは何処の家にも必ず一つはある筈なのに、何故か彼女の部屋には何一つとて無かった。

 仮につなぎが今まで生きてきた事を証明できるかもしれない物があるとすれば先程、僕が彼女に渡したバッテリーか彼女の愛読書であるシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の文庫本くらいだろう。


 これは憶測だが、恐らくつなぎが生きてきた事を証明できる物なんて(そういった記録媒体なんて)何一つとて無いのだろう。


 何故、つなぎの存在を証明するような記録は無いのだろうか?


「ねぇ、そういえばつなぎの写真とか無いの?」


 と僕は興味本位でつなぎに聞いてみた。

 すると彼女は読んでいた小説を閉じて、機械でできた自分の身体を見ながら話し始めた。


「今まで生きてきた中で記録に残したいと思う程、嬉しかった事とか幸せだと思った事が、これといって特に無かったの」


 とつなぎは自身の人工の余りにも滑らかな皮膚を、そっと撫でながら、哀しげな口調で話してくれた。

 僕の持つ「つなぎの事をもっと知りたい」という欲求が0.1秒程、つなぎに対する優しさよりも勝ってしまい


「アルバムとか、そういう物も無いの?」


 と僕は更に追い討ちをかけて聞いてしまった。

 アルバムくらいは流石にあるだろうといった、そんな軽い気持ちで、余り深く考えずに聞いてみたのだけれど、どうやらこの話題に対する二人の熱量が異なっていたらしく、その二人の真剣さの度合の違いを水面に一滴の雫が落ちたように、つなぎの青い瞳が微かに揺れた瞬間に漸く気付いた。


「私達、アンドロイドは人間みたいに成長する事は無いの。だから私がどれだけ人間を愛しても、一緒に成長する事も―一緒に歳を重ねる事も―できないの…」


 哀しさを室内に停滞させるようなつなぎの声を聞いて、更に僕は軽い気持ちで尋ねたこの質問が、彼女を苦しめていた事を思い知って強く後悔した。


「これからもずっと私は機械の身体という永遠に変える事のできない『形』に囚われながら、生きていくんだと思う。そういった変える事のできない現実を(変わる事のできない身体を)そのまま映し出すから、写真は怖くてさ…。私の映っている写真があったとしても、そこには虚しさとか苦痛とかしか浮かばれて来ないと思うの」


 どうしてなのだろうか? 僕とつなぎは互いの傍にいる筈なのに―僕とつなぎの距離は数十センチしかない筈なのに―どうして人間と機械との間にある距離は地球と夜空の向こうに見える月との距離くらい大きく離れているのだろうか?


 間違いなく僕とつなぎの間にあるこの微かな隙間には、人間(生物)と機械(無生物)の差という根源的で残酷なまでに巨大な壁が立ち塞がっていた。


 心の中で現在まで培ってきた淡い希望の日々と思い知らされてゆく事によって生じた濃い絶望が交差する。

 その二つの相反する存在が、心の中を過ぎ去った跡には良い感情は何一つ残らなく結局、今回もぐちゃぐちゃになった哀しみとその他諸々の感情の欠片だけが心の中に残った。


 僕にも、つなぎにも今まで生きてきた過去はあるけれど悲しみや苦痛ばかりで、幸福と呼べる幸福な思い出が僅かにしか無くて虚しい。

 そんな中で、僕とつなぎと二人で過ごした今までの日々だけが、今まで生きてきた記憶の中で唯一、温かく優しく輝いている(つなぎにとってこの日々の記憶が輝いているのか、どうなのかは分からないけれど、少なくとも僕だけは二人で過ごした日々が、彼女の記憶の中でだけでも、輝いていれば良いと切に祈っている)。


 そんな僕とつなぎが二人で過ごしてきた日々は幸いな事に未だ過去の遺物にはなっていない。

 僕はつなぎがいる綺麗な世界を―二人で過ごしている幸せな時間を―記録に残したい。


 この温かくて優しさに満ち溢れたつなぎと一緒にいられる一瞬一瞬をいつか思い出せるようにする為に…。

 つなぎに思い出して貰えるようにする為に…。


「確かに君は機械だ。…アンドロイドだ。だけど僕にとって君が機械だって事は別に大した事じゃないよ」


 熱された感情が高まり、それが熱波となって心の中で吹き荒れて、常識とか羞恥心とか諸々の心に引っ掛かっていた物が一瞬で吹き飛んだ。


 勢い余って僕は小説の上に置かれていた彼女の白く艶やかな手をギュッと握る。


「つなぎが機械だって事なんか本当にどうでも良いんだ! だから、そんな事を気にしないで、つなぎにはもっと自分に自信を持って欲しい。それに君はこの世界のどんな物よりも綺麗なんだから!」


 その言葉の通り彼女にもっと自分自身に誇りを持って欲しくて、青い瞳を見つめながら僕は彼女の心に語り続ける。


「『虚しさや苦痛とかしか浮かばれて来ない』なんて言わないでよ。そんな事無いよ。寧ろ僕は、君といると何よりも誰よりも優しい温もりを感じるんだよ」


 僕は真っ直ぐに、つなぎの青い瞳を見つめながら


「兎に角、忘れないで、僕はつなぎの傍にいられる事が幸せで堪らないんだって事を!」


 とありのままの気持ちを僕は言い放った。


 その瞬間、雲の隙間からほんのりと温かい光が差し込んで、僕とつなぎを柔らかな光で照らす。

 つなぎの靡く白銀の髪と虹色の太陽光が滑らかに混ざり合い言葉にできない程、美しく輝く。

 そんな輝きの隣に座っていた僕の心は、いつの間にか不思議と溢れてくる優しさに満ち満ちていた。


 つなぎは真冬の青空よりも青い青い瞳で、僕の高揚して火照ってしまった顔を驚きの眼差しで見つめている。

 そのつなぎの瞳は、今にも感情が溢れそうな涙で潤んでいて、それを見るだけで僕の心に新しい甘酸っぱい感覚が芽生える。


「…ありがとう」


 嬉しさと安心感によって、まるで滴が落ちて揺れる水面のように少し震えた声で彼女は言う。


「ってゆうか、君って思った事は何でも直ぐに口に出しちゃうタイプなんだね」


 つなぎは、自身の手の上に置かれている僕の手を優しく揶揄うような眼で見ながら、そう僕に言葉を掛ける。


「あっ!」


 僕は彼女の手をギュッと握りしめていた事に今更、気付いて急いで手を離す。


「わっ! ゴメン! つい勢いで!」


 僕は勢い余った愛情表現をしてしまった事を只ひたすら謝る。


「ふふっ、君って本当にウブなんだね。でも君のそういうところ私は結構好きだよ」


「…ありがとう」


 つなぎは楽しそうに僕を揶揄う。

 楽しそうに笑う。

 その彼女の笑顔は夜空の月よりも―昼間の太陽よりも―僕には輝いて見える。


「機械の私を温かく受け入れてくれた人は、むすびが初めてだよ」


 少し高揚していた心を落ち着かせて、つなぎは突然、僕にそう言った。


 差し込んでくる光の中で、彼女の白銀の長い髪がゆらりと揺れて、室内に太陽光のオーロラができる。

 それがより良く、つなぎの笑顔を一層に美しく引き立たせる。


「だから伝え足りない気もするから、もう一度だけ言っておくね。ありがとう、むすび」


 僕の感情が、僕の身体を追い越して嬉しい筈なのに泣いてしまう。

 温もりに溢れた陽だまりの中にいる筈なのに、何故か二人とも目元にギリギリ気付かれてしまう程の涙を溜めている。


「そう言って貰えると嬉しいよ」


 まだ雲の隙間から午後の慎ましい光が差し込んでいる。

 その光を偶然、机の上に置いていたスマホのカメラレンズが跳ね返す

 それを見た時、僕は急にある事を思い立った。


「ねぇ、つなぎ。写真、撮ろうよ!」


 僕はスマホを手に持ち、カメラアプリを起動する。


「苦しい事があったら今日みたいな日を思い出せるようにさ…」


 と僕は彼女に提案する。

 僕はつなぎの過去に触れる事は不可能だが、その代わりにつなぎとの「今」に僕は触れている。

 現実に対して抱いている幸福感と未来に対して微かに抱いている不安が僕達の世界を包んでいる。


「うん! そうしよっか!」


 つなぎは楽しそうな微笑みを浮かべながら、僕の提案に乗る。

 僕と同様につなぎの感情も彼女の身体を追い越して、何故か嬉しい筈なのに涙を目元に溜めている。

 それは、しっかりと見てみないと気付かない程度の涙だけど、僕は直ぐに気付いた。


 誰よりも幸せそうに笑っている彼女の姿は、ダ・ヴィンチやモネ、フェルメールといった西洋の画家達の名画を彷彿とさせる程だった。

 この瞬間やはり、つなぎの笑顔は何としてでも記録として残さなければならないと強く思った。






「カメラの位置はここで大丈夫かな?」


 僕は余り使った事の無いスマホのカメラアプリを起動して慣れないなりに、それなりに奮闘していた。


「ん〜? 問題無いと思うよ」


「…じゃあ撮ろっか!」


「ちゃんと自動撮影機能ONになってる?」


「うん。ちゃんとONになってると思うんだけど…」


「じゃあ撮るよ! 撮るよ〜!」


 青空から溢れた光の中で僕とつなぎは少し慌てて横に並ぶ。

「カシャッ」とシャッター音が気持ち良く鳴り響く。


 これは後で写真を確認して分かった事なのだけれど、僕もつなぎもカメラの方を見ていなかった。


 カメラが捉えた瞬間の僕はつなぎを―つなぎは僕を―見つめていた。


 そして僕もつなぎも温かな虹色の陽の光を浴びて、どんな時よりも幸せそうに―楽しそうに、笑っていた。

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