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第8話 千思万考③

 橙と紫が7:3の比率で混在していた世界の上半分が、紺色や黒に侵攻されてゆき、夕暮れは夜に追いやられる。


 そして暫くすると、紺色や黒に占領された世界の上半分を慰めるように白銀の月が夜空に現れ、優しく輝いている。


 また僕は夜空に輝く月に手を伸ばす。


 何故か月と僕との距離は、夜空と僕との距離よりも近いように感じられた。


 世間はアンドロイドは只の物体及び機械機器に過ぎず、決して感化されてはならないと唱え、実際に法律等にそのように定められているが、それに反して僕はアンドロイドを只の物体や機械機器だとは思えなかった。


 どうしても彼女が―つなぎが高度なコンピュータプログラムが組み込まれたアンドロイドという只の物体だとは割り切れなかった。


 つなぎと邂逅したあの日から、僕の世界は色を取り戻した。


 そして彼女が、僕に与えてくれた新たな世界の色彩が万物に温度を与えた。

 時に残酷な程、冷たく哀しい時もあれば、何よりも温かく幸せな時もある…。

 機械仕掛けの少女―つなぎ―が与えてくれた色彩が万物に温度を付与してくれたおかげで、あらゆる物事に価値や意味がある事を知った。


 これが感受性というものなのだろうか?

 機械仕掛けの少女―つなぎが与えてくれた世界の色彩が僕の腐りかけていた心に希望を齎した。

 誰にも不可能だと僕自身も思っていた腐りかけた僕の感性の活性化は機械仕掛けの彼女によって容易く成された。


 その甦り発達した感性が働きを受けて、僕は感性を呼び覚ましてくれた機械仕掛けの少女―つなぎにはこの世界が一体どんな風に見えているのか気になり始めた。


 彼女には一体この世界がどんな風に見えていて、何を感じて、何を思っているのだろうか?


 僕の心は常に彼女の居る方角を向いていた。






 また気味の悪い場所へやって来てしまった。


 この場所は外の冷気とは別種の肌を縛るような寒さで張り詰めており、又それと同時に薬品や工業製品の独特で非自然的な臭いが本能的な嫌悪感を刺激してくる。


 相変わらず壁一面に広がっているコーティング剤の液体で満たされたガラス容器達は、研究室の薄暗い灯りに照らされて、何とも不気味な雰囲気を醸し出していた。


 ほどきの作業机には製作中であろう女性型アンドロイドの上半身が置かれていて、それは本能的にも精神的にも、気味の悪い光景だった。

 きっと、ほどきのように四六時中、ずっと研究室に籠っていると、この研究室の気味の悪さを感じる事が無くなってくるのだろう。


 僕は彼女との約束を果たす為に―ほどきからバッテリーを盗む為に、この場所へ来ていた。


 そんな僕の思惑に気付く筈も無く、この研究室の主人であるほどきは僕が遊びに来ると同時に


「晩飯を買いに行ってくる」


 と僕に告げて、近くのコンビニまで出掛けて行ってしまった。

 研究室で独りとなった僕は、この絶好の機会を逃さないように慌ててバッテリーを探し始めた。

 探し始めてから間も無い内に、バッテリーが入った地味な色をした鞄を見つけた。

 一分程バッテリーの入った鞄の前で立ち止まり、常識を持つ良心の呵責に苛まれて迷ったが、これも彼女の為だと無理矢理に覚悟を決めて僕は彼が来ていないかと耳を澄ませ、辺りを見回した後、鞄からバッテリーを取り出そうとした。


 その瞬間、背後から視線を感じた。


 慌てて視線の元を辿ると、そこには衝撃的な光景が待ち構えていた。


 ほどきの作業机の上にある製作中の筈であろう上半身だけのアンドロイドが僕を凝視していたのだ。

 生物的及び人間的であると同時に無機質的要素を併せ持ったその眼差しは爬虫類の瞳に酷似していた。


 口元の方を見るとアンドロイドの口が何か言いたげに動いていたが、僕にはこのアンドロイドが何を言いたいのかを読み解く事はできなかったので、このアンドロイドの音無き言葉は誰にも理解される事なく空に消えてしまった。


 廊下から恐らくほどきであろう足音が聞こえてきたので、僕は慌ててバッテリーが入っていた鞄ごと自分の学生鞄に押し込んだ。


「どうしたんだ?」


 と研究室に戻ってきたほどきは青白くなった僕の顔を見て不思議そうに尋ねてきた。


 僕は再び振り向いて作業机の上に置いてあったアンドロイドを見たが、そのアンドロイドの瞳は無機質的かつ爬虫類染みた眼力を失っていた。

 更に言えば口元も動いていなかった。

 ここでようやく自分の顔が血の気が引いている事に気付いて僕は焦りながら


「…いや、何でもない」


 と誤魔化した。


「そうそう、言い忘れてたけど、この部屋の資料は好きに見てくれても構わないぞ」


 然程、僕には興味が無いであろうほどきは直ぐに話題を変えて会話を終わらせようとした。

 恐らく、人との会話を好まない彼は「話しかけてくるくらいなら、静かに資料でも読んでいろ。それが嫌なら帰れ」という本音を、聞き心地の良い言葉に換えた結果、こう言っているのだろう。


 僕は彼の話をしっかり聞いてはいたものの、三割程度しか僕の頭には入ってこなかった。


 あのアンドロイドの眼を忘れられないまま過ごす事になり、苛まれ続ける予感がした。






 僕は機械仕掛けの少女―つなぎの事をより深く知る為に、ほどきに勧められた通り研究室にある資料を見ていた。


 性風俗産業用アンドロイドによる性風俗産業の変化と発展という資料が目に入ったので僕は何となく手に取った。

 恐らくだが、この資料には人類とアンドロイドの社会的距離や精神的距離が書かれてあるに違い無い。

 そう思った僕は資料を読んでみる事にした。


 資料を読むに連れて、この資料を読むという事は、この世界の残酷性を知るという事と同意義だと知っていった(学術や論文というものは基本的に人間や倫理、宗教、個人にとって都合の悪い要素を含んでいるものだ)。


 どうやら政府は性風俗産業や援助交際等の売春行為による性感染症蔓延の阻止や女性の望まぬ妊娠を避けるという口実及び倫理観の観点から、四、五年程前から人間(主に女性)がサービスを行う性風俗産業や援助交際等の廃絶を進めると同時に、少しずつ性風俗産業の機械化(性風俗産業用女性型アンドロイドの提供等)を進めているらしい。


 望まぬ妊娠や性病による二次被害等の問題や倫理観の問題などを解決する為に、政府は妊娠する事も無ければ性病を患う事も無く「人型機械行動基準法」により基本的人権も持つ事の無いアンドロイドを性風俗産業へ参入させたそうだ。


 この新しく生まれた機械を中心とした性風俗産業の発展によってアンドロイドを製造する企業やほどきのようなアンドロイドの開発者は報酬の良い多く仕事を貰える事となり、その結果、一部の機械産業の景気が良くなり経済が回って日本のGDPは以前よりも遥かに良くなったらしい。


(アンドロイドに仕事を奪われた女性はどうなったのだろうか? まぁ、仕事を奪われた女性達も世間が好景気になったから風俗業をしなくても良くなったのだろう)


 そして、その機械を中心とした新たな性風俗産業の為だけに造られたアンドロイドが「性風俗産業用アンドロイド」というものだそうだ。


 この資料に付属してあった別の資料によるとアンドロイドは形成に必要なデザインや人間の型が一つか二つあれば、少し生産コストは高いものの大量生産が可能らしい。

 見るからに、この研究室も性風俗産業用アンドロイドの開発と小規模的な製造を同時に行っている機関の一つに違い無い。


 他の資料の記述を読んでいると「アンドロイドの人工知能は精巧に作られているので感情があるように錯覚してしまうが実際は人間の思考回路や知的能力を模倣しているだけの人形に過ぎない。なのでアンドロイドは必然的に人間が持ち得る感情を得る事ができない」という文を見つけた。

 その文を見つけた瞬間、僕は「そんなのはアンドロイドを永遠に産業機械という底辺以下の身分に縛り続ける為の嘘だ! もしくは学者の勘違いか何かだ! アンドロイドに感情が無いという見解は明らかに間違っている!」と心の中で直ぐさま猛反論した。


 アンドロイドに感情が無いと言うのなら何故、機械仕掛けの彼女は僕に助けを求めたのだろうか?


 じゃあ機械仕掛けの少女の誰にも頼れずに逞しく成らざるを得なかった切ない覚悟に満ちたあの表情、あの日の夜に僕に見せてくれた哀しみで心が溢れて今にも壊れてしまいそうなあの表情、数十分前に僕に見せてくれた温かく優しいあの笑顔が感情によって生み出されたものでは無いというのならば、一体それらは何というのだろう?


 僕は僕という人間の身体で―心で、機械仕掛けの少女と心を繋ぎ合ったのだ。


 どうやら人類は―この腐った世界は、機械仕掛けの少女から眼を背けているらしい。


 この世界がつなぎを拒んだとしても、僕はつなぎの心という存在を肯定し続けるつもりでいる。


 どうやら、つなぎは精巧な外見から察するに、汚れ役や面倒事を押し付ける為にだけに造られた「性風俗産業用アンドロイド」らしい。

 だからといって僕の中での彼女の価値に変わりは無い。

 だから彼女との可能性を諦める必要は無い。


 そう思っている筈なのに、それとは裏腹に彼女の青い瞳を真っ直ぐに見る事ができない僕がいた。


 彼女は僕にとって、やっと暗闇続きの世界の中で出逢えた唯一の温かい光である筈なのに、彼女から逃げ出したくなっている自分がいた。


 彼女が近くにいる事によって―暗くて見えなかった世界が彼女が放つ光で照らされる事によって、見たくもない世界の醜さが見えてしまう。

 その彼女が放つ光によって暗闇に隠れる事ができなくなり、醜悪な姿が露わになった世界を見たくないが為に、目を塞ぐ僕がいた。


 彼女と向き合う事、それは即ちこの世界の残酷性と向き合うという事でもあった。


 だから一方で、この世界がどれほど残酷なものだったとしても目を背けずに、この世界の残酷な光景を眼に映しながらも、彼女の青い瞳を見つめている僕がいた。


 暗闇の中で何もしようともせずに、嘆いているだけの情け無い自分は、もう嫌だった。

 僕も君の光となって冷えた君の心身を温めたい。


 君への想いが僕の身体を追い越して、君の元へ歩いて行ってしまいそうだ。


 どうか僕を機械仕掛けの少女の傍に―つなぎの傍に、居させて下さい。


 そう僕は何処にいるかも分からない誰かも分からない何かに祈りを込めた。

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