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第6話 胸躍る遭遇

 そういえば彼女の名前を知らない事に、僕は今更ながら気付いた。


 只でさえ友達のいない僕と彼女には接点が無く、もちろん互いに連絡先も知らない。


 確かに学校も教室も一緒なのだが、彼女は僕達とは掛け離れた遠い存在だと思っていたので、あの日まで話した事もなかった。


 彼女は身近にいるのに遠い存在という矛盾した性質同士を持ち合わせていた。

 まるで彼女は、遠くの宇宙空間にある筈なのに僕の街の夜空で輝く月のようであった。


 教室の中に於いても―電車の中に於いても―この街の中に於いても、そしてこの世界の中でも彼女は無機質的な身体という根源的に、何処にも相容る事のできない素質を持つ異質な存在だった。


 あの夜、彼女から受け取った温もりが、未だに残酷な世界の冷気から僕を守るように僕を世界から隔離してくれている為なのか、いつもより僕は寒さを感じなかった。


  彼女が今日、学校に来なかった事を僕は唐突に思い出した。


 何故、彼女は今日、学校に来なかったのだろうか?

 僕と会う事が嫌なのだろうか?

 それとも何か病気でも患ったのだろうか?

 いやアンドロイドである彼女が病気で欠席などあり得ない筈だ。


 とにかく彼女の欠席の理由が気になって仕方がなかったが、僕は連絡先も知らなければ、何処に行けば会えるのかも知らないので次に会った時に直接、彼女に尋ねる事しかなかった。


 また今日も彼女の事を際限無く考えながら帰り道を歩く。

 只、考えながら歩いてるだけでも身体は様々な事象を勝手に観測する事を止めてくれないみたいだ。

 制服の隙間から北風が入り込む感触。

 ビルを照らす太陽光が弱くなってゆき、次第にビルの内側から放たれる蛍光灯の光の方が徐々に強くなってゆく都会独特の光景。

 人々が闊歩する大通りは日本人の黒い髪(その内の三割程は金髪だったり白髪だったり変な髪色だったりする)でごった返しており、その日本人の黒い髪が夕陽から放たれる温もりを吸い込むので、都会の街の下の方は色彩的に暗い。


 都会の景色は毎日、全体的に鬱屈としているので、その光景を毎日観測せざるを得ない僕は自ずと慢性的に憂鬱になる。


 ここ最近、憂鬱に囚われている事を自覚すると機械仕掛けの彼女を探してしまう癖が僕にはできてしまっていた。

 そんな僕は今日もまた、いつもの癖で道中に彼女の面影を探していた。

 取り敢えず辺りを見渡してみたが、やはり現実は厳しく彼女は見つからないと諦め掛けたその時、見落としていたのか、流れる人混みの中で夕陽を強く反射する白銀の髪をした女性を見つけた。


 恐らく彼女に間違い無いだろう。


 この残酷な世界の憂鬱を弾き飛ばすような優しくも鋭い光を放つ事ができる存在を彼女以外に僕は知らない。


 気が付けば、僕は機械仕掛けの少女のいる方へと走り出していた。




 彼女を追い掛けている内に駅に着いてしまった。


 取り敢えず辺りを見渡してみたが、そこで漸く僕は駅の様子が異様な事に気付いた。

 帰宅ラッシュの時間帯の、しかもターミナル駅にも関わらず、僕が電車を待っている駅のホームは静寂に包まれていた。

 まるで、この駅のホームは騒然とした都市の中にぽっかりと空いた穴みたいだった。


 そんな静かな駅のホームの片隅に、僕と彼女は各々に立って電車を待っていた。

 芸術品に見惚れてしまった時のように周囲の世界の輪郭がぼやけてゆき、彼女だけが僕の視覚に超然と残った。


 僕は人間で君は機械。


 何故か僕は唐突に単純な事実を思い出した。

 只の事実を思い出しただけなのに、僕の胸が痛むのは何故だろう?

 何かが、常に僕の弱みを握ろうとしてくる気がして堪らなく恐ろしくなってしまう。


「間も無く2番線に〇〇行きの電車が到着します。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください…」


 電車の到着アナウンスが彼女に見惚れていた僕を我に返した。

 電車が線路の向こう側から見えた数秒後には、駅のホームに到着していて、いつの間にか電車は僕の前にいた。

 電車が微かに起こした風が彼女の銀色の髪を滑らかに揺らした事で、彼女の髪が夕陽をしなやかに反射して、橙色を基調とした虹色のスペクトルを描いた。

 電車の扉が機械音を立てて開く。

 彼女が電車に乗り込んだ事を確認して、僕も彼女を追いかけるようにして同じ電車に乗り込んだ。

 僕が乗り込んだ数秒後に電車の扉が閉まり、僕と彼女を乗せた電車は静寂に包まれた駅を出発して走り始めた。






 車内の気温は外気温と大して変わりなく、車内の暖房は実に無意味だと断言しても問題ないくらい効果が無かった。


 先程の駅のホームと同様に僕達が居る車両は静かで僕以外に人間は誰一人としていなかった。

 僕の他には只、機械仕掛けの彼女が一人、座席に座りながら、後ろを向いて車窓から見える街の景色を眺めているだけだった。


 窓から赤色と橙色を混ぜたような色をした夕陽が差し込んで、車内中が夕焼け色に染まる。

 時折、流れてゆくビルの影が、差し込んでくる夕陽の行く手を阻んでは消えてゆき、また現れて直ぐに消えてゆく。


 僕は暫くの間、立ち止まって彼女にとって不快になるのではないか―僕が近付くと彼女は逃げてしまうのではないのだろうか―と思考を張り巡らせた結果、僕は少し覚悟を決めて彼女から割と近い場所に座る事にした。

 実際に彼女は、僕が彼女から近い場所に座っても警戒するどころか、何も気にしていない様子だった。


 こうして改めて彼女を至近距離で見てしまうと、半ば無理矢理に彼女の美しさを再認識せざるを得なくなってしまう。

 特に今日の白銀の長い髪が夕陽を反射する光景は、まるでモネの絵画のように情緒に満ちていて、ひたすらに美しかった。


 彼女の魅力に取り憑かれてしまった僕は暫くの間、彼女を見つめ続けていた。

 白銀の髪を静かに靡かせる彼女に心を奪われた僕は殆ど周りが見えなくなっていた。

 それ程までに僕は彼女に夢中になっていた。


 そんな僕の熱烈な視線に気付いたのか、彼女は車窓から見える景色から目を離して、僕が座っている方を見た。

 今まで僕の方を見ていなかったあの青い瞳が突然、僕にピントを合わせてくれた。


 青い瞳と眼が合った。


 数秒の間、僕と彼女は互いに見つめ合っているだけだったが、このまま見つめ合っているだけでは何の進展も無いまま終わってしまうと思った僕は


「ねぇ、どうして今日、学校に来なかったの?」


 と思い切って尋ねてみた。


「ちょっと事情があってね」


 彼女は会話の糸口が見つかって安心したのだろうか?

 彼女の表情が今までより、少しだけ和らいでいるように見えた。

 元よりあの夜以来、彼女は僕を警戒しないようになった気がするが、それは僕の勘違いなのかもしれないので未だ結論は付けられない。


「その事情って何?」


 単純に気になった僕は一歩踏み込んで彼女に尋ねてみた。

 僕の疑問を聞いた彼女は話しても良いのか、それとも話さない方が良いのかを暫く考え込んだ後、隠す必要性も無いので話しても良いと判断して


「実は今月、お金が足りなくて…。だから今日は学校、休んでバイトしてたんだ」


 と素直に打ち明けてくれた。


「何のバイトしてたの?」


 僕は彼女があの夜にやっていた仕事を未だしているのかどうかが、どうしても気掛かりで仕方がなかった。

 実はこうして彼女に仕事の内容を尋ねる事も怖いくらいである。

 僕は尋ねながらも、彼女の仕事が健全な仕事に変わっている事を強く祈った。


「イベント設営の単発バイト! 身分証不要だったの! それに仕事は確かに相応にキツかったけど、御給料は高かったんだよね〜」


 そう彼女は気さくに答えてくれた。


「あぁ、そうだったんだ…」


 少なくとも今日は彼女が夜の違法的な仕事をしていないと知った僕は安心して、肩の力が抜けた。少し塞ぎ込み気味だった気持ちが楽になった。


「そうだったのよ…」


 僕の真似をしながら彼女はニコリと微笑む。

 少しずつ電車の走る音が大きくなっていくような気がする。


「ねぇ、そういえばその紙袋は何なの? 中に何が入ってるの?」


 萎みかけた二人の会話を膨らますように、僕は話題を変えて話を続けようと試みた。


「あぁ〜、これね」


 そう言いながら、彼女は思い出したかのよう膝の上に乗せてある紙袋の方を見た。


「私の心臓が入ってるの!」


 と彼女は茶目っ気たっぷりな表情をしながら快活に答える。


「どうゆう事?」


 思わず僕は何の考えも無しに尋ねてしまった。


「バッテリーの事! 私の内蔵バッテリーは長い間ずっと使い続けてたから遂に寿命が来ちゃってさ。だから交換しなきゃいけないんだよね」


「へぇ〜、そういう感じ(のシステム)だったんだ」


 健気に彼女は話を僕に聞かせてくれる。

 僕は感心しながら相槌を打つ。


「それに私はアンドロイドだから君達、人間みたいに食糧を摂取しなくても良いんだけど、その代わりに生きていく為には結構な額の電気代が必要でさ。だからどんな嫌な仕事でも、やらなきゃ生きていけないんだ…」


 話している彼女の表情からは快活さが失われており、いつの間にか切実な哀しみが彼女の表情を覆っていた。


「そうなんだ。大変だね…」


 言いながら僕は、彼女から顔を逸らして暗い顔をしながら俯いた。

 そんな慰めにもならない言葉を掛ける事しかできない自分自身の不甲斐無さが何となく僕の身体を重くさせた。


 それから一、二分程の間、僕と彼女を乗せた車内は沈黙に包まれた。

 その間中にも僕は彼女の美しい身体や顔立ち、表情、青い瞳、白銀の長い髪、それらを超えた場所にある彼女の温もりをひたすら見つめ続けていた。

 僕が彼女を見つめ続けている事に気付いた彼女は


「何? どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」


 と少し焦りながら僕に尋ねた。


「いや、何も付いてないよ」


 と彼女の問いに対して僕は冷静に返してみせた。

 余りにも僕が冷静だったので彼女は、何も付いていないのに顔をじっと見つめ続けてくる僕のおかしさに気付く前に、さっきまで僕がまじまじと見つめていた事を忘れてしまっていたみたいだった。


 暫く彼女を見つめる事を自制しようと僕は試みるものの、一分後にはもう彼女を見つめてしまっていた。

 まるで僕の眼は金属に反応した磁石のように僕の視線は彼女に引きつけられてしまうのだった。

 当然だが、彼女は徐々に僕の恍惚とした視線に気付いてゆく。

 そして、やがて彼女の潜在的な茶目っ気が彼女を促して彼女は


「もしかして私に見惚れてる?」


 と彼女を見つめ続けている僕を揶揄ってきた。

 この唐突な彼女の茶目っ気に満ちた質問を想定していなかった僕は


「別に見惚れてないよ…」


 とドギマギしながら反抗してみせた。

 本当は図星であったが、彼女に気味悪がられたくないので僕は隠す事にした。

 何やら彼女は僕の反応にご満悦らしく


 「ふ〜ん、そうなんだ」


 と僕を揶揄いながらニヤニヤとした揶揄いの笑みを浮かべている。


「そういえばさ、あの時もさ、さっき迄の君みたいにジーッと私の裸を眺めてたよね?」


 彼女は楽しそうに僕を追撃する。恐らく彼女は、教室で僕が彼女の裸を見た時の事を言っているのだろう。


「あれは…」


「あれってさ、今思えば偶然を装った計画的な行動って可能性も充分にある訳だよね? もしかして本当に計画的な犯行だったりする? だとしたら君、凄い変態だねぇ。実際のところ、どうだったの? 偶然だったの? それとも計画的な犯行だったの? 教えてよ、変態君!」


 と彼女はニヤニヤしながら楽しそうに僕を問い詰める。


「僕は変態じゃないよ! あれは只、教室に忘れ物を取りに来たら、何故か着替えている最中の君が居たから、驚いて暫くの間、突っ立っている事しかできなかっただけだよ」


 揶揄う事が楽しくて堪らないといったような顔をしている彼女に対して、僕は声を上擦らせながらも―顔を赤くしながらも精一杯の反論をしてみせた。


「ふ〜ん、果たして本当なのかな〜?」


 と彼女が相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべながら楽しそうに尋ねる。


「本当だよ!」


 と僕は潔白を証明する為に思わず必死になる。


「まぁ、今回は信じてあげようかな! 安心したでしょ? 変態君!」


 彼女は青い瞳で僕を見ながら楽しそうに僕を揶揄う。


「だから僕は変態じゃないってば!」


 そんな下らないやり取りをしている間にも車窓の景色は移り変わってゆき、都会を橙色に照らす夕陽も沈んでゆく。


 確かに僕と彼女の先程迄の会話は「下らないやり取り」なのかもしれないが、今の僕達にはそんな「下らないやり取り」が必要だった。

 僕達に必要な心の栄養だった。

 だから僕と彼女の下らないやり取りは時間にも―空間にも―誰にも邪魔をされたくはなかった。


 僕達の後ろで夕陽が業務通りに―御座なりに―多種多様なビルで埋もれた平野を照らしていた。

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