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第2話 廃ビルの女②

 やはり扉の向こう側は屋上となっていて、燃えるような夕焼けが少し遠くに聳える高層ビルや眼下に聳える雑居ビルを照らしていた。


 ビルの隙間を掻い潜って来た夕焼けは僕の身体に微かな温もりを与えてくれたが、それでも僕の身体は一向に温まる気配はなかった。


 夕焼けと夕闇が入り混じる屋上の端の方で、太々しく座り込んでいる女の人影があった。


 道中にあったビールの空き缶の謎は彼女の出現によって直ぐに解き明かされた。

 その女性は片手で缶ビールの上の方を持ちながら、缶ビールを揺らして中身がどれくらい残っているのかを確かめていた。

 缶の中にあるビールが、彼女が缶を揺らす力によって揺らめいている音が、遠くからでも聞こえるような気がした。


 肩から下まである長髪で茶髪の髪をした彼女は薄汚れている(敢えて薄汚れているように見せる為の加工なのだろうか? ファッションに疎い僕には良く判らないが)黄土色っぽいジャンパーを背中に掛けていて、その後ろ姿は繁華街の夕焼けに恐ろしいくらい溶け込んでいた。

 都会の汚れを全身で浴びてしまったような彼女の後ろ姿は一見、別物に思える機械仕掛けの彼女の悲哀に満ちた姿を想起させた。


 機械仕掛けの彼女の事をはっきりと思い出してしまった僕は現実逃避の為に、この街の夕焼けに溶け込みたい衝動に駆られた。


 こんなに独りで自分を保つ事が苦しいのならば、汚れた街の一部になって、苦しみ等のあらゆる感覚から解放された方が未だ良い。

 そう思ってしまった僕は夕焼けに染まりつつある眼下の繁華街へ向かって歩みを進める。

 僕は現実逃避にのめり込む。

 夕焼けが一際強く今際の色をして輝いていた。


「大丈夫? 落ちたら死ぬよ?」


 女性の酒で焼けた大人びた声が僕を気持ちの悪い朦朧とした酔いを醒めさせた。

 「大丈夫?」と心配しているような言葉を発してはいるものの、実際のところ彼女は余り僕の事を心配している訳でも無いという事が、抑揚の無い適当な口調と何に対しても興味が無いと言わんばかりの死んだような瞳から安易に察する事ができた。


 僕の足元の少し先には、橙色の夕陽で化粧をした繁華街の雑居ビル達が群がっていた。

 煌びやかな三文芝居を続ける繁華街を闊歩する人々の顔は何処と無く沈んでいて、僕を憂鬱な気分にさせる。

 真下には比較的大きなゴミ捨て場があり、そこから放たれる臭気は宛ら都会の汚れの集大成のように思えた。


 この廃ビルの屋上からは大きな廃棄物処理場の塵山が窺えた。

 そんな都会の夕焼けや澱んだ空気は僕を疲弊させて代謝を悪くさせた。

 そのせいなのか僕の身体はかなりの速度で冷え込んでいった。


 機械仕掛けの少女との出来事で精神的に色々と疲弊していた僕は何故か、この女性に少しだけ心を許してしまい何となく、そのまま彼女の隣に座り込んでしまった。

 恐らく、この女性も僕と同様に何らかの理由で、この世界に疲れ切った同類である事には間違いないだろう。

 それは最早、確信に近いものだった。


 隣に座った僕は単純な好奇心の為に彼女の顔を覗き込んでみる事にした。


 茶色の大きな瞳が特徴的であり、それ以外の部分も世間が善し悪しを判断するならば美人という評価を充分に貰えそうな顔をしていたが、一つだけ妙な違和感があった。

 瞳の奥が何処となく暗く澱んでいるように見えたのだ。

 彼女の周りにビールの空き缶が幾つか転がっている事から酔っているせいで、瞳の奥が澱んでいるのだろうと適当に推察して、違和感を捩じ伏せた。

 そう推察してからは瞳の奥の澱みは特に気にならなくなった。


 それにしても今日だけで、彼女は何缶くらい酒を飲んでいるのか気掛かりで仕方が無かった。

 僕は只、彼女が酔っ払った勢いで廃ビルの屋上から落ちたり、アルコール中毒で倒れたりする瞬間に遭遇したくないだけであって、決して僕は彼女の事を心配している訳ではなかった。

 だが、その心配も杞憂に終わるに違いない。

 彼女は少し酔っているのかも知れないが、まだ顔は赤くなっていないうえに、寧ろ僕が落ちそうになったところを彼女に助けられたくらいなので多分、大丈夫だろう。


「貴女こそ、こんな人気の無い場所で飲んだくれてたりなんかして大丈夫なんですか?」


 僕は半分に心配もどきの感情を、もう半分に皮肉を込めて彼女に尋ね返してみせた。


「さぁ、どうなんだろうね?」


 と僕が質問に対して質問で返した後に、彼女も質問に質問で返した返答に更に質問で返してみせた。


「大丈夫かなんて、そんなの私にも分からないよ」


 彼女は自分自身の質問に自分で答えた。

 それにしても彼女はマイペースな人間である。


「ところでアンタ、どうせ暇してるだろ? こんな場所に来る時点でアンタが暇人だって事は誰にでも分かるさ。どうせ暇ならアンタ、私の愚痴くらい聞いて行きなよ」


「えぇ?」


 何の突拍子も無い彼女の要求に僕は戸惑いはしたものの、彼女の言う通りで特に断る理由も用事も無い事には間違い無かったので、僕は彼女の愚痴を聞かざるを得なくなった。

 やはり彼女はマイペースな人間で間違いなさそうだ。


「アンタだって現実から眼を背けたいから―気を紛らわせたいから―わざわざこんな場所まで来たんだろ?」


 こうもサッパリと彼女に自分が此処に来た理由を言い当てられたものだから僕は内心、彼女は読心術でも使えるのではないだろうかと疑ってしまった。


「まぁ、その通りですけど…」


 特に否定する理由も無かったので、僕は適当に彼女に返事をした。

 この時点で、既に僕は彼女と廃ビルが織りなす絶望的な虚無主義的な雰囲気に取り込まれてしまっていたので、僕は気迫の無い弱い返事を彼女に返す事しかできなくなっていた。


「まぁ最近、色々あってさ…」


 彼女は痰を吐くような少し毒付いた口調で僕に向かって―黒いビル群に向かって―愚痴を吐き始めた。

 機械仕掛けの少女も必死に抑え込んでいるであろう絶望的な本音が、今こうして僕の隣に座っているこの女性を通して、漏れ出ているように思えて仕方が無かった。


「私、仕事やめたんだ…」


 彼女は女性にしては低い声で愚痴を溢し続ける。


「もう今年で29歳になるんだけど、金が無くて困ってるんだよね」


 影に染まりつつある―沈みつつある―都会の景色を見下ろしながら彼女は話し続ける。


 お金が無いと言いながら、何故こんな廃れた場所で大量に酒を飲んでいるんだと僕は叱りたくなってしまったが、それと同時に合理的に生きていく事ができない人類という種族の愚かさを、自分自身の経験で充分に理解していたので結局、僕は呆れる事しかできなかった。


「彼氏さんと結婚して専業主婦になれば今よりかは、お金の心配も無くなると思うんですけど、どうですか?」


 と僕は適当に尋ねてみた。

 彼女のような29歳という婚期を少し過ぎた辺りの中々の美人にパートナーが居ない訳が無いと僕は踏んでいたのだが…


「彼氏? いる訳ないでしょ、そんなもん」


 と僕の提案を聞いた彼女は滑稽だと言わんばかりに笑った。


「ってゆうかアンタも彼女とか居ないでしょ? こんな場所に来る時点で、アンタも私と同類さ。分かるんだよ…。私達は心の何処かで、知らず知らずのうちに共鳴してるんだよ」


 と彼女に決して否定する事ができない痛いところを突かれたが、僕は頑として彼女の推察を肯定する事はしたくなかった。

 だが彼女の推察は正解であり、現に僕は雑踏とは掛け離れた場所に独りで逃げて来ているうえに、どれだけ心を許した事のある人間の記憶を、記憶の底から捻り出そうとしても誰一人として思い浮かばなかった。


 しかし記憶の底から捻り出そうする前の段階―いわゆる表面的な浅い記憶の辺り―で機械仕掛けの少女の姿がちらりと浮かんだ。

 機械仕掛けの少女を初めて見つけた日から彼女の面影がずっと心の何処かにあって中々、忘れさせてくれなかった。


「まぁ、そうですけど…」


 と僕は彼女の質問を適当に受け流した。

 確かに僕にはパートナーと呼べるような大切な存在は未だいなかったのだが、いずれ互いにパートナーと呼び合えるように強く結び付いた関係性を共有したいと思えるような存在ならばいた。なので僕は先程の返答に


「だけど何となく心が繋がったような―繋がりたいと僕が独りで勝手に思ってるだけかも知れませんけど―そういう機械ひとは居ます」


 と付け加えた。

 我ながら幼稚な回答だと少し自省している、そんな僕の言葉を聞いた彼女は少しだけ羨望の眼差しを僕に向けた後、右の頬を引き攣らせるようにして歯を見せながら笑った。

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