第1話 孤独な少年の探し物
紺碧色の空が僕の住む町の上に広がっている。
町と空の境目では、今にも消えそうな橙色が白混じりの青色へと変わり始めている。
閑散とした住宅街の屋根達は温かそうな朝日を跳ね返して、ぴかりと光る。
大気を吸い込むと冷たい空気が鼻の奥を冷やして、ツンと痛む。
外気は人々の肌を切りつける事が趣味なのだろうかと思える程に酷く乾燥しており、白い自動車のボンネットの上で黒猫が、人間の悩みなんて気にも留める事なく丸まりながら眠っている。
人間から勝手に不吉だの魔女の化けた姿だのと言われて気味悪がられてる黒猫を可哀想だと僕は思っているのだが、被害の当事者である黒猫はそういった人間が勝手に決めた物事を気にも留めていないどころか、知ってさえもいない事なのだろう。
僕の通う高校は自宅から遠く、自宅の最寄り駅から学校の最寄り駅まで電車で一時間程かかる。
住宅街の中に佇む小さくも大きくも無い駅の電車に乗り、都心部を通り過ぎて、向かい側の郊外にある駅で降り、そこから更に少し歩くと、ようやく学校に辿り着く。別に苦でもないが楽でもない。
冬の寒さに疲れた街路樹は住宅街に溶け込み、自然物なのに人工的に造られたニュータウンである郊外の町の一部となる。
徐々に木々の緑が車窓から消えてゆき、陽の光を乱反射する窓ガラス達や鉄骨やアスファルトが支配する都会の景色が姿を見せる。
そんな都会のビル群を車窓越しに鬱々と眺めていると突然、都会のビル群が無作法に反射する光とは全く異なる銀色の光が僕の視界の隅で輝いたような気がした。
僕は反射的に極自然に銀色の光を眼で追いかけた。
通勤通学する人々の黒い髪と気怠げな表情が車内の景色を暗くしている中、人々の黒い髪の中に、僕はこの世界の世界観にそぐわない一筋の白銀の輝きを発見した。
陽の光を反射する銀色の髪が暗い車内の中で、ただ独り異彩を放っていた。
僕は、その美しい銀髪に心を奪われた。
その銀色の髪から放たれる光は僕の心を熱くさせ、和らげて、温もり? と世間では言うものを僕に与えてくれた。
突然、移りゆく景色が止まった。どうやら、駅に着いたらしい。
見惚れるが余り、電車が停車しようとしていた事に車内で唯独りだけ気付けていなかったらしい。
人々が電車から降りようと、一斉に同じ方へと向かい始める。殆どの人が足元ばかりを見ている。
ドアが開くと同時に、まるで濁流のように人々が電車から駅のホームへと溢れ出す。
僕も「学校に行かなければ大変な事になる」という個人的な社会的同調圧力に負けて、仕方無く人々の織りなす濁流の中に混ざりに行く。
僕は黒い渦に押し流されてゆくが、そんな中でもあの銀色の髪から放たれる優しい光は変わる事なく異彩を放ち続けていた。
暖房の効いた電車から駅のホームに降りると、外気は冷たくて今にも凍えてしまいそうだ。
相変わらず乾燥した空気を運ぶ風は無差別に人々の肌を傷付けてゆく。
人々は凍るような冷気から、或いは乾いた風から身を守る為にカイロやマフラー等の防寒着、化粧水やクリームといった保湿剤等を用いて物理的に自身を守る。
また或いは誰かと他愛も無い話をしたり、遠くにいる愛する人を想像したりなんかして寒空や空っ風を心理的に遠ざける事によって精神衛生を守ろうと計る。
しかし、どれだけ大気が冷たくても、どれだけ乾いた風が吹き付けて来ようとも僕を守ってくれるものや人は無く、故に僕は空虚と孤独を一瞬でも忘れる事ができない。
そんな孤独感を拭い去る為に現実のあらゆる事を忘れようとして心象世界を走り回るのだけれど、僕が孤独感から逃げて辿り着いた先の景色はいつも同じで、空虚な暗闇の中に僕がただ独り突っ立っているだけで他には誰も居なく、そして何も無い。
僕はまだ、その景色の先に行けないままでいる。
僕が孤独を克服できない最も妥当な理由があるとすれば、僕が他人の心に踏み込まないからだろう。
このように原因は分かっているのだけど、仮に孤独を克服したところで毎日が悪化する事はあっても好転する事は無いだろうから、正直どうでも良いと思っている。
それに、どうしても他人に関心や興味が持てない。他者の感情や価値観というものに価値を感じられない。
他者の事を理解したところで何の利益があるのだろうか?
利益の無いものに何故、他者は興味を持つのか、僕には分からなかった。
そういった、どうしようもない程に好奇心の無い思考回路が僕を孤独にさせた。
交友関係とは結局のところ自分が満足する―安心する為の自己中心的な思惑で重なったり、結ばれ合ったりしているだけの空虚な繋がりでしかない。
そういった繋がりに僕は魅力を感じられない。群れている安心感よりも孤独でいる安心感の方が勝ってしまうのだ。
果たして「愛」というものは何処からやってくるのだろうか?
「愛」というものはどんなものなのだろうか?
僕は「愛」という感覚を掴めないままでいる。
人々は皆、同じ空の下で生きているけれど、誰一人として僕の心を温めてくれる人は居なかった。
嗚呼、僕の心は冷め切っているのだと悲しく思っていると、再び滑らかな銀色の髪が街の景色の奥の方で陽光を反射して輝いた。
この時間帯の電車に乗っている時点で、美しいあの銀の髪の持ち主は通勤又は通学中だと推察できる。
その推察から派生して更に考えると、あの銀の髪の持ち主は恐らく毎朝、僕が乗る電車と同じ電車に乗っている筈だとストーカー紛いな少し気味の悪い推測もできた。
だけど、そんな事をわざわざ考えなくても同じ空の下で生きているのだから、またいつかは煌めく銀の髪を拝める事だろう。
そう考える事によって、何故か湧き出て止まらない邪推を押し留めながら僕は改札口の方へと向かった。
駅の改札を潜り、少し駅構内を歩けば、すぐに学校のある住宅街に出る。そういえば最近、心無しか駅員の数が少なくなったように感じるが、果たして気のせいだろうか? そんな事を考えていると
「オ客様」
背後から得体の知れない無機物的な声をした何かが僕を引き留めた。咄嗟に後ろを振り向くと、そこには人間の模倣品と云うべき物が立っていた。
それは、はたまた彼は「アンドロイド」と呼ばれているものだった。
彼は僕が落としたスマートフォンを拾って、わざわざ僕のところまで届けてくれたのだ。
僕は彼の行為に少しだけ面喰らってしまった。アンドロイドには業務内容と人並みの会話を可能にする程度のプログラムしか施されていないものだと思い込んでいたが、実際には落とし物を拾ったり、それらを持ち主に届ける事までプログラムされていたのだ。
そこまで最近の技術が進んでいるとは思いもしなかった。まさか善行をするプログラムまで施されているとは驚いた。
僕のスマートフォンを拾ってくれた彼をじっと見ていると、徐々にアンドロイドである彼が、本物の人間らしく見えてきた。
機械である筈の彼の瞳からは、何故か妙な人間らしさを本能的に感じたが、だからといって特に何か対応を変える必要も無いので、そのまま礼を言ってその場を去った。
僕が産まれた頃くらいにアンドロイドは普及して、世間全体にいつの間にか馴染んでいったらしい。
特にアメリカやイギリス、中国等の先進国に広く普及して、日本も、そういったアンドロイドを早々に取り入れた国々の中の一つだったみたいだ。
当初は倫理観や宗教、又は労働問題等の様々な事情によってアンドロイドの使用は制限されていたが、アンドロイドは人件費が不要かつ維持費も低価格で済み、作業効率も優れていた為、次第に世界各国で規制が緩和されてゆき、そのうち新たな労働者として世間に認められていった。
現にアンドロイドを見かける事が昔より遥かに多くなっている。
僕達の様なアンドロイド黎明期の子供達はアンドロイドとの関わり方について国から教育を受けて育った世代で、アンドロイドは人間によって使役される機械に過ぎないので、どれだけ人間と容姿が似ていたとしても人間的な態度での接触は避けるようにと、強く教育された事を憶えている。
このように人類が築き上げた思想によってアンドロイドの社会的地位は更に強く定められたのだと思う。
僕は人間の理不尽に付き合わされるアンドロイドは可哀想だと少し憐れむだけで、今まで深くは干渉する事は無かった。
むしろ人々が過労で倒れないような楽で健康的な時代になって良かったのではないかと思ってるくらいだ。
きっと、これからも僕のその思いはそのまま変わらない事だろう。
そういえばアンドロイドを良く見かけるようになったとは思ったけど、一日に何十台も見かけたりする訳でも無い。
まだ僕が学生なので見かける機会が少ないだけなのかもしれない。
そんな事を考えながら独り冷え澄んだ空を見上げている自分を極めて異質な人間だと感じてしまった。
学生達が仲睦まじそうに肩を並べながら、僕と同じ通学路を歩いている。
そんな光景を見る度に、交友関係について考える時がある。
先程も述べた様に結局、人間は―少なくとも僕は多分、他人の事を利益を得る為に必要な手駒としてしか見ていない。
それを人前で大っぴらに言えば批判されるが、実のところ心の何処かで皆そう思っているに違いない。
即ち、また自分も他者から見れば欲望を満たす為の手駒としてしか見られていない事になる。
僕は、そんな損得だけでしか他者と交わる事ができない人間社会に―そして自分自身に計り知れないほど大きな絶望を感じている。
だから他者を餓鬼としてしか見る事ができなくなった僕は心を閉ざす事しかできなくなった。
青く澄んだ空の下で、僕は「愛」や「温もり」という風に人々が語っているものを、何処かにある筈の輪郭が掴めない「何か」をずっと探している。