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第18話 君の傍で眠らせて②

 僕達は冷気に満ちた寒い夜を互いに身を寄せ合う事で乗り越えようとした。


 僕達には互いに身を寄せ合う事の他に、この寒い寒い夜を乗り越えられる手段は何一つとして残されていなかった。

 僕が身を預けられるような―心を許せるような―人は彼女の他には誰一人として居なかった。

 恐らく僕と同様に彼女も身も心も預けられるような人は僕の他には誰一人として居ないであろう(誤解を招かない為に補足しておくが、彼女は僕に対して完全に心を許している訳では無い。その程度を推察するにせいぜい心の扉を少し開き掛けた程度のものであろう。だが今まで殆ど独りで生きてきた彼女にとって、心の扉を僅かに開くという行為は僕達のような普通の人間が考えている以上に、大きな意味を持っているという事は間違い無いであろう)。


 またまた僕達の間に沈黙が重く伸し掛かり続けたが、先程も述べた通り、もう沈黙は怖くは無かったので特に気にする事は無かった。


 彼女の傍に居ると何故か心が安らいだ。

 掛け布団代わりとして使っている布の内側は僕と彼女が産み出す体温によって少しずつ温かくなっていった。

 彼女の白い首筋を月明かりが照らしている光景が窓ガラスに映っている。

 それは魅力的で神秘的でかつ何処か官能的な趣きがあった。


「私、大丈夫なのかな?」


 と彼女が唐突に僕に尋ねて来たが、僕は彼女の問いに対して何と言えば良いのか判らなかった。

 語彙を余り持っていない僕は飲み込む言葉さえも出ず、口内は発する言葉を待っている内に乾いてしまった。

 止むを得ず僕は考え抜いて作った言葉を使う事を止めて、彼女の問いを聞いた時に最初に浮かんで来た本音に会話の行く先を委ねる事にしてみた。


「ごめん…。そんなの僕には判らないよ」


 この時、僕は言葉をしっかりと彼女に送り届ける為に、心を落ち着かせようとして少し口から空気を吸い込んだ。

 その際に口に冷気が流れ込んで来たが、直ぐに温かい吐息が外界へと出る為に押し進み、冷気を口内から追い出した。


「何の慰めにもならないかもしれないけど、少なくとも君が僕の傍にいてくれる今、この瞬間だけは何が起ころうとも絶対に僕は大丈夫な気がするよ」


 と僕は続けて彼女に向かって本音を吐露した。

 僕の本音を受け取った彼女が一体どんな表情をしていたのかなんて事は、夜空に浮かぶ月のみぞ知る事だろう。


 夜空では白い月と黒い雲が泳いでいる。

 白い月と黒い雲達は泳いでいる座標も泳ぐ速度も全く異なっていて、更にこの月と雲の関係性と同様に同じ黒い雲同士でも泳いでいる位置も泳ぐ速度もそれぞれ異なっていた。

 僕の視界という空間の中では月や雲々は隣り合わせに泳いでいるが、実は誰の主観も入り込めない現実的とされている物理法則に従った実際の空間は、僕の視界が造り上げた世界とは酷く異なっていて、僕の視界の世界では数mmの距離も離れていない月や雲達が、物理法則に従った世界では数kmも数光年も離れていたりするのだ。


 何故か今日の夜空は社会という集団に属しながらも、各々が孤独感を抱えながら生きている僕達のジレンマを彷彿とさせた。


 更に夜空の夜闇に負けずに独りで輝き続ける月は夜空にとっては異物のような存在であり、今日の夜空には余り馴染めていなかった。


 どうやら、どんな場所や状況であれど集団の属性と異なる異物は仲間外れになり、僕の後ろで寝転んでいるアンドロイドの彼女のように孤立してしまうらしい。


 各々に夜空を泳ぎ続ける黒い雲は―僕達の住む世界の遥か上にある広大過ぎる世界で公転を続ける白銀の月は―孤独感に苛まなれながら一体何処へ行こうとしているのだろうか?


「ねぇ? 私ね、明日が来るのが怖い…。明日もまた昨日や今日や、これ迄の毎日と同じように自分の正体を偽り続けながら暮らし続けるんだと思うと辛いの…」


 と彼女が助けを求めるような切実な声で僕の背中に向かって呟いた。

 そして、その数秒後、彼女は僕の肩に縋り付くように更にギュッと身を寄せてくれた。

 僕は背中越しに彼女の整った顔立ちを再認識した。

 それと同時に、僕は背中で彼女の溢れ出す涙を感じ取った。

 僕の背中から距離0cmの地点では、機械仕掛けの彼女が哀しみと悔しさの余り苦い涙を流していた。


「ねぇ? どうして私は機械として産まれて来ちゃったのかな?」


 この彼女の問いは弱った僕の心を強く押し潰した。

 こんな残酷な疑問は存在してはいけない筈なのに現に今、僕の背後に存在してはいけない疑問を持つ少女が存在してしまっているのだ。


「どうして私は機械として産まれてきただけなのに、正体を隠して生きて行かなきゃいけないのかな?」


 存在してはいけない筈の残酷な疑問が次々と彼女の口から放たれて行く。

 自身が、ここまで彼女を追い詰めた人類という種族の一人であるという罪悪感で、僕は今にも圧死してしまいそうだった。


「私は只、幸せになりたいだけなのに…。私、何か間違えてるのかな? …どうしてなの?」


 彼女は涙を流しながら自分自身の悲惨な運命―自分自身が機械である事―を呪っていた。


 意気地も無ければ、彼女の深い深い哀しみを受け止める技量も無い僕は只、漠然と四方に広がる夜空の中で輝いている月を眺めている事しかできなかった。

 そして僕は只、ひたすら「ごめん」と彼女に謝り続けた。

 そんな事しかできない僕は実に無様であった。


 暫くの間、先程とは打って変わって僕達は言葉を交わさなかった。

 沈黙と罪悪感に耐え切れなくなった僕は彼女に許しを乞う為に再び話を切り出した。


「…もし君さえ嫌じゃなければ、今夜は君の傍に居て良いかな?」


 そう僕は彼女に許しを乞うように尋ねたが、彼女は返事を返してくれなかった。


 だが返事の代わりに彼女は僕の服の背中側を両手でギュッと握ってくれた。


 それが彼女なりの答えだった。


 彼女の無言の返事は僕を安心させ、満足させるには充分過ぎる程のものだった。


 こうして彼女と僕は残酷な世界の中で孤独を分かち合った。

 それは人間の僕にも、機会仕掛けの彼女にも互いに初めての経験であり、そして孤独を分かち合う事で得られる安心感やその他諸々の胸が高鳴るような感覚達も両者共に初めての感覚であった。


 世界の輪郭が消えて行き、僕と彼女の内的世界の輪郭も溶けて行くように思えた。

 溶けた世界の中で僕は僕と彼女が繋がったような感覚を掴んだ。


 夜空では星々が、それぞれの間に何万光年もの距離を空けながら孤独に輝いている。

 そして夜空の下の街々では、数多の孤独な人々が人知れず寂しそうに眠っている。

 いつものように朝が来れば孤独な星々は消え、孤独な人々は目覚めて其々の行くべき場所に向かって移動を始めるが、それは決して孤独から解放された訳では無く、ただ単に夜という孤独が露わになる時間帯から解放されただけであり、根本的には何も解決されていないのだ。


 夜以外の時でさえ、例えば朝ふと眼を覚ました瞬間でさえ、通勤電車に揺られている時でさえ、人々は孤独に苛まれているものなのだ。


 そう考えれば星々も人々も寂しく、そして慢性的に孤独である事には変わりない。


 ふと僕は彼女が今日の夜空の星々や月を見て何を思っているのか―僕と同じように取り留めも無い虚しい事を考え続けているのか―気になったので、僕は彼女になったつもり(所詮は「つもり」だが、それだけでも僕には精一杯だった)で考えてみた。


 だが一向に彼女が何を考えているのかハッキリとは判らなかった。


 やはり人間である僕は機械である彼女の思考を理解する事は不可能なのだろうか?

 そもそも僕達、人類は機械である彼女の思考の理解云々以前に同種である人々―他人または隣人―の思考さえも理解する事ができないうえに、酷い場合は自分自身の思考さえも理解ができなくなる時がある。

 その点を踏まえた上で、もう一度考えてみると結果は瞭然であり、同種間でも歪み合っている人類が―人類の一員である僕が―人類とは遥かに掛け離れた異種の存在である機械仕掛けの彼女の思考を理解する事なんて不可能だという結論だけが残った。


 他者の心に直に触れるのは不可能だという事は、毎日を只々適当に過ごしているだけでも判らせられてしまうものだ。


 だが、仮にそうだとしても、結論が判っていたとしても今の僕は他者の心を理解する事を―手を伸ばす事を―諦めたくなくなっていた。


 夜空に向かって伸ばす手が有る限り、僕は月に手を伸ばしていたい。


 伸ばしたその手が例え月に届かなくても…。

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