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第15話 少女の部屋

 とある駅で電車から降り、そのまま降り続けて止まない雨の中を僕と彼女は歩いた。


 僕は何処に行くのか全く把握していなかったが、彼女の方は目的地が決まっているようなので、僕は彼女に付いて行く事にした。

 夜の雨は僕達の髪を濡らし荒ませて、衣服の繊維ひとつひとつの隙間から流れ込み、その雨水が全体に染み込んだ衣服は僕と彼女を寒さで凍えさせた。


 そのまま彼女に付いて行くと、とあるアパートに着いた。

 恐らくだが、このアパートが彼女の住まいなのだろう。

 目的地であろうアパートまで辿り着いたので、雨から逃れる事はできたが、それでも未だ身体と心に染み付いた寒さは消える事は無かった。


 彼女の住まいは何の変哲も無いアパートの一角にあった。

 薄汚れた白色の外壁から彼女の住んでいるこのアパートは、平成初期に建てられた建物だという事を推察できた。

 僕の隣で歩く彼女の白銀色の長い髪とアパートの薄汚れた白い外壁を比較して見てみると、アパートの外壁の経年劣化による汚れが一段と露わになった。


 アパートの廊下にある排水管は道中で僕達を濡らした大量の雨水で溢れかえっていた。

 ふと外の様子が見たくなって、ちらりと横を向いてみたものの、豪雨で大量に降り注ぐ雨粒達のせいで、向こう側の景色は霞んで全く見えなかった。


 それはまるで愛を知らなく、尚且つ碌な将来設計も無い僕と彼女の未来を具現化させたような光景だった。


 彼女の住まいは確かに人間の住居らしい面影を持ってはいたものの、何処か非人間的な異常性を感じてならなかった。

 洗面所は洗濯機と普通サイズの白いクローゼットだけが置いてあるだけで、それ以外には特に目立つようものは見当たらなかった。


 そして彼女の部屋は生活にベッドや机と椅子といった普通の生活をしていく為に必要最低限の物だけで構成されていて、他には大きくも小さくも無い本棚や室内用の物干し竿程度の家具しか無くて、質素というか何というか全体的に簡素だった。


 部屋には洗濯された衣類が室内用の小さめの物干し竿に掛けられていて、その干された衣類からは生乾きの臭いも無ければ洗剤の匂いも無くて、全くと言っても良い程に何の臭いもしなかった。


 まるで俗世を嫌悪しながらも、俗世に淡い期待をして諦め切れない彼女の心情を具現化させたような部屋だった。


 人間味の無い人間らしい部屋の中で、彼女は僕が貸した外套のボタンを手際良く外していた。

 外套を脱ぐ彼女の姿は宛ら蝶の脱皮みたいで西洋的な神秘性があった。

 もう彼女は二度も僕に胸に刻まれた例の傷口を見られているので、僕にとっては不本意だが僕の前では上裸になる事には慣れているらしかった。


 彼女の身体を触りたい僕のイド(エス)を、彼女を汚す事を恐れる僕のエゴが制止してくれたお陰で彼女の前で何とか精神を保つ事ができた。


 彼女だけが持っている哀しさに満ちていて、尚且つ何処か希望的観測を持つ魅力的な雰囲気が僕を虜にした。なので僕は、彼女の美しい全てに恍惚と眺め入ってしまっていた。


「どうしたの?」


 彼女に見惚れている僕を見た彼女が、不思議そうに僕に尋ねてきた。

 この時、僕は勝手ながらも彼女に対して親近感を抱いていたが、恐らく彼女は僕に対して親近感なんてものは微塵も抱いておらず、寧ろ不信に思っていた事だろう。


「あぁ…。いや、何でもないよ」


 と僕は彼女を不快な気持ちにさせない為に色々と彼女の心情を想像しながらも、そういった気遣いが悟られないように敢えて適当な返事をしてみせた。


「そう…。私、お風呂に入って来るね」


 そう彼女は言い残して、浴室に続く廊下の方へと歩いて行った。

 狭い廊下の暗がりと彼女の全体的に煌々とした色合いの身体は対立して互いを溶かし合って―殺し合って―結果的に上手い具合に空間の明暗を調和していた。

 だが彼女が浴室へと続く洗面所に入ると同時に、調和されていた廊下の明暗が乱れて、再び廊下は真っ暗になってしまった。


 彼女が僕の視界から消えた瞬間に、漸く僕は自身身体が冷えで少し震えている事に気付いた。

 まるで冷え込んでいる事を思い出したかのように身体がくしゃみを出し始めた。

 そうして少しずつ身体的にも精神的にも落ち着きを取り戻す事が出来るようになった僕が今、何をするべきなのかと冷静に考えてみた結果、とにかく冷え込んだ身体をどうにかしなければならないという事が優先すべき問題として挙がった。

 僕は彼女から乾いてある服を借りる為に、恐らく衣服が収納されているであろうクローゼットのある浴室へと向かった。

 移動する際に生じる微かな空気の動きさえも僕を凍えさせる要因となった。


 浴室へ着いた僕は彼女に服を借りる許可を求めようと彼女が居る浴室の方へ声を掛けようとしたが、浴室の扉越しからでも彼女の哀しみと屈辱に満ちた雰囲気が痛い程に伝わって来たので、僕は無遠慮に彼女に声を掛ける事ができなかった。


 浴室の扉の磨りガラスを通して湯船に浸かっている彼女のぼやけた輪郭が―シルエットが―が見えた。

 彼女は頬を伝っているであろう涙を独り、手で拭っていた。

 僕達は―特に彼女は―どれだけ温かい湯船に浸かったとしても、身体だけが温まるばかりで決して心は温まらず凍えた状態のままなのだろう。


 彼女の啜り泣く声を聞いたり、涙を拭ったりしているシルエットを見ていたりしていると計り知れない程の大きな哀しみに僕は襲われたが、きっと今の僕の背負っている哀しみなんてものは、彼女からしてみれば何て事はないものなのだろう。


 そんな余計な事を考えてしまうと、僕が背負う哀しみは増して苦しくなるばかりなのだが、僕は巨悪に立ち向かう勇者や賢者のように―使命感に駆り立てられたように―考える事を止められなかった。

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