新婚生活・8
ラフォラエルが仮国籍を取得して白の館にて数学の教師になるなんて。
驚きのあまり言葉が出ないとはこのことだった。
「聞いてない」
会議のあと、二人で事務室に入るやいなや、拗ねたようにラムールは口にした。
「言ってないからなぁ」
余裕しゃくしゃくにラフォラエルは腰に手をあてた。
ラムールはむくれながらも、とりあえずお茶を入れようかとする。
しかし、ラムールが背を向けた途端、ラフォラエルは背後から手を伸ばして彼女を抱きしめた。
「ち、ちょっ……」
「うーん、ラムール様はいい匂いだ」
ラフォラエルがラムールの首筋に唇をあて、その香りを吸い込む。
「ンっ、ダメってば」
ピクリと肩を震わせ抵抗するが力を込める気にはなれない。
それを見越したようにラフォラエルは首筋から耳たぶへと唇をスライドさせ優しく噛む。
「ダ、だめぇっ。 ラムールの姿じゃダメだってば」
ふるふると小さく震えるラムールを見てもう一度優しく微笑むとラフォラエルはその手を離し、つかつかと壁際に向かって歩き出した。
「ラフォー?」
ラムールが首を傾げながら近付くと、ラフォラエルは袖もとから科学魔法の札を取りだして壁に貼り付けた。 貼り付けたそれは見る見る間に扉へと姿を変え、そこを開けるとその先は二人の愛の巣だ。
「とりあえず、一旦はこっちに帰って話そうか」
ラフォラエルはラムールの返事もきかず扉をくぐる。
「待ってよぉ」
とはいえ白の館の中のままではどうもやりにくい。 ラムールも慌てて後を追う。
「ほいほい、それじゃあとりあえず、ラムールの姿からライマに戻ってくれるかな?」
ラフォラエルは法衣のような服を脱ぎ捨てて部屋着になりながら告げた。
「えっ、でも、まだ勤務時間中……」
「何言ってんだ、お前? せっかく陛下が気を利かせてくれたんだから乗るのが礼儀だろ?」
「え、待って? ってことは、陛下は私とラフォーのこと、御存知なの?!」
「ン。 勿論。 一昨日の面接の時には佐太郎さんがばらした」
「ええっ?」
ライマは驚いた。 今の今まで陛下が知っていることに気づかなかったのだから。
「で、陛下は何ておっしゃった?」
「かなり驚かれてたけど、おめでとうってお言葉を下さった。 で、陛下からの結婚祝いがこの審査って訳」
そこで合点がいった。 陛下は審査と理由をつけて「休暇」を与えたのだ。 10日間も。 「たの事」ではなくて、「楽しんで」と言いかけたということも。
「でも、もしかしたら私が審査を申し出るとは限らなかったし、そんな、作戦としては不適当な……」
「んー。 だからきっと今頃、小躍りして喜んでんじゃないかな? ラムールを掌の上で転がしてみたいとかなり強く望んでらしたから」
「ふ、ふ、……陛下ならありえそう……」
腰砕けになって乾いた笑いを発しながらライマの姿に戻った彼女は床にへたりと座りこんだ。 するとそこにラフォラエルがやってきて、「あるもの」を二つ手渡した。
「……これは?」
ライマが頬を染めながら彼を見上げると、ラフォラエルは鼻の頭をかきながら苦笑いした。
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一方、王宮にある王の間では人払いがなされ、陛下と佐太郎がチェスに興じていた。
「いやあ、ラムールが驚きのあまり言葉を失ったあのときの顔! 平常心を保とうとあえて無表情に徹しながらも、夫のことが気がかりで視線を泳がせた、あの瞬間! 佐太郎よ、ほんにお主にも見せてやりたかった!!」
興奮さめやらぬまま、陛下が駒を動かす。
佐太郎も機嫌良く駒を進める。
「はっはっはっ。 悪趣味だなぁ~。 ガルオグは。 まぁ気持ちは分かるがな」
「ふぉふぉ。 ずっと気を張って背伸びしつづける姿は時として見ていて痛々しいからの。 だから人間らしく狼狽える姿を見ると、ほんの少しだけじゃが和むもんじゃな」
「ああ。 あいつにも力を抜いて本当の自分に戻れる場所があるんだなって分かっただけで、それだけで嬉しくなれる、っとチェックメイト。 ……なんだ? お前の負けだぞガルオグ。 なのに顔がにやけたまんまだな?」
「この後の余興に比べればチェスの負けなんぞ!」
陛下はソファーにもたれかかり、ゆったりと【その時】を待つことにした。
しばし穏やかな時が過ぎ、陛下は手元の書類に視線を移した。 それはラフォラエルの仮国籍登録書だ。
「ラフォラエル、か。 なかなか優秀な輩じゃの」
「ああ。 運動能力はともかく頭脳じゃ抜群だ。 西地区で仮国籍取得希望者達に無償で勉強を教えたり意外と世話焼きなのも良いところだ」
「ホテルの一室を寺子屋みたいに使っていたそうじゃな?」
「ああ。 下手な会場を借りるよりずっと安いからって理由だったがよ。 最初に奴がホテルに入っていった時は驚いたなぁ~」
「ついでに勉強を教えるのも手伝えと言われたのじゃろ?」
「なのに教えるのが下手だから途中でもう止めてくれって言われたがな」
二人は声をあげて笑った。
「で、どうして今まで【ちゅ】より先に行かなかったんじゃ、あいつは」
「ライマのことを第一に考えたってことさ」
佐太郎はラフォラエルと話し合った時のことを思い出した。
ラフォラエルは言った。
普通の場合でも、魔法使いは予想外の出来事を体験することにより精神的にショックを受けて魔法が使えなくなることがあるが、更にライマは強力な魔法術者であり、逆に自分は魔法が全く効かない特異体質者だと。
つまりは遺伝子的に両極にある存在なのだ。
その二人が交わると血液型不適合のようにライマの体に不具合が生じる可能性、つまり「魔法の扱えない人間」に変化する可能性があると指摘した。
ライマが魔法を扱えなくなったらどうなるか?
王子に対しての護りは勿論、国のあちこちに施してある結界などが壊れてしまう。
そうなったら事の大きさに自分を責めるのは他の誰でもなくライマだと。
「で、万が一に備えて佐太郎に、ラムールが施した魔法の代替えになる科学魔法を用意してくれと協力を頼まれた、という訳じゃな」
「そ。 これでどんなハードプレイも妊娠でもどーんと来いってんだ」
微妙にデリカシーに欠ける発言ではあるが、佐太郎が頼りがいあふれた口調で胸をドンと叩き、視線を入り口の扉に向ける。
「そろそろだな」
その言葉と同時に、扉は紫に色を変えて外から開かれる。
そこから部屋に入って来たのは――
「えっ? 陛下っ!? 佐太郎っ?!」
白いタキシード姿のラフォラエルにお姫様抱っこされたライマが、七色の布であしらわれたドレスを身にまとったまま目を丸くしていた。