新婚生活.7
それから数日のち、ライマは何やら吹っ切れていた。
というのも、佐太郎が何故か部屋に置き忘れていった子供向け童話集が原因である。 それは結構ポピュラーな童話で、「忠告を無視したばかりに願いが叶う寸前にすべてがパアになる」という内容であった。
とりあえず、彼との間にキス以上のことが無いのはツマラナイとは思うけど、彼を戻してくれた「なにか」がライマとキスより先に行くことを禁止しているとしたら?とか妄想してみた訳で。
彼がいなくなる位なら、一生キスより先に進まなくてもいい。
そんな風に割り切れたのも当然だろう。
とすると、ここ暫く彼の事がちらついて多少注意散漫気味の職務に意識が向いて、今までの遅れ?を取り返そうとまい進する。
多量の書類に目を通し、判を押す。
的確な指示を出し、国民からの信頼が更に上がる。
隙なく、無駄なく、完璧に。
ラムールの意見は最初にして最高の選択しか出さないので皆は頷くだけで。
鉄壁の要塞みたいでつまらんのぉ、と、ぽつりと陛下が呟いた。
そしてそれから1ヶ月。
「ただーいまっ♪」
仕事を終えたライマはいつも通り元気よく帰宅した。 するとラフォラエルがかなり悩んで部屋の中を歩き回っていた。
「どうしたの?」
ライマは慌てて駆け寄る。 すると彼はライマの顔をちらちらと見ながら何か言いたがっていた。
しかし、どこかプライドが邪魔しているかのようだ。
「……どうしたの?」
ライマはとても不安になって、小さな声で尋ねた。
もし、再びいなくなる日が来たと言われたら? 月に帰る昔話の姫のように。
そんなことを一瞬でも考えたものだから、思わず涙腺がゆるむ。
「ああ、平気平気」
微かに涙目になったライマを安心させるように優しく微笑んでから、ラフォラエルは真面目な顔になった。
「なぁ、ライマ。 俺、ずっとお前と一緒にいたいんだけど――」
「うん」
「……もしその為に、ライマが……その……」
言葉にしていいのか彼が戸惑っているのは明らかだったが、ライマの真っ直ぐな眼差しに勇気づけられるように彼は続けた。
「ほんの少しだけ、恥ずかしい目に……遭わせても、平気?」
「はずかしいめ……って……」
「ゴメン。 それ以上は言えないんだ」
ラフォラエルは質問を遮った。
そして二人はしばらく見つめ合う。
しかし。 ライマの答えは決まっていた。
たとえどんな辱めを受けたとしても、彼がいてくれるなら。
「平気」
精一杯、微笑んでみせた。
+++
翌日。 ライマは上機嫌で王宮で行われている重臣会議に出席していた。
上機嫌な訳は昨日のラフォラエル。 ライマが返事をしたあと、ゆっくりと頷いて、「じゃあ明日の夜は、キスより先に進もうな」なんて囁いたからだ。
彼の問いが何を表しているのかは分からなかったが、とりあえずどうでもいい。
――もしかしたら質問の答えによって未来が変わる分岐点だったのかも?
そんなことを思いながらも、真面目な顔をして会議、会議。
一通り全部の議題が終了し、閉会となる直前。 一枚の報告書が各人に配られた。
「これは?」
見たことのないその書類に各人が顔を見あわせる。 すると国王陛下が口を開いた。
「我が息子、デイが西地区で始めた戸籍獲得プログラムじゃが――」
戸籍獲得プログラム。 それは恵まれなかった環境において戸籍を失った少年達に、国が一定期間の間、専門施設に入らせてその適性次第では国を保護者とした新規戸籍を発行する、というものである。 戸籍が無いため職にもつけず悪さを行うことでしか生計を立てることの出来ない者達に対してのセーフティーネットであり、デイが初めて王子として行った政でもあった。
「まずは数名の者に仮国籍を与えることにした」
「陛下、選考基準は?」
軍隊長が手を挙げて質問すると、法務大臣が告げる。
「各種適性検査と、面接で行いました。 社会に出るだけの最低学力が身についているか、過去に犯した犯罪の程度、忍耐強さ、協力姿勢……。 深層心理テストも兼ねて」
「面接を行ったのは?」
「最終面接は陛下自らです」
その言葉に「なんと危険な」と、家臣がざわめき、ラムールは苦笑いした。
「国王陛下御自ら、その者と会い籍を与えんとお決めに成られたのであれば、同じくテノスの名を授かったこの身では一切反論の余地はありませんね」
「しかし! ラムール! 羊の皮を被った狼が紛れ込むかもしれぬではないか!」
軍隊長の言葉をラムールは鼻で笑った。
「構いませんよ。 テノス国に牙をむこうとした瞬間、私が殺滅権でその者を滅ぼします」
そして書類に目を向ける。
「ロット、ボーンネット、クノラ……。 ふむ、あの時の子達ですか。 責任感は強い子たちですから仮国籍を与える者達としては妥当でしょう」
その言葉を聞いた陛下が小さくニヤッと笑った。
「やはりラムールは頼もしいのぉ。 それでな、そこに載っている者はこれから就職の面接などを受けに行くのじゃが、それとは別に、今度、仮国籍を与えようとする者の中でな、非常~に優秀な輩がおるので、白の館にて数学の教師として招きたいと思うのじゃが……」
「教師として招きたい?!」
各々が流石に驚き口を開いた。
「その者も無国籍者なのですか?」
「うむ。 しかし儂の見立てではかなりの智恵者じゃ。 西地区で専門施設にいる子達に勉強を教えてくれててな。 なかなか分かりやすいし生徒にも慕われておる」
「しかし、仮国籍の身分で教師とは早急すぎではありませんか?」
「我が国の主軸を担う女官や兵士達に誤った思想を植え付けるかも!?」
「ラムール殿はどう思われますか?」
その言葉で視線がラムールに集まる。
「失礼ながら陛下。 教師として雇うには早急すぎ、不安材料が多すぎるかと。 どうしてもと仰るのであれば我々家臣にも面接させて頂きたい。 それから結論を出しても遅くはありますまい」
「……ま、そうじゃろうのぉ。 参考までに言うと、錬金術師の佐太郎は可という結論を出しおった」
「!」
「なんと、佐太郎殿が?!」
陛下の言葉は家臣達のざわめきを消していく。 佐太郎も認めたというのなら、その者は余程の者だということだ。
「ですが私は、自らでその者と会い判断させて頂きたい」
ラムールは反論をひっこめた重臣達とは逆に意見を通した。
すると陛下は再び小さくニヤリと笑った。 先ほどよりも嬉しそうに。
「ならばラムールよ。 お前がその者と会い最終判断を下すがよい」
「御意」
「不適格者だと判断したならば殺滅でも何にでも好きにするがよい」
「流石、陛下が仮国籍を与えようと判断されただけのことはありますね。 余程その者に対して自信が
おありと見える。 楽しみです」
「フオッフオッ」
陛下は穏やかな顔を嬉しそうにほころばせて笑った。
「それではラムールには仮国籍取得予定者の最終面接審査を行ってもらう。 つぶさに昼夜問わずその者を観察して判断を下すが良い。 期間は十日間」
「と、十日?」
予想外の長さにラムールがうろたえた。
「無論、その間は面接審査のみに全力を注ぎ、他の職務を遂行することは儂が禁ずる」
「得体の知れぬ者の前で重要な任務は出来ないことは理解できるとしても……、しかし、十日とは長すぎではありませんか陛下?」
「いや。 十日もあればどのような輩か、迷わず判断がつくであろう。 無論、途中で合格を与えたければ与えて審査を終了しても構わんが、なにせ大事なこと。 十日まるまる、たの……事など考えず審査に没頭するがよい。 旅でも何でもするがよい」
国王陛下は妙に生き生きと告げる。 ラムールは困ったように眉を寄せた。
――だって、昼夜問わず十日間って……それじゃその間、ラフォーに会えないじゃん! ……しかも今晩はラフォーが……。 ……でも……
一度目を伏せて気持ちを切り替えると、ラムールは真っ直ぐな眼差しで顔を起こして答えた。
「御意。 そのお役目、確かに承りました」
ラムールとしては、そう返事するしかなかった。
それを聞いた国王陛下は満足そうに微笑み、ベルを鳴らした。
「近衛兵。 面接予定者をここに」
言われた近衛兵が隣室の扉を開ける。 すると中から、ウエーブがかった黒髪が腰まで伸びた、法衣のような服を着た青年が一礼して入ってきて――ラムールは目を丸くした。
「初めまして。 皆様と共に国に尽くすことができますよう、御指導のほどよろしくお願い致します」
そう、そこには大好きなラフォラエルが立っていた。