青春をかけて甲子園へ行く
プロローグ
「……なんやと?」
とは言いつつも、ワシはミッキーからの連絡に、思わず頬が緩んだ。
厳寒の北海道は道東の北見市から、直線距離で3000キロ。この十二月には寒暖差30度もある南国の地、沖縄那覇市国際通りの路上で電話を受けた。
同行しているピンコなど、現地の人々が冬の寒さにコートを着ているところ、半袖姿でアイスなんぞ頬張っていた。
「オドレは、なにか? それ言うために電話よこしたんか」
『いや、まァ、やっぱ、』
高校生のガキをからかうのは、いささか自分の器を疑ってしまう。
「冗談や」
ワシは鼻を鳴らし、辺りの人の目を気にしながら煙草に火をつけた。「人間はのう、大抵二種類に分けられる。バカンスに来れる奴と、来れん奴や。邪魔をすな、そうカズキにも伝えてくれ」
『それは、おやっさんが言うことじゃねえのか?』
「そないな責任も、男やったら背負う覚悟持て、オドレが伝えろや。ワシの役目は、ぜーんぶ終わったんや」
原付自転車が、甲高い音をあげて通り過ぎていく。
北海道の真冬には有り得ない光景に、不思議な感覚を覚えた。同じ国内でも、ここまで違う。だが、車検や税金は同じ料金で、北海道では雪のために自動車ならタイヤを余計負担しなければならない。もちろん、二輪車なら半年間ほど乗れはしない。車両価格にしても内地の本州よりも高いことに、差別でも受けているかのような憤りを感じる。
全く、不公平極まりない。
『それなんだけど――』
南国の空を見上げた。
タクシーの運転手から聞いた話では、沖縄の空は泣きべそで、晴天になるのは年に十日あるかないかとのことだった。北海道の北見など日照率が高く、農作物がよく育ち、空気も澄み爽やかな太陽が気持ちいいほどなのに。
そんなとこも正反対なのか、空はどこまでも果てしなく繋がっているというのに。
曇天の空はぐずつき、今にも泣きだしそうだったが、ミッキーの話にワシは大声で笑ってやりたかった。
「……ほう、おもろいやないか」
ミッキーはなにかを言いかけていたが、一方的に通話ボタンを切ってやった。
土産屋の試食になっていた紅芋タルトを摘まんでいたピンコに、
「予定変更や。帰るで」
「はい」
二つ返事のピンコは、待っていましたと云わんばかりに、にやついてよこした。
「帰る前に、沖縄の綺麗なお姉ちゃんと遊ばなイカンわな」そろそろ地酒の泡盛をくらってもいい時間だろう。「今日もワシが奢ったるで」
振り返ると、雲の隙間からお天道さんがほころんでくる。
それはありきたりだが、未来への明るい一筋の光に思えた。
やってやれないことはない、どんな形でもいい、遠回りしたって辿り着けばいい。ささくれのような夢の傷跡がちくちくとした。
※
二年ほど前の春。
空はとても高く、ちぎって取ったわた飴のような雲がゆっくりと流れ、突き抜け澄んだ青空が心地よかった。
ボクは、北海道立津辺蘂高校、通称ヅベ高普通科の二年生。廃校が決定した北海道の東側北見市のはずれにある高校の野球部員、大谷カズキ。
青春真っ只中の十七歳、左打ちで、ポジションはキャッチャーだけれど、珍しい左利きだ。
幼い頃、関西出身のオヤジとふたりで、北海道は北見市という人口津辺蘂十万人ほどの道東に位置する地方都市にやってきた。ボクは今、そこに住んでいる。
北見市街地から学校のある津辺蘂町までは、五〇キロほどの道のりがあり、通学にはJRかバスの手段しかない。北見駅からは、東相内、相内を経て、更に留辺蘂町、温根湯を超えた大雪山系石北峠の麓にある津辺蘂町にやっとたどり着く。
ディーゼルのローカル線では、ヅベ高まで一時間以上かかってしまう。途中の西北見駅では、市街の北見緑園高校。東相内駅では北見高専、留辺蘂高校の学生たちが乗りあうために、朝の三両編成しかないローカル線は人でごった返す。ボクも例外ではなく、津辺蘂高校まではJRを使って通っていた。
しかし、この三両編成のローカル線には、高校生たちにとっての大問題がふたつあった。
ひとつは、津辺蘂高校が落ちこぼれになった不良たちの巣窟であること。
市街地から西へ向かう高校生達にとっては、不良たちと一緒の列車に乗らなければならない。ちなみにボクはヤンキーでもなく、そこにしか入れなかった理由があるんだけど。いいや、津辺蘂高校にしか行く気はなかった。
もうひとつは、先頭車両に乗ってはいけないという暗黙のルールが存在していた。
そこには、たったひとり、我がもの顔で車両を独占している津辺蘂高校の先輩、ピンコさんという大不良が乗っているからだ。
学年では一こ上、実年齢では、二こ上になる。つまりは、ダブってしまった現在三年生の先輩で、ガラガラの車両は『ピンコ車両』と呼ばれ、誰も寄り付かない場所なのだ。
ドのつくヤンキーのピンコ伝説は、JRで通う生徒たちにより、恐怖の都市伝説を広めていた。暴力団と付き合いがあるなんてのは、序の口。恐怖の大王だとか、人を殺したことがあるとか、悪魔の申し子だなんて言ってる奴もいた。
けれど、ボクはそこに乗っていた。
なぜなら、ピンコさんは現野球部のキャプテンなのだ。驚くなかれ、野球のことは全く知らない、試合にも出たことはない、ボールに触るよりも人を殴ることが大好きだという変わった人ではあったけれども、れっきとした先輩部員なのである。
「ピンコさん、おはようございます」
「あァ」と、
素っ気なくあしらわれる。
その傍には、先輩部員のメガネさんとボクの同級生、花澤くんが先に座っていた。
「大谷さん、おはよう」
ふたりとも、れっきとしたヅベ高野球部員だ。
けれども、昨日まで試合をしたことがなかった。なぜなら部員はボクを含めて、ピンコさんとメガネさん、花澤くんの四人しかいなかったんだから。
しかし今日は、津辺蘂高校の入学式。
待ち焦がれた新入生がやって来る。その新入生の中には、小学生の頃から一緒にやっていたチームメイトがいる。中学生の頃には、シニアの硬式野球をやっていたメンバーがこぞって同じ高校に入ってくるんだ。
ボクはこの日を夢にまで想い、待ち焦がれていた。
これで試合ができる、心待ちにしていた仲間が集う。ワクワクした気持ちで、『ピンコ車両』で新入生の彼らを待つ。
北見駅構内は、新入学生たちでごった返していた。
ひとつ下の生徒たちは、つい先日まで中学生だった子達だ。幼さが見え隠れする顔に、新鮮な青い果実を連想させる。
「おはようっす」
一番早く現れたのは、変形学生服を着た、サリー。
サリーは運動神経抜群で、足が速い。外野を主に守るけれど、内野手もできるオールラウンダーな選手。野球少年らしく坊主頭だけども、髪の色は金髪で口癖は「ガチ」というイマドキな少年でもある。
「おざァっす」
サリーの後ろから声をかけてきたのは、ハク。
ピッチャーもこなすハクは、長い髪を茶色に染め、顔周りから後頭部にかけて編み込みにして、なぜか入学式なのにギターケースを背負ってきているロック少年。
ハクは、サリーとハイタッチを交わした。
「へう!」
うっすらとした口ヒゲをたくわえ、長めの学ランを羽織ってズカズカやってくる、ひときわ身体が大きいのは、黒ヒゲ。色黒の肌にパンチパーマ姿とはゴリラを連想させるが、黒ヒゲは持前のパワーで中学のシニアチームでは四番を打っていた強打者だ。なぜか気合が入ると「へう!」と意味不明な声が出るのが特徴的。
「やっほ!」
続いて駆けてきたのは、お調子者でムードメーカーのチョビ。
身体も160センチそこそこなチョビは、打力に難はあるものの、ショートバウンドのさばき方が上手で守備が絶品、後ろに逸らすようなエラーを見たことがない職人だ。
耳にぶら下がったピアスを、ジャラジャラいわせ挨拶してきた。彼も模範的な高校生とは言えないのかもしれない。
「おはようさん」
チョビの親友で、保護者かのようにやってきたのはタイガくん。
タイガくんは、超高校級と呼ばれるものに近い。長身からゆったりと綺麗なフォームで放たれるストレィトは、波動を増幅させて拳銃で撃たれるかのようだった。バッティングにしても、ミートポイントが的確なヒットメーカーで、センスと才能の塊だ。
カバンも持たず、手ぶらで登校するという前代未聞の姿に可笑しさを覚える。
髪をオールバックにし、アザの残る左サイドだけ短く刈り込む相互非対称のアシメにしていた。同年代の生徒達は、苗字が「神崎」ということから「死神」と彼を恐れていた。
発車を知らせるベルが、けたたましく鳴る。
野球部員になるメンバーがぞくぞくと揃ったけれども、まだ足りない。
「おーい! マジかよ、待ってくれ!」
窓の外から急いで駆けてくるジョーが、彼女のアッコちゃんと手をつないで走ってきた。
サリーとハクが窓を開けて、ジョーに唾をかけるそぶりをした。ふたりはドアが閉まる寸前に、列車へ飛び乗った。ぎりぎりセーフ。
ジョーも、ピッチャーの一人。守備も攻撃も、かけがえなく欠かせない選手だ。
銀色に染めた短髪を掻きながら照れてはにかんだけど、アッコちゃんは初々しいヅベ高のセーラー服姿で、チョビに中指を突き立て、ボクには八重歯をみせて会釈してきた。
「さァ、今日から始まるで。覚悟と準備はええか」
学生たちでいっぱいの車両に現れた、場違いな坊主頭にジャージー姿のおじさん。一見すると強面で、どこぞの暴力団の方と見間違うような風貌と態度。
実はこの人が、ボクのオヤジ。外部コーチのようなものだけれど、ボクたちを小学生の頃から指導してくれ、中学校の部活動とは別の外部シニアチームを設立した監督でもある。
残念ながら、中学のシニアチームは認可されることなく、北海道の草大会や高校生との練習試合しかできなかったけれど。
オヤジがボクらの練習に用意してくれた場所は、農家が使う倉庫のD型ハウスだった。
そこならば狭いながら、雪が降り積もる冬季間でも練習ができる秘密基地のようなもので、トスバッティング用のネットからベースまで揃っていて、ウェイトトレーニングをするためのベンチやダンベルセットまで。ビックリしたのは、床部分が赤土で固く整備されていたことだ。土やボールの感覚を肌で年中感じることができた。
ボクたちチームメンバーは中学の頃から、その場所で、ずうっと一緒に練習してきた。
ボクの一学年下にあたる世代は、小学生の頃からバラバラのチームながら、将来を有望されるような資質と才能を持った連中が多かった。そのひとりひとりをシニアチームにスカウトし、中学から硬球に馴染ませ、一緒にやってきたのが、この仲間なのだ。
幼い当時のボクらは、大人達から『黄金世代』なんて呼ばれ期待されていた。
ところが、みんな中学にあがるとグレ始め、見た目だけで判断され、各々の学校では落ちこぼれのレッテルを貼られていた。皮肉にも周りからは『最悪の世代』と呼び名を変えられ、眉をしかめていた。ちなみに、ボクは不良ではないけれどね。
彼らは、学校の部活動でも野球部には属さなかったけれど、オヤジの創ったシニアチームに集い、ずうっと一緒に野球をやってきた仲間だった。
もはや、運命共同体なのだ。
そのチームメイト、高校を同じくして甲子園を目指す。それはオヤジの夢、みんなの夢、ボクの夢でもあった。
「今日から、心強い仲間が増える。岩見沢から来た、孫くんや」
オヤジの後ろに隠れるようだった彼を、オヤジはポンッと押し出した。眉毛を剃り落とした彼の顔にどこかで見覚えがあるような、ないような。
「まさか?」
「その、まさかや。オドレらのライバルである海江田兄弟と一緒に野球しとって、昨年の中体連では北海道代表になったピッチャーやで」
「そこじゃなく、下の名前は?」
ポリポリと頬を掻く孫くんは、「残念ながら、ゴクウでもマサヨシでもないんだ」
「おい、そこはボケろや、ビッチ。笑いがとれるチャンスだったのによ」
ピンコさんは、ドスを効かせて凄む。「まァいい、お前は、今日からゴクウな。自分のことは『オラ』と言え。何かにつけて、ワクワクしろや」
「……ご、ごくう? おら?」
「俺は一応、ヅベ高野球部のキャプテンだ。先輩の言うことは絶対だろが。ぶっ殺すぞ」
ははは、とみんなの笑い声が車両内にこだました。
ボクも、くすりと笑みがもれた。
でも、これでもまだ足りない、肝心なとこが足りないんだ。
ここにいるはずの、いなければならない、一学年下の年代では不良としても最凶で、ボクと小学生の頃から、ずうっとバッテリーを組んでいた絶対的なエース、ミッキーがいないんだ。
ミッキーとは、小学生の頃から仲良く野球をやっていたチームメイト。
ボクは、ミッキーが好きだった。野球以外でも遊んだり、とても仲が良かった。
ミッキーの球を受けるのは、ボクにとって楽しかった。大人が投げるような速球と、相手をバカにしたかのようだったけれど打たれたことがなかったストップと言われたスロウボール。そのまま中学のシニアでもバッテリーを組んでいれば、高校生にも勝てただろう。ミッキーにしてみれば、本州の甲子園常連校からスカウトされ、そこのレギュラーだって夢じゃなかったはずだ。
けれど、ミッキーは中学生になると、野球に興味もなくなったらしく、金属バットをケンカに使いだした。なんだか、すごく寂しかった気持ちになったのを覚えている。失恋でもしたかのような感情。
当然、ボクのオヤジが創ったシニアチームに入ることもなく、この仲間とも接点どころか、ケンカをふっかけていたなんて話が聞こえてきていた。
それでも、ボクはどこかで信じている。
きっと、ミッキーは帰ってきてくれる、また一緒に、ボクたちと同じチームで野球をやってくれると。
なぜなら、ミッキーは津辺蘂高校を受験したというからだ。
「人は、大きく二種類に分けられる。甲子園に行ける奴と、行けへん奴や」オヤジの鼻が大きく膨らむ。「さァ、これからのミーティングをするで」
みんなを乗せた列車が、ゆっくりと動き始めた。
夢は、必ず叶う。自分からも逃げずに追いかけ、めげずにやり遂げれば、きっと報われる時がくる。だからボクは、いつまでも夢見ることを諦めない、ずっとそう思っていたから。
富士山には、登ろうとした人しかその景色を眺めることは出来ない。散歩のついでに富士山に登った人など、いない。だからこそボクは、どんなに険しい道でも諦めない。
いよいよ、今日から始まる。甲子園へ向けての戦いが、いよいよ始まる。
不安はたくさんあるけれど、前を向いて突き進まなければならない。
ねえ、ミッキー。どうして、ヅべ高なんかの受験に失敗してしまうんだよ―。
読んでいただき、ありがとうございます!