♯1 あまりものパンキッシュ
今日は何を食べよう。最近めっきりと食材が高くなってしまって、パッとしない冷蔵庫の中を漁る。
ガツンと豪快に肉を食べて満腹、なんて暫く考えられなさそうだ。
「うわ、マンドラゴラが鄙びてる」
野菜嫌いの友人が、狩りのついでに捕まえたけれど食べないのだと押し付けてきたマンドラゴラ。野菜も高いので有り難く貰っていたが、野生種は薬効は高いが苦みも強くてほんのちょっと使ったっきり、野菜室の奥でしなしなに成っていた。可哀想な有り様である。買えば高い高級食材──むしろ薬草?──なので勿体ない。
一先ずマンドラゴラを奥から引っ張りだして、今日の食材第一号だ。どう使うかは食材が出揃ってから考えよう。
「他になにか……んん〜」
野菜室の他の在庫は玉ねぎ、きのこ、十日菜。マンドラゴラ以外はあまり珍しさはない。普遍的で使いやすいとも言う。何にでも使えるから悩ましいが。
この中で積極的に使いたいのは十日菜だ。うちのプランターで毎日採れるから、使わないと増えるばかり。名前の通りに芽が出て十日くらいで食べれるようになるし回復力が凄まじい。このご時世にありがたい食材だった。
取り敢えずこれらの食材はだいたい使えるので出しておく。おっと、小さいじゃが芋も十日菜の陰に隠れていた。見つけたからにはこれも使おう。
野菜はこれだけあればどうにかなるだろうし、次は取り敢えず肉か魚。野菜だけよりテンションが上がるので必須だ。
「とは言ってもなあ」
冷蔵庫に収められている食材でメインを張れそうなものがない。肉は塩漬け肉があるが中途半端に使っているし。たしか大きなブロックの切れ端だとかで安かったのを酒のアテとしてちまちま食べていたヤツ。
それからカチコチに凍った燻製魚。友人たちとの飲み会で、酔っ払った魔法使いが凍らせてしまって一向に溶けずに残っている。
「どんだけ強い魔法掛けたのかね、あのクソエルフ。今度から絶対禁酒だ、禁酒」
戦闘用魔法を酔っ払って使うのは危険過ぎるし妥当な判断だろう。というか外でやったら最悪戦闘魔法の免許が止まる。本当にアイツは。
煮込めば溶けるだろうか。あの氷塊はもう二週間ほど冷蔵庫でカチコチを保っている。煮込んだところで溶けるかはさっぱり分からなかった。
だからと言って態々使い切り魔導書を消費する気にもならない。
このまま溶けなかったら今度来た時に解呪か、炎の魔法だかを掛けて貰おう。きっちり本人に責任を取らせる方向で。
さて、そんなことはさておき。本題は今日の夕飯である。今使えない食材のことを考えるのは後だ。
こうなるとこれから買いに出るか、狩猟に出るか、もしくはタイミングの良い誰かがお裾分けに来るかが無ければ、塩漬け肉を使うしかない。
これでは今日の夕食は少し侘しいものになってしまうかもだ。
「週の最後、ってのもあるけど管理が下手だなあ」
便利な街中に住んでいる訳ではないので、食材の買い出しが億劫で週に一度の買い物で済むようにしているのだが、こうして最後の日に帳尻合わせが生まれてしまうことは多々あった。
最悪全部をぶつ切りにして煮込んで食べる、と言うのが最終手段。カチカチになったパンも煮込んで仕舞えば食べやすいし腹に溜まるのでわりとどうにかなるものである。
先週はそうした。今週はそれを避けたかったのだが、これはもうそのコースだろうか。
「ん〜、お?」
そう言えば、とパンを保存しているブレッドケースを開けてみる。昨日はミートソースがあったからラザニアにして、食べなかったのでそこそこ残っているはず。
見ればそれなりの大きさな丸パンが半分ほど残っている。思ったより残っていた。保存の魔法が掛かっているからカビには強いとは言え、日が経っていけば硬くなるのは必然である。早く食べてしまわないと。
しかし、この量だとパン粥として煮込むには多すぎる。毎日同じ料理が食べられないタイプには辛い。
「というか、粥にするとマンドラゴラが目立ち過ぎる」
パン粥は優しい味付けにしがちだった。苦いマンドラゴラを誤魔化してくれる存在がいない。却下だ。
キッチン台の上、萎びたマンドラゴラの苦悶に満ちたような顔を見つめて唸る。しなしなマンドラゴラ、どうするべきか。
「薬師の婆さんにあげておくべきだったか……」
この萎びた様子ではもう需要は無さそうなので消費するしかないが、そっちの方が有効活用されていそうである。次回があればそうしよう。
しかし本当にどうすれば。脳内の数少ないレシピは頼りにならない。食材の残り方も微妙である。
全ては自らの見通しの甘さが招いているとは言え、ままならない。
そろそろ腹の虫がおさまらないし、早く作って食べてしまいたいと言うのに。
「……あ、そうだそうだ」
一度キッチンから離れて、勝手口の外へ。扉を開けたすぐ横にあるポストを探る。そうすれば、ガラス瓶に入った冷たい牛乳が一本。簡易な封印処理をした蓋が鮮度を保っているそれは、毎日転送されてくる配達物の一つだった。
それを手に取り更に外へ。調子が良いとこの時間でも採れたりするのだが、今日はどうだろう。
てくてく歩いて向かった先は、家の裏に設置してあるニワトリ小屋だ。中には数羽の雌鶏たちが寛いでいる。
さてさて。巣箱に繋がっている管の先、卵が転がってくるようになっている箱を開けてみると、しめたことにホカホカの産みたて卵が二つ。
卵と牛乳があれば、どんな食材だろうとマイルドに食べられると言うのは過言だろうか。この世の真理のようにも思える。
シチューにしようか、グラタンにしようか。ウキウキ気分でキッチンへと戻った。
どん、と牛乳の瓶を台へおいて、改めて今日使う食材を振り返る。
まず使うべきなのは、マンドラゴラ、十日菜、卵、パン。使えるのは玉ねぎ、きのこ、じゃが芋、塩漬け肉、牛乳、各種調味料。
「よし、キッシュにしよう」
シチューにするには小さい瓶一本の牛乳では少ないし、汁気の少い料理にすることにした。
材料は全部使ってしまおう。
シンクに大きなボウルを用意して、水を流しザブザブと野菜たちを洗っていく。十日菜は特に根本を念入りに。こいつが一番口に泥を運んでくる率が高い。
萎びたマンドラゴラは切り口から水を吸ったのか少しだけシャッキリしたように見える。分類上魔物になるだけあった。流石だ。こちらとしては苦味の嵩が増えるので勘弁してほしいが。
野菜を洗ったボウルは軽く濯いで、ザルを乗せておく。切った野菜はそこに。
包丁とまな板を取り出して、一先ず占領面積の大きい十日菜をざく切り。根本には十字に切れ目を入れてもう一度良くすすいだら、そのまま葉と一緒にザルへ上げておく。
それからきのこは石づきを落として、小さくしておく、傘が赤に黄色に茶色に、とカラフルだ。件のエルフが持ってきたものなので食べられるのは間違いがない。エルフという種は料理の腕前は兎も角、自然食材の見極めは確かなのだ。味に関しては保証されないので、事前の味見はしたほうが良いが。
因みに今回のはかなり当たりで香りも味も良いきのこであった。毎度当たりなら嬉しいのに。
切り分けたきのこは十日菜とは別のボウルに持っておく。
次はじゃが芋。これは小さいので皮を剥くのが面倒臭いし、芽だけくり抜いてダイス目に。きのこと同じボウルにでも入れておこう。
それから玉ねぎ。尖った先を切り落して、一緒にぺろりと茶色の皮を。根本も同じように切り落としつつもう片側の方の薄皮を外す。残った皮を取ってしまったら、半分にして薄切りに。
「あっ、あ〜〜」
目が、目がぁ。新鮮じゃない分、目に来る刺激が強くなっているような気がする。
取り敢えず切った玉ねぎは水にさらしておいて、根性では持たなかった玉ねぎの半分は魔導レンジにぶち込んでおく。
少し温めると切った時の刺激が薄くなるのだ。億劫だと面倒臭がらない方が良いことは多い。学び。
「マシになった……」
幾らか瞬いて、溢れていく涙が止まったところでレンジで温まった玉ねぎを取り出す。今度は切っても涙は出ない。
水にさらしていた玉ねぎと合わせて十日菜とは別のザルへ。
これで残る野菜はマンドラゴラである。少しだけシャキッとしたマンドラゴラは皮ごと短冊切りだ。マンドラゴラは皮まで栄養たっぷり、薬効たっぷりなので向いてしまうと勿体ない。なるべく薄く小さくするのは苦味対策。半分は袋詰して冷凍庫に入れておくのは御愛嬌ということにして欲しい。
今日食べる分はキノコたちのボウルにザラッと移して、次に切るのは塩漬け肉。
肉はぶ厚めの短冊切り。二度も火を入れるのだからちょっと厚くしても問題ないし、食べごたえがあったほうが嬉しい。
こうして全部の食材を切り終えた。
次からはもう火を使う作業だ。魔力を通してコンロを着ける。その上にはバターを乗せたフライパン。
フライパンでバターを溶かしつつ、そこへ玉ねぎを投入。水気は確りと切っておいた。
バターを纏って焼ける匂いが香ばしい。木べらでかき混ぜつつ、しんなりとしてきたところに塩漬け肉を放り込む。じゅわっと言う音とともに油が溶ける匂いは芳醇で自然と唾液が出てくる。
木べらで底が焦げ付かないようにかき混ぜて、程よいところでちょっと火が通るのが遅いきのこ、マンドラゴラ、じゃが芋を入れる。全体に火が通った頃に十日菜を。葉物は直ぐにしんなりしてくれるので、最後にさっとでいい。
味付けは卵の方にするので一先ずこっちは塩漬け肉の塩味だけで良いだろう。
さて卵液を、と思ったところで気がつく。
「あ。パンくり抜き忘れたな」
今日のキッシュの土台にする予定なのだ。そしてくり抜いた分のパンは野菜たちと一緒にしておかないと。
慌ててブレッドケースからパンを取り出した。出してきた半円のパンを縦にして、先端をパン切り包丁で適当に切り落とす。そうしたら底を突き抜け内容にだけ気を付けてざっくりと包丁を入れて中身を取り出していく。
やってから逆にするべきだったと思うが仕方がない、もうくり抜きはじめてしまったのだ。具を流す口が狭いのは甘んじて受け入れよう。
ざっと底に穴を開けずに取り出せた中身は千切ってフライパンの上に。適当に混ぜ合わせる。
でもって器の方にはバターの塊をペティナイフで塗りたくって、染み防止だ。
出来上がったパンの器はオーブントレイの上に設置。
ここまでくれば具をフライパンから中に転がす。零さないようにヘラで上手い具合に調整しつつ全部を収めてしまえばそこそこの嵩。結局一食分より多い気もするが、それはそれで明日の朝は味を頑張って変えよう。
後は卵液の準備である。横着して十日菜の入っていたボウルにそのまま卵を割り入れ、ヘラで切るようにかき混ぜ解す。そこに牛乳を瓶の半分ほど注いで塩コショウと粉チーズ。
粉チーズが玉にならないでよく馴染むくらいに混ぜ合わせたら、卵液は出来上がりだ。
ボウルを持ち上げてパンの中へと注ぎ込む。この時一番上にチーズでも掛けられたらまた美味しそうな気はするが、今日の冷蔵庫にそんなものはない。諦めよう。
「よっ、と。結構重いなあ」
オーブンに入れるため、トレイを持ち上げればかなり重量がある。たぷたぷ言っている卵液を零さないように平行に移動して、オーブンへ。
魔導式のオーブンの良いところは相応の魔力さえ注げば予熱無しで温度が直ぐに上昇するところ。ぐん、と吸われていく魔力を感じつつ適当な温度で卵液が固まるまで待つ。
その間にキッチンを片付けてしまおう。
「あ」
キッチン台へと視線を移せば、切り落とした部分のパンが寂しく転がっていた。忘れていた。取り敢えずブレッドケースに放り込んでおく。これを食べるのは明日にしよう。朝食か夕食かは置いておいて。
ついで半分だけの牛乳瓶は一旦冷蔵庫に。こっちも明日だ。
では片付けの時間である。とは言っても今回の汚れ物は少ない。ボウルはさっと濯いで拭けば良いし、きちんと洗わなければいけないのは包丁とまな板、ヘラとフライパンぐらいのもの。
汚れをざっと拭き取ったら、後はスポンジで擦り洗う。魔力濃度の低い土地に行くと皿洗いなんかを不定形水溶魔物にやらせているところもあると言うが、この辺りでは無理な話。せっせと手を動かす。
導入するならどっちかと言うと魔導式の食洗機だろう。まあ、魔導式のアイテムに関しては咒魔族の友人が来た時にでも最新版について話を聞いてからだ。そも咒魔基準だとここの空間保有魔力量で動く代物かも分からない。
境に暮らしているとこういう時不便だ。それでも都会の喧騒とは無縁のこの暮らし、嫌いではないが。
そんな考え事をしているとあっという間に洗い物は終わる。もうすっかり乾拭きまでしてしまった。
そろそろかと、オーブンを覗いてみると卵液が固まって、パンの端の方が良い感じにカリカリに焼けているのが見える。
良いかも知れない。
「あ〜〜〜腹が減る匂い……」
オーブンを開けば、もわっと熱気とととに焼けたパンと卵、バターが混じった食欲唆る煙が顔に直撃する。熱いがもうそれどころではない。ぎゅるりと胃が鳴って、空腹の限界を知らしめてくる。
オーブンを全開にして、ミトンで手を覆ってからオーブントレイを引き出す。カリカリに焼けた器はきつね色で、その中に湛えた卵液は確りと固まって、顔を出した具材たちを抑えていた。
やっぱりチーズが無いのは少し惜しい。ここにとろとろカリカリのチーズが乗っていたら、こんなにも美味しそうなものが更にランクアップしていたはずだ。
「明日の買い出し、チーズ買ってくるかぁ……。使い回せる簡易封印紙かなり高いんだけど美味しい食事は日々のモチベーションに関わる。よし、買う」
オーブントレイから縁のある平皿へと倒さないようにパンを移して、フォークとナイフを持ってダイニングテーブルへ。
食器を前に椅子に座って、今日の実りに感謝を捧げる。
「主たる九神に祈りを」
形式通りに手印をきって、さっさとナイフを手に取った。もう待ち切れない。
ざくっ、音を立てる外側の焼けた部分を気にせず大きく半分にして割れば中心部分はまだ少しとろりとした卵液が僅かに溶け出してくる。
そんなとろとろの周りを覆う卵の層はふるふるとして自重を訴えているので早々に横倒しだ。こうするとただ丸いパンを切って出しただけのようにも見える。しかし、サクリと切ってやればサクサクのパンの耳ととろぷるの卵生地に大ぶりの具が揺れた。
「天才かもしれん。美味そう」
有り合わせをぶち込んだと思えない完成度だ。早速大きく一口。
熱々のキッシュが口に入った瞬間に、バターの香りが炸裂する。これだけでもう至福。それなのに、噛めばじゅわりと卵と塩漬け肉、きのこの旨味が広がっていく。
バラバラにならないのはほんのりと甘みと塩味を持つパンが確りと繋ぎ合わせてくれている。具材としてくり抜いたパン生地を入れたのは良かったかも知れない。出汁も何も入れていないのに旨味が溢れるのはきっとその功績だ。
「美味い」
意外なことにマンドラゴラは歯応えの材料にはなるがあまり苦味を訴えてこない。こうなるとただの良いアクセントである。
食べる手が止まらずにガツガツと食らいついてしまう。今日の有り合わせメニューは大成功だ。
いつの間にかぺろりと平らげて、皿は空っぽになっていた。
「ご馳走様でした」
今日の夕食はこれで終わり。さあて明日も頑張ろう。