コランタン・セリエール
「笑ったりして、すまなかった。気を悪くしただろう? きみがあまりにも可愛く思えたから、つい」
彼は笑うのをやめたけれど、美貌には満面の笑みが浮かんでいる。
「ほんとうのことを話してくれてありがとう。きみの口から事情をききたかった。うれしいよ」
彼はそう言い、いったん言葉を切ってからまた続けた。
「じつは、最初からわかっていたんだ。だって、そうだろう? 両親や使用人たちの見送りがないなんてありえない。まがりなりにも侯爵家のご令嬢だ。しかも、嫁ぐ相手は敵国といっても過言ではない他国の将軍。ヴェルレーヌ侯爵家は、軍にかかわりのない家系だ。ということは、将軍のことはほとんどなにもわからないはずだ。皇族からの命令で、しかも婚儀をすぐ目の前にして嫁ぐのだ。涙の別れがあって然るべきだ。それがだれの見送りもなく、まるで捨てられるかのような感じだった。それだけでも偽者だとわかるが、きみの、その、表現は悪いが外見は、噂とはまったく違う。噂が半分だとしても、それでも違う」
「そうですね。わたしは、姉とは血がつながっているというだけで美しさのかけらもありませんので」
「おっと、またデリカシーのないことを言ってしまった。許してくれ。おれの言いたいのは、そういう意味じゃない。気品だ。正直、本物のカトリーヌはおれにはいいとは思えない。じつは、彼女と会ったことがある。いいや。見たことがある、だな」
なんですって?
お姉様を見たことがあるのなら、それはわたしが偽者だってわかる以前の問題じゃない。
彼にだまされた感が半端ないけれど、不思議と腹が立たない。
「おれは、そんなきみの誠意に応えるべきだ。だろう?」
視線があうと、彼はこめかみを指先でさすった。
「コランタン・セリエール。これが本名だ」
彼の美貌から笑みが消えた。
コランタン・セリエール……。
その名をすぐには思い出せなかった。
「きみの、いや、きみの姉カトリーヌ・ヴェルレーヌの夫になる予定の男だ。というか、彼女の婚約者に無理矢理彼女をおしつけられたお間抜け男だ」
「あ、ああ、あの……」
あまりの展開にそれしか出てこなかった。
「これでも一応将軍でね。ああ、将軍がこんなところで一人でいていいのか? という参謀や将校たちと同じようなことは言わないでくれ。理由は簡単。おれは、強いからだ。剣でも体術でもだれにも負けないし、暗殺者やスパイたちに襲われても撃退出来る。だから、一人で行動しても問題がないわけだ。もっとも、その都度参謀たちとは揉めるし、定期的に護衛を送り込んで来るがね。だから、彼らの知らないこの屋敷を密かに入手したわけだ」
「はあ……」
わたしにはよくわからない。
彼の強さ、それから将軍の重要性が。
だけど、嘘や誇張ではなさそう。こうして向き合っていても、自信に満ち溢れているから。
「さて、おれはだまされたわけだ。いや、きみは違う。ちゃんと自分の口で言ってくれたから。皇太子は外交の重要性をわかってはいないし、きみの家族はおれをわかっていない。なにより、きみの家族はきみを蔑ろにしている」
彼はお茶をすすり、それからジンジャークッキーを二枚同時に口に放り込んだ。
咀嚼してクッキーを飲み込むと、美貌に人懐っこい笑みを浮かべた。
「本名は?」
「ミキ。ミキ・ヴェルレーヌです」
「ミキ。いい名だ。カトリーヌをおしつけられたとき、言いなりになっておいてよかった。きみと出会えたことは、皇太子に感謝すべきだろう。どうだろう、ミキ。どうせなら、このまま噂通りの『大悪女』になってみては? カトリーヌとしておれの妻になってみては? 傲慢でずる賢いユルバン王国将軍の妻としてふるまえばいい。これまでのことを考えたら、どんな振る舞いや贅沢も許されるだろう」
彼の提案は、すぐにはピンとこなかった。
そんなことより、彼はなぜかわかってくれている。
これまでのわたしのことを。どうして知っているのかはわからない。だけど、彼はたしかに知っている。
そのことが純粋にうれしい。
結局、彼の勧めに従うことにした。
この日、ミキ・ヴェルレーヌは「大悪女」になる決心をした。
負け犬ミキはもういない。
わたし、大丈夫なのかしら?
ある意味ではいままで以上に不安を抱いてしまう。